47話 喝采と焦燥
王都ではざわめきが広がっていた。
轟音とともに倒れ伏したドレイクの巨体を、群衆が信じられないものを見るように見つめている。
「おい、見たか? 一人の少女が……!」
「誰だ、あれ……?」
観客のあちこちでそんな声が上がる。
その問いに、誰かがぽつりと答えた。
「名簿に書いてあったのは……ネア、だ」
名前が出た瞬間、ざわめきはさらに膨らんでいく。
人の波から少し離れた露店の軒先。
そこに腰を下ろしているのは、赤褐色の髪をした兄妹。
兄であるカイランは、喧噪の向こうで笑みを浮かべた。
「へっ……やっぱりな。やってくれると思ってたぜ」
手の中の銀貨を指先で弾く。
その音は小気味よく鳴った。
「賞金が貰えるくらいの活躍をする方に銀貨一枚賭けてたが……これで百枚だ」
「……ふうん。兄貴にしてはずいぶん控えめだったじゃん」
隣で腕を組んでいる妹のリサナが、呆れたように言う。
カイランは眉を上げる。
「優勝まではさすがに無理だろ。というかなんだよ。お前も賭けてたろ?」
「まあね。金貨を一枚。おかげで百枚になった」
「はっ、まったく気前がいいじゃねぇか。ずいぶん期待してたんだな」
軽口に対してリサナは軽く笑った。
しかし、その目はどこか鋭い。
「ネアと一緒にいた白い髪の子、見たでしょ。……あれを見て、あたしは賭けることにした」
「ふむ?」
「ネアは“王都で仲良くなった”って言ってたけど──王都に来てから、まだそう時間が経ってない。それなのに狩猟祭に一緒に参加するなんて、普通じゃない」
リサナの声は低く、静かだった。
それは祭りの喧噪にかき消されるほどの小ささ。
カイランは軽く頷き、周囲をちらりと見回す。
彼らの近くでも、観客たちは口々にネアの名を噂している。
「誰だ」「どこの貴族の娘だ」「教会関係者か」──そんな憶測が飛び交う。
誰もが、見知らぬ少女へ夢中になっている
「……ま、隠してることについては、祭りが終わればわかるだろうさ」
カイランはぼそりと呟き、口の端を上げた。
「これだけ派手にやりゃ、どいつもこいつも放っておかねぇ」
その言葉には、呆れと期待、そしてどこか不穏な予感が混ざっていた。
ネアの剣が王都の空気を震わせたその瞬間、彼女の名は確かに狩猟祭という舞台に刻まれた。
◇◇◇
人々の歓声が、王都の上空まで響いていた。
狩猟祭の舞台を一望できる観覧席──貴族や富裕層専用の特別な高台からも、その光景ははっきりと見えた。
「……まさか、あれほどの魔物を倒すなんて」
観客の一人であったユニスは、軽く目を見張り、金の髪を揺らしながらわずかに身を乗り出す。
舞い上がる砂煙の中、茶色の髪の少女──ネアが剣を掲げる姿は、遠くにあってもはっきりと見えていた。
「おやおや。どうやら、我々が思っていた以上の人物だったようだ」
隣ではバゼムが、飲み物の入ったグラスをくるくると回しながら微笑む。
その声は柔らかいが、目は鋭い光を宿している。
「それは純粋な賞賛の言葉?」
「もちろん。素晴らしい戦いぶりだった。まるで、何かに導かれているように思えるくらい」
「……“何か”、ね」
ユニスは銀の目をわずかに細めた。
バゼムの視線の先を追えば、広場に倒れるドレイクと、その前に立つネアの姿。
しかし、そのそばには、これまで常に見えていた“白い髪の少女”の姿がない。
「……気づいたの?」
「見ればわかるさ。彼女と一緒にいた白い髪の少女が、戦闘の最中に忽然と消えた。だが、剣の扱いはそこからまるで別人のように冴えていた。──つまり、そういうことだろう」
バゼムは小さく笑みを漏らした。
「彼女が使っているのは、間違いなく“魔剣”だ。こちらにはヴァニティアとその使い手がいる。それを思えば、容易に想像できる」
「…………」
ユニスは黙して応じない。
けれど、その沈黙自体が肯定であることを、バゼムは理解していた。
「知らなかったよ、ユニス。あの子が魔剣使いであることを黙っていたのは──君の小さな策略というやつだろう? あるいは反抗心? いや、見事だ。実に効果的だった。気づくのが遅れてしまった」
