48話 参加者同士の争い
翼を持たない竜であるドレイクの巨体が崩れ落ちたあと、広場にはしばしの静寂が訪れた。
砂煙の向こう、剣を構えたまま立つネアの姿を、誰もが息を呑んで見つめている。
「……お嬢ちゃん」
一人の参加者が、呆然としたまま声をかけてきた。
年配の傭兵らしき男性だ。
激しい戦いを乗り越えてきたからか、武器も防具もぼろぼろ。
「お前さん、もしかすると──優勝、いけるかもしれんぞ」
冗談とも本気ともつかない口調。
けれど、その目は真剣だった。
「そんな……まだ一体を倒しただけだよ」
「大型の魔物が投入されたばかりで、これだ。上位の参加者には化け物みてぇな奴らがごろごろしてんだ。だが、お前さんには勢いがある。狩猟祭は祭りで、祭りってのは勢いが大事だ。あんた、ついてるよ」
そう言って男性は笑い、去っていった。
残されたネアは、息を整えながら剣を見下ろす。
「……レセル」
呼びかけに応じて、剣身がかすかに振動する。
まるで呼吸するように、淡い輝きが波打った。
「このまま、どうする? 人の姿で一緒に動く? それとも……」
『あなたが決めていいわ。わたしはどちらでも、あなたの手の中にいるもの』
柔らかく優しい声が耳に届く。
ネアはその言葉に小さく息を吐いた。
──結局、どちらにしても同じだ。
レセルが魔剣であることは、いずれ誰かに気づかれる。
この王都で、注目を浴び続けていれば、避けようのないこと。
「だったら……隠しても仕方ない、か」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
少しだけ迷いを含んだ笑み。
『あら、ずいぶん開き直ったわね』
「そうでもしないと、怖くて動けないよ」
ネアは剣を胸の前に持ち上げ、ゆっくりと柄に唇を寄せると、触れるようなキスをした。
「一緒に、最後まで行こうね」
剣としてのレセルは、肯定するようにわずかに震える。
その瞬間、風が通り抜け、倒れたドレイクの血の匂いを吹き散らす。
遠くで、次の魔物の咆哮が響く。
「行こう、レセル。次も大きいのを仕留める」
『ええ。ここまで来たら優勝を狙うのも悪くないわ』
ネアは軽く笑い、剣を肩に担ぐ。
夜の闇に満ちていく王都において、少女と魔剣は次の戦場へと歩き出した。
◇◇◇
夜の帳が王都を覆っても、暗闇は完全には訪れない。
あちこちで放たれる魔法の閃光が、戦場を照らしていたからだ。
火球が弾け、雷光が走り、遠くからは爆音と怒号が混ざって響く。
それだけで、どの辺りでどんな戦いが起きているのか、おおよその見当がついた。
「……魔物、思ったよりも少ないね」
ネアは呟く。
投入された大型種のうち、今も残っている数は十にも満たない。
小型の魔物より圧倒的に高得点が狙えるため、他の参加者に奪われる前に仕留めようと、誰もが躍起になっているため。
「みんな、焦ってる。あるいは、終わりが近いから出し惜しみなしで挑んでるのかも」
『そうね。結局のところ、早い者勝ちになるから』
剣から響くレセルの声は穏やかだが、その裏には確かな警戒があった。
ネアもそれを感じ取り、無意識に歩みを速める。
「次を狙わないと、出遅れる……」
だがその矢先、遠くで巨大な咆哮が響き、夜空を火柱が裂いた。
別の参加者が、大型の魔物を仕留めたようだ。
そのあと散発的な争いが起きるが、高得点な証を参加者同士で取り合っているのだろう。
ネアは思わず立ち止まり、苦笑を漏らす。
「これ、もしかして……最後は参加者同士で奪い合いになるんじゃ」
その言葉が口から出た瞬間。
周囲の気配が変わった。
物陰から、足音が複数。
振り返ると、男女が入り混じった数人の参加者が武器を構えて立っていた。
「へえ、一人で動いてるとは、子どもにしてはいい度胸じゃん」
「証、結構持ってるんだろ? 見逃してやるからさ、いくつか置いてけよ」
声には笑みがあったが、目は笑っていない。
ネアは無言で剣を構える。
『……予想通りね』
レセルの声が静かに響く。
『こうして夜に一人で行動していれば、他の参加者から見れば“美味しい獲物”に見えるでしょうね。──でも、誰が狩る側で、誰が狩られる側か。まだわかっていないみたい』
ネアの唇に、わずかな笑みが浮かんだ。
剣の柄を握る手に力を込める。
「……じゃあ、思い知らせてあげようか。どっちが獲物か」
『ええ。証を奪うこともできるし』
月光が剣身に反射し、レセルはかすかに笑う。
風が止み、張り詰めた空気が広がった。
先に動いたのは、包囲していた者の一人。
振り上げた刃が、夜気を裂いて振り下ろされる。
その瞬間、ネアの体が動いた。
まるで風そのものになったかのような速さで。
ガキン──!
