46話 ドレイク討伐戦
夕陽が王都の屋根を赤く染め、石畳の影が長く伸びていた。
祭りの喧騒はそのままに、しかし空気は少しずつ変わり始めている。
上空では、数頭のワイバーンが隊列を組んで飛び、その爪に吊るされた巨大な檻を慎重に運んでいた。
檻の中では、鎖に繋がれた大型の魔物が暴れ、鉄格子が軋む。
観客席からは悲鳴と歓声が入り交じる。
「……小型のはほとんど倒されたみたいね」
「ってことは、次は」
「大型の魔物よ。気を引き締めていきましょう」
レセルの言葉に頷きながら、ネアは視線を上げる。
一番近くの広場では、ワイバーンがちょうど巨大な檻を下ろすところだった。
鉄の扉が開けば、この一帯は再び戦場になる。
その途中、ミリアがふと立ち止まる。
「ねえ、ネア。あんた、魔法使わないの? 生まれつき持ってる方のやつ」
「使わない。戦闘向きじゃないから。使うのは剣だけ」
「ふーん。ま、剣も悪くないけどね」
軽口を叩きながらも、ミリアの瞳にはどこか遠い影があった。
ネアは逆に問い返す。
「ミリアは、魔法……すごいよね。生まれつき持ってるやつじゃなさそうだけど、小さい頃から学んでたの?」
「そりゃそうよ」
誇らしげに胸を張る。
「よちよち歩きの頃から杖を握らされて、寝ても覚めても魔法の詠唱。物心ついたときには、火の玉の一つも出せなきゃ怒られる家だったわ。それで、ある程度育ったらお高い魔法学校にね。貴族の子女が通うようなところ」
「へえ……すごい」
「まあ、最初のうちはね」
短く笑ったあと、彼女は視線を逸らした。
「途中からはちょっと、いろいろあってさ。成績とか、ね。でも……リュミナ先輩と出会ってから、全部変わったの」
声の調子がわずかに変わる。
そこから、彼女は延々と話し始めた。
リュミナの授業態度がいかに完璧だったか。
どんな貴族でも頭が上がらないほど聡明だったか。
眠そうな顔で祈りを捧げる姿すら神々しかったこと。
その語り口は、称賛というよりも“陶酔”に近いものだった。
レセルは何も言わず、ただじっとミリアを見つめていた。
ネアは相槌を打ちながらも、胸の奥に奇妙なざらつきを覚える。
(……この人、リュミナのことになると、少しおかしい)
言葉には出さなかったが、確かに何かが“狂っている”。
やがてミリアは、はっと我に返ったように口を閉じると、話題を変えた。
「ごめんごめん、つまんない話をしたね。……あんたは? 小さい頃どんな感じだった?」
「私?」
ネアは少し迷い、そしてぽつりと話し始めた。
「小さな村で育ったよ。毎日畑を手伝って、朝はニワトリの声で起きて。……でも、ある日、村の人たちは私を“禁呪の生贄”にするって決めた」
ミリアの表情が変わる。
ネアは静かに続けた。
「それで、儀式の途中で吸血鬼が村を襲って、みんな死んだ。悲しいという気持ちは……なかった。生き残ったのは私だけ」
夕暮れの風が吹き抜け、長く伸びている茶色の髪が揺れた。
「……でも、村が滅んだからこそ、王都に来れた。何もないまま生きてたら、一生あの小さな村から出られなかったかも」
言いながら、ネアは自嘲するように笑った。
ミリアはその顔をじっと見つめ、ふと呟く。
「……羨ましいな」
「え?」
「なんでもない」
ミリアは軽く頭を振り、無理やり明るい声を出す。
「さて、そろそろ次の魔物が放たれるわけで。……ねえ、ネア」
「なに?」
「この祭りで、あんたは何を手に入れたい?」
「え……」
「私はね、欲しいものがあるの」
ミリアの瞳が一瞬だけ光を帯びる。
「でも、それは秘密。言ったら、叶わなくなるから」
その笑顔には、どこか不安定な影が宿っていた。
その直後、遠くで鉄の軋む音が響く。
ワイバーンが次々と檻を地面に降ろし、狩猟祭の第二幕──大型の魔物との戦いが、始まろうとしていた。
「急げー!」
「出てくる前に用意を整えろ!」
「でかい得点を手に入れて賞金を貰うぞ!」
地鳴りが続いていた。
道がかすかに揺れ、土煙が立ち上る。
その中心にいたのは──建物の二階ほどもある灰褐色の魔物。
翼を持たず、しなやかな脚で地を蹴る。
背には骨の突起、尾は槍のように太く長い。
「大きい……!」
ネアが息を呑む。
「あれはドレイク。走竜とも呼ばれる魔物。昔、わたしが世界を放浪していた時、わたしの一時的な持ち主となった者が戦うのを何度か見てきたわ。……結果は、死ぬか大怪我するかのどっちかだけど」
レセルは冷ややかに言う。
「空を飛べない代わりに、陸ではほとんどの魔物を圧倒する。皮膚は硬く、炎や矢では貫けない」
周囲では複数の参加者たちが戦っていた。
武器や盾を持つ者が前衛を張り、後衛の弓使いや魔法使いが遠距離から攻撃を放つ。
だが、ドレイクは身をよじって尾を振るい、すべてを薙ぎ払う。
金属の衝突音、怒号、悲鳴、それらが辺りに響く。
「くそっ、攻撃が鱗を通らねえ!」
「盾を構えろ! 尾が来るぞ!」
叫びが飛び交うが、誰も決定打を与えられない。
硬い鱗に刃が弾かれ、逆に衝撃で腕を痛める者すらいた。
ネアはレセルと共に、少し離れた場所からその光景を見ていた。
「どうする? あの様子じゃ、まだ手出しできなさそう」
「同感ね。今は様子見が賢明。無策で飛び込めば、すぐにやられるわ」
ドレイクの咆哮が響き渡る。
振動が肌を震わせ、地面の小石が跳ねた。
ネアは唇を引き結びながら剣を握る。
(……あんなの、まともに戦えるの?)
思考が揺らいだその時、ミリアがふいに口を開いた。
「ねえ、二人とも」
いつもの調子とは違う。
声の奥に、どこか焦りにも似た感覚があった。
「私、行くわ」
「え?」
「ここは時間の無駄。あのドレイクは得点が高いけど、効率が悪すぎる。優勝を狙うなら、こういう場所に留まってちゃダメなのよ」
ミリアは言い終えると、迷いもなく踵を返した。
走り出す背中に、夕陽の光が揺れる。
「待っ──」
ネアが呼び止めようとした時には、もう彼女は角を曲がっていた。
「……行っちゃった」
「優勝を本気で狙ってるみたいね」
レセルは目を細め、ドレイクから視線を外さずに呟く。
「効率的な戦いを選ぶのは悪くないけど、焦りがあり過ぎる。狩猟