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49話 月下の槍と剣

 夜の王都をわずかな光が照らしていた。

 建物の影、崩れた広場の中央。

 そこに、一体の巨大な魔物がいた。

 黒い鱗に覆われた巨獣。地を這うたびに、まだ無事な石畳が軋み、空気が震える。

 しかし、そんな魔物を前にしても、動かない者が二人いた。

 一人は、銀に光る槍を構えた老騎士。

 もう一人は、淡く輝く剣を携えた女性の騎士。

 互いに一歩も譲らず、静かに相手を睨み合っている。


 「……あの二人、誰?」


 ネアは周囲の人々のひそひそ声に耳を傾けた。


 「あっちの老人は、王国騎士団の団長、エドラン・フォルト様だってよ」

 「もう一人の若い方は女神教の聖騎士、レティス・ノール。どっちが倒すかで揉めてるらしいぜ」

 「魔物の横取りは……両方に潰されるだけか」


 そのささやきに、ネアはわずかに息を呑む。

 ガルドが言っていた“強者たち”──まさにその二人が目の前にいた。


 「……すごい、なんだかあそこだけ空気が違う」

 『ええ。あの魔物よりも、あの二人の方が怖いわね』


 レセルの声に同意しかけた時、ふと視界の端に、見覚えのある人影が映った。

 顔の半分をフードで隠し、腰に小さな杖を下げた人物。

 その立ち姿と気配に、ネアはすぐに気づく。


 「……リュミナ、さん?」


 近づいてから小声でささやくと、彼女はわずかに振り返り、ネアを見て驚いたように目を瞬かせた。

 けれど、すぐに口元に微笑を浮かべる。


 「……あなたでしたか。まさか、こんな場所で会うとは」

 「変装、してるんですか?」

 「ええ。表向きは教会で祈りを捧げている最中ということになってますから」


 リュミナは人差し指を口元に当てて、小さく「内緒ですよ」と口ずさむ。

 声は穏やかだが、どこか疲れがにじんでいる。


 「……あの二人、揉めてるんですか?」

 「ええ。あの魔物は、この一帯に残された最後の“大物”です。討伐すれば、ほぼ優勝が確実になる。だから、どちらも譲らない」


 ネアは軽く頷く。

 確かに、あの魔物を倒せば勝利に等しい。

 なら、それを巡って争うのも無理はない。


 「元々は、聖騎士レティスだけが出場する予定でした。ですが、上層部が“王国の力に劣るわけにはいかない”と口を出しましてね。結局、私も参加することになりました」


 リュミナは苦笑を浮かべ、肩を落とした。


 「……本当は、こういう華やかな催しよりも、教会の帳簿を整理していた方がまだ気が楽なんですけど」


 思わずネアの口元がほころぶ。


 「そんなこと言う人、初めて見ました」

 「でしょうね。でも、正直なところです」


 少し間をおいて、リュミナは目を細めた。

 彼女の青い瞳には、槍と剣が交わる一瞬を見据える冷静さがあった。


 「エドラン団長は、年老いてなお現役。あの人に勝てるのは、王都でも数人。けれど……女神の加護を受けた聖騎士が負けるわけにはいかない。それが、教会の建前です」

 「政治、ってやつですね」

 「ええ。祭りでさえ、思惑の渦。……あなたのように純粋に戦っている人が羨ましい」


 穏やかな笑みの裏に、やや疲れたような影が差していた。

 それを感じ取ったネアは、軽く首をかしげる。


 「……リュミナさんも、戦うんですか?」

 「直接ではなく、聖騎士の補佐としてここまで来ました。とはいえ、今回は見届けるだけになります」


 彼女は視線を上げ、夜空に浮かぶワイバーンを見つめた。

 遠くで鳴る角笛の音が、祭りの終わりを告げるかのように響く。


 「もうすぐ狩猟祭は終わります。……その前に二人の決着はつくでしょう。この戦いが、どんな意味を持つのかは、まだわかりませんが」


 リュミナの声は穏やかだったが、その奥にはどこか予感めいた響きがあった。

 ネアはその言葉を聞きながら、静かに頷いた。


 「退いてはくれぬか」

 「あなたもおわかりでしょう?」

 「上の指示ならば面倒でも退けぬ、か」

 「では、始めましょう」


 夜空を切り裂く金属音が、広場に響き渡る。

 エドランの槍が、閃光のように突き出され、レティスの細剣がその軌跡を滑るように受け流す。


 「……あれが、王国と教会を代表する戦力」


 誰かの呟きが、静かな熱狂の中に溶けていった。

 ワイバーンに乗った兵士たちが、上空から光を投げかける。

 そのまばゆい照明が、二人の騎士を夜の舞台の主役として照らし出していた。

 火花が散るたびに、観衆の息が止まる。


 「美しい……まるで舞踏のようですね」


 隣のリュミナが、小さく呟いた。

 その声音は穏やかだが、どこか遠くを見ているようでもある。


 「団長エドラン殿は、長年の功績により王国騎士団の団長となった、王に仕える騎士の象徴。一方のレティスは、聖騎士として認められた、私の護衛……けれど、今回は特別です」