鋭い金属音。
ネアは一歩も動いていないように見えたが、相手の剣はすでに地面に転がっていた。
「なっ……!」
襲ってきた者から驚愕の声が漏れる。
ネアの腕は自然と引き戻され、流れるように次の相手へと向かう。
狙うのは人ではなく、武器。
振り抜いた一撃が相手の槍の柄を断ち、手から吹き飛ばす。
『切る必要なんてない。威嚇で十分』
「うん」
『動かすのはあくまでもあなた自身。わたしはそれを後押しする』
レセルの声が聞こえてくる。
冷たく、それでいて優しげな響き。
ネアは息を整えながら、体にわずかな抵抗を感じた。
だが、痛みはない。
動きはなめらかで、骨の一つも軋むことはない。
「前までと比べて、動きが優しい」
『わたしは、あなたの動きを理解してきてる。だから、負担にならない形で体を動かすの。あなたの意思を無視せず、あなたに合わせて補助するだけ』
次の瞬間、後方から魔法陣が光を放った。
炎が生まれ、矢のように飛ぶ。
『後ろ!』
「魔法使いが隠れてた!?」
叫ぶ声と同時に、ネアの体が弾かれたように動く。
地面を滑りながら、炎の軌跡を紙一重でかわす。
文句を言う暇もなく、背後から風刃。
そのすべてを、レセルが瞬時に判断し、ネアの体を動かして受け流す。
『大丈夫よ。焦らないで。……はい、体の主導権を返すわ』
身体は自然に前へ。
飛んでくる魔法を叩き落とし、回避し、距離を詰めていく。
そして剣が振るわれると、火花が散り、相手の手から杖が滑り落ちた。
ネアの足元で、金属が転がる音だけが響く。
あとに続くのは沈黙。
誰も傷つけていない。
だが、誰も立ち上がれない。
「終わり……?」
声を漏らすと、レセルの笑い声が返ってきた。
『ええ。誰もあなたを傷つけることはできずに、決着がついたわ』
ネアは剣を軽く掲げ、夜の風を吸い込む。
周囲の空気は、さっきまでの緊張を失い、静けさを取り戻していた。
「……無傷で返り討ちにするのは、私一人じゃ無理だった」
『わたしたちは二人で一つ。そうでしょう?』
「うん。ありがとう」
剣がかすかに振動する。
夜の狩猟祭、その闇の中で振るわれた刃は、まるで小さな月のように揺れていた。
沈黙のあと、転がった武器の金属音だけが響く。
立っているのは、ネアただ一人。
襲ってきた者たちは、腕や肩を押さえながら痛みに顔を歪めている。
致命傷こそないが、もう立ち向かう気力は残っていなかった。
ネアは剣を下ろし、ゆっくりと前へ。
その足音だけで数人が息を呑む。
「……ねえ」
静かな声。
しかし、その響きには迷いがなかった。
「襲ってきたの、そっちだよね」
誰も答えない。
ネアは目を細め、剣先で地面を軽く叩いた。
「だったら、証を少し、貰うね」
短く告げる声が、夜の空気に流れる。
驚いたように顔を上げる者がいたが、誰も抵抗しようとはしなかった。
ネアはしゃがみ込み、落ちていた小さな金属を拾い上げる。
そして周囲を見渡し、手を差し出す。
「寄越して。少しでいい」
誰もが渋い顔をしながら、腰の袋を外して差し出した。
それを皮切りに、他の者たちも次々と証を投げ出していく。
「……くそ、覚えてろよ」
「好きにすれば」
ネアは肩をすくめた。
その表情には怒りも怯えもない。
ただ淡々とした現実だけがあった。
「集団で襲ってきて負けたんだから、文句を言う筋合いはないでしょ」
冷ややかな言葉に、相手は何も返せなかった。
やがて彼らは、悔しそうに舌打ちしながら夜の路地に消えていった。
残されたのは、地面に散らばる十数個の“証”。
ネアはそれらも拾い集め、腰の袋に入れる。
『ふふ……思ったより稼げたわね』
「向こうが集団だったから」
レセルの声に、ネアは小さく息を吐いて笑った。
月光が剣を照らし、血の一滴もついていない刃が静かに光る。
「この調子なら……優勝も、夢じゃないかも」
『ええ。あなたとわたしが力を合わせれば、可能性はある』
「初参加で優勝。大騒ぎになるかな」
『なるでしょうね』
夜風が吹き抜ける。
少女と魔剣の影が、瓦礫の上で一つに重なった。
静かな勝利の余韻を残して、ネアはわずかな休憩のあと歩き出す。




