50話 届かない光
夜の王都は、所々が燃えていた。
祭りの終盤となり、優勝を求めて各地で加減のない魔法などが放たれているせいで。
しかし、そんな喧騒とは遠いところもある。
──勝つのは、私。
走りながら、ミリアは唇を噛みしめた。
後ろでは、瓦礫が崩れ落ちる音。
仕掛けた罠が狙い通りに機能したらしい。
狩猟祭のせいで半壊した建物は、軽い衝撃でも簡単に崩れる。
あれで追ってくる者たちは分断されたはず。
(……リュミナ先輩も、きっとこっちに来る)
思考の奥で、淡く高揚が広がる。
胸の奥が、妙に熱い。
──待ってた。ようやく、ここまで来た。
暗い倉庫の中。
崩れた木箱の間に身を潜めながら、ミリアは呼吸を整えた。
指先に魔力が集まる。光が静かに灯る。
あの頃とは比べものにならないほど、力が巡っている。
(……昔の私は、誰からも相手にされなかった)
思い出すのは、魔法学校の白い塔。
初めて見る魔法陣、煌めく杖、そして希望に満ちた初日。
最初は、楽しかった。ワクワクして、目を輝かせていた。
でも、すぐにわかった。
自分がどれだけ“下”なのか。
呪文の詠唱速度、魔力の量、陣の精度。
何をやっても、他の誰かの方が上。
努力しても、何も変わらなかった。
(“頑張れば報われる”……なんて、嘘だ)
同級生たちは笑顔で励ましてくれた。
でも、あの笑顔の裏にあるものを、私は見てしまった。
“自分より下がいる”という安心。
“あの子はできない子”という免罪符。
だから、私はいつも輪の外にいた。
笑い合う中にいても、一人きりだった。
……けれど。リュミナ先輩だけは違った。
『焦らなくていいの、ミリア。魔法は、心の形を映すものだから』
『諦めることは、終わることじゃない。止まることこそが終わり』
いつも、優しかった。
叱るときも、真剣で。
あの冷たい世界で、たった一人、私を“本当に見てくれた人”。
だから、努力した。
それでも、結果は出なかった。
どれだけ繰り返しても、届かなかった。
いつも、遠くで、彼女の背中だけが見えた。
……その時だ。
ある晩、誰かが声をかけてきた。
『本当に力が欲しいのなら、女神なんかにすがるな。魔神なら、あなたの望みを叶えられる』
あの瞬間、心の奥に眠っていた“願い”が揺れた。
この手で、リュミナ先輩の隣に立ちたい。
違う……あの人が欲しい。
他の誰も見えないように、閉じ込めて、大事にしたい。
その夜、私は魔神の力を受け入れた。
苦しさはなかった。むしろ、心が軽くなった。
満たされていく。世界が鮮明に見える。
ようやく、届いた。
そう思っていた。
だけど。
(違う。今度は違うの。先輩の前で、証明してみせる)
ミリアは崩れた木箱の上に立つ。
薄く光る紋章が首筋から覗く。
倉庫の扉が軋む音がした。
ネアと、リュミナが入ってくる。
ミリアは微笑んだ。
それは、かつての彼女が見せた笑顔に似ている。
けれど、今はほんの少しだけ、歪んでいた。
「やっぱり来たんですね、先輩。こうでもしないと、見てもらえないから」
指先に魔力が集まると、倉庫の空気が震える。
夜はゆっくりと狂気に染まり始めた。
◇◇◇
倉庫の中は、かすかに焦げたような匂いがした。
崩れた木箱や布切れが散乱していて、足を踏みしめるたびに粉塵が舞う。
狩猟祭では魔物をあちこちに放つため、大なり小なり被害を受ける建物は出る。
この倉庫もその一つ。
中にはほとんど物がないが、狩猟祭の前にあらかじめ運び出されているのだろう。
「ミリア……」
ネアが声をかけると、闇の奥から笑い声が返ってきた。
「来たんだ。やっぱり来ると思ってた」
銀の髪がわずかに光を反射して揺れる。
その表情は穏やかで──どこか、壊れていた。
「……もうやめて。あなたが手を出したその力は危ない」
リュミナは静かに言う。
司教としての威厳に満ちた声で。どこか相手を心配する声で。
しかし、ミリアは首をかしげるだけだった。
「危ない? ああ、先輩らしい。昔からそう……。でも、これは危険じゃなくて、進化なんです」
「進化?」
ネアが眉をひそめる。
「そう。“選ばれた力”。女神教が見捨てた、その先にある力」
ミリアの瞳に、淡い紫の光が灯る。
空気が震え、周囲の木箱が軋んだ。
レセルの声がネアの耳に響く。
『……この気配。間違いない、魔神の加護を受けてる』
「欲しいものを手に入れるために力をもらう。いけないことですか? だって力がないと……ここまで来ることはできなかった」
そう言いながらミリアはリュミナを見つめた。
「先輩。あなたをください。嫌って言っても……力ずくで、もらいますけど」
リュミナの表情がわずかに曇る。
「……昔のあなたは、そんな子じゃなかった」
「先輩がそう思いたいだけですよ」
その瞬間、床が震えた。
外から風が吹き込んだかと思うと、黒い霧らしきものが広がり、倉庫全体を覆っていく。
やがて音が遠のき、月光も遮られた。
「なに、これ……?」
ネアが振り返ると、入口に人影が立っていた。
ゆっくりと中に入ってくるのは、フードの女性。
「また会えたわね。あなたの活躍は耳にしているわ、ネア。初参加ながらも、優勝候補となった少女」
少し前、路地において魔神教の勧誘をしてきた、あの女性。
彼女は黒い衣の裾を引きずりながら、静かに微笑む。
「女神教の司教様、あなたがいなくなれば、我々はずっと動きやすくなるのですよ」
「……ただ消すだけなら、こんな回りくどい真似はしないでしょう」
リュミナの瞳が鋭く光る。
相手の真意を見定めようとしていた。
「外と遮断した目的は? この“闇”はあなたの魔法ではないはず。これほどの規模となれば、一人では行えない」
女性はくすりと笑う。
「世界を漂う光は、時に濁るものです。くすんだ光でも、それを“自分だけのもの”にしたい少女がいる。私は、ただ彼女に力を与え、少し“場”を整えただけのこと」
質問には答えず、そう言って手を掲げると、闇が脈打つように揺れた。
まるで倉庫全体が、生き物のように蠢く。
「……力を与えた?」
リュミナが呟くと、ミリアが笑う。
「そう。もう、先輩の言葉なんて要らない。あの頃の私とは違うんです。だって、今の私は──」
ミリアの足元に魔法陣が展開された。
紫の光が倉庫を染める。
「力を手に入れた!」
その瞬間、魔力の奔流が弾け、床板が砕け散る。
ネアは咄嗟にレセルを構えた。
「……なんで、あなたがここにいるの?」
すぐさまミリアの視線はネアに移る。
「私と先輩の間に立つ、部外者め」
敵意に満ちたその言葉に、ネアはゆっくりと呼吸し、覚悟を決める。
「部外者でも……あなたが誰かを傷つけるなら、止める」
「止められるものなら、止めてみなさいよ!」
魔法が放たれた。
紫の閃光が空気を裂き、倉庫の闇を真っ二つに照らす。