 「特別?」


 ネアが尋ねると、リュミナは視線を戦場から離さずに言った。


 「彼女は女神の“恩寵”を宿しています。ただの剣技では、もはや届かない。……加えて、私が術式で負担を減らしているんです」


 その言葉に、ネアは思わず目を見開いた。


 「じゃあ、レティスさんが疲れてないのって……」

 「ええ。あの光、見えますか? 彼女の周囲に漂う薄い靄のような光……あれが、私が施した支援の術式です」


 レセルがすぐにささやく。


 『……秘密をこんなにあっさり明かすなんて、怪しいわね。わざわざあなたに伝える理由があるはず。気をつけて』


 ネアは唇を結び、頷いた。

 リュミナの横顔を盗み見る。

 その瞳は確かに冷静だが、どこか計算されたものを含んでいる気がした。


 「はあぁっ!」

 「ぬおぉぉ!」


 エドランが低く唸る。槍の穂先が地を抉り、砂埃が舞う。

 レティスはひらりと跳び上がり、剣を十字に振るう。

 金属がぶつかる音が、何度も夜を裂く。

 まるで互いが互いの呼吸を知り尽くしているかのように、寸分の狂いもなく。

 上空の光は、さらに強まる。

 広場はまるで昼のように明るくなった。

 しかし、その明かりが増すほどに、影は濃くなる。

 ネアは視線の端に、動くものを見た。


 「……あれ?」


 遠くの瓦礫の陰。

 人影が一つ、巨大な魔物の足元へと近づいていた。

 その足取りは静かで、ためらいがない。

 月光を受け、銀の髪が淡く光る。

 それは見覚えのあるシルエット。


 「ミリア……?」


 その名を呟いた瞬間、ネアの胸に嫌な予感が走った。

 魔剣の柄がわずかに震える。


 『ネア。──止めた方がいいかもしれない』


 舞台の光と影。

 誰もが二人の英雄の戦いに心を奪われる中、

 もう一つの異変が、密かに始まりつつあった。

 槍と剣が何度もぶつかったあと、甲高い音が夜を裂いた。

 光の刃と銀の穂先が空中で弾け──散った火花の中で、エドランの槍が地面へと落ちる。


 「……っ!」


 槍が転がる音が響いた瞬間、観衆が息を呑んだ。

 レティスは剣を構えたまま、老騎士を見つめている。

 その表情には誇りと哀れみが混ざっていた。


 「ここまでです、団長」

 「……まだだ。まだ……!」


 だが、その足元がぐらりと揺れる。

 長い戦いの末、疲労による限界はすでに越えていた。

 レティスが一歩前へ出たその時。

 空気が震え、何かが飛び込んできた。

 それは影のようでいながらも、手に持つ杖を掲げると、巨大な魔物の首筋に光が走った。


 ザシュッ──!


 光の刃が一閃し、魔物が苦悶の声を上げる。

 巨体が崩れ落ち、地面を揺らした。

 その上に立つ少女の姿を見て、誰もが息を飲む。

 銀髪が、夜風にたなびいていた。

 そこに立つのはミリア。


 「ま……さか、横取り……!?」


 誰かの声が悲鳴のように漏れる。

 次の瞬間、観衆はざわめきに包まれた。


 「信じられねぇ……!」

 「倒したの、あの子か!?」


 レティスは怒気を隠さず、駆け寄る。


 「あなた、何を──!」


 しかしミリアは微笑み、倒れた魔物の首元から証を掴み取ると、軽く掲げて見せた。


 「規則違反じゃありませんよね? “倒した者が得る”……それだけです」

 「卑劣な真似を……!」

 「勝てば正義、違います?」


 その挑発的な笑みに、レティスの目が鋭く光る。

 薄い光の膜が剣を包み、周囲の空気が震えた。

 だが、ミリアは一歩も引かない。

 小さく呪文を唱え、指先に紫の光を灯す。

 その光が一瞬で炎の矢に変わり、レティスへと放たれた。


 「……っ!」


 レティスは瞬時に防御結界を展開し、炎が弾ける。

 火花が散ってミリアの頬を風がかすめる。

 形勢不利──そう悟ったのか、彼女は舌打ちし、身を翻した。


 「……やってられないわ!」


 そのまま闇の中へと駆けていく。

 残されたのは、倒れた魔物と混乱する参加者たち。


 「逃げた……」

 「おい、証は……!」


 誰もが口々に叫び、混乱が広がっていく。

 レティスはため息をつき、すぐに走り出した。


 「追います!」

 「わ、私も!」


 ネアも思わず駆け出す。

 その背後で、リュミナが小さく杖を握った。


 「……やっぱり、ミリア……」

 「何か知ってるんですか?」


 走りながら問いかけるネアに、リュミナは険しい顔で答えた。


 「ええ。昔に通っていた魔法学校の後輩です。あの子はいつも最下位付近の成績で、魔法の構築もままならなかった。けれど、あの力は……どう考えても、あの頃の彼女ではない」


 リュミナの声が低く沈む。

 その横顔には、司教らしからぬ焦りがにじんでいた。


 「……まさかとは思いますが、力を得るため“魔神教”に手を伸ばしたのかもしれません」


 祭りの喧噪は遠のき、代わりに胸をざわつかせる不穏な鼓動が残る。

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