皮肉交じりの微笑み。
ユニスは軽く息を吐き、視線を外す。
「策略なんて大げさです。彼女がどういう存在かは、私自身、はっきりとは知らなかっただけ」
「なるほど。だが、少なくとも面白い逸材を手の内に抱えていたことは確かだ」
バゼムは顎に手を当て、わずかに眉を寄せた。
浮かび上がるのは後悔。
「……まったく、忙しさにかまけて、彼女の素性を調べることを後回しにしたのは失策だった。これほどの力を持つとは、想像もしていなかったからね」
グラスを置くと、バゼムは苦笑を浮かべる。
「もし最初からわかっていれば、もっと強引にでも囲い込んでいたよ。だが、もう手遅れだ。──この活躍を見た以上、王都中の貴族が目をつける。今さら何をしても、目立ちすぎる」
「……ふうん。珍しい。あなたが手遅れという言葉を使うなんて」
ユニスのやや皮肉げな言葉に、バゼムは軽く肩をすくめた。
「グラニエ家の者として、いろいろ動いているからこそ、わかるんだ。だがね、まだ終わりじゃない。これからどう動くか──それで、すべてが決まる」
彼の声には、なおも余裕と含みがあった。
まるで、狩猟祭の喧噪の先にある、次の戦場をすでに見通しているかのように。
◇◇◇
焦げた風が、髪をかすめた。
地面には焼け焦げた魔物の残骸と巨大な爪痕。
ミリアは息を吐き、杖を支えに膝をつく。
「……ふぅ。なんとか倒した……」
周囲にいた他の参加者たちは、息を荒げながら魔物の証を奪い合っている。
彼女はその隙をついて手を伸ばし、誰よりも先に証を握り締めた。
「取った! ほら、こういうのは素早さが肝心なのよ」
誰にともなく言い放ちながら、内心では安堵と焦燥がないまぜになっていた。
額を流れる汗を拭い、火照った頬を冷ます。
──それでも、心は晴れなかった。
風に乗って聞こえてきた噂。
少女がたった一人で、あのドレイクを討ち取ったという話。
「ネアが、一人で……?」
信じたくない、と思った。
自分が苦労して必死に戦ってようやく倒した相手より、もっと強大な魔物を。
それを、たった一人で。
胸の奥で何かが軋んだ。
「……っ、私だって……努力してきたのに」
杖を強く握る。
手のひらに刻まれたマメが、ひりついた。
──小さいころから、魔法の勉強ばかり。
──貴族の娘たちが遊ぶ時間も、私は詠唱と呪式の練習。
──けれど、成果は出ない。落ちこぼれと笑われる毎日。
それでも、リュミナ先輩が言ってくれた。
『あなたの努力は、決して無駄にならない』
あの言葉だけが、私を繋ぎとめてくれた。
だからこそ、ここまで来られた。
折れずにいられた。
「……先輩……私、もう少しで……あなたを」
呟く声はかすれている。
けれど、ドレイク討伐の報がその希望を踏みにじるように響いた。
優勝が、遠のいていく。
焦りが喉を焼く。
このままでは、また“報われない側”に回る。
それだけは、もう嫌だった。
「いざとなれば……奪えばいい」
唇が震えながらも、言葉がこぼれた。
自分でもぞっとするほど自然に出た声だった。
狩猟祭において証は力の象徴。
魔物を倒すか、参加者から奪うか。
勝者に道徳など必要ない。
「ネア……ふふ、油断してると背中から刺しちゃうかもね」
呟く声に、かすかな笑みが混じった。
その瞳には焦りと共に、別の色が宿り始めている。
信仰──いや、執着。
リュミナ・リーシェル=ヴェルネ=グラナード。
あの完璧で、美しく、誰よりも清らかな人。
その名を胸に抱くたび、胸が焼けるように熱くなる。
「私の邪魔になる者は、排除する」
焦げた風が再び吹く。
ミリアは振り返らず、杖を握り直した。
魔法の光が、まるで祈りのように指先からこぼれる。
けれど、その祈りは救いのためではなく、もっと異質で歪んだ熱を帯びていた。
「絶対に、優勝する。どんな手段を使ってでも」
その呟きが風に消える頃、ミリアの背に黒い影がそっと寄り添っていた。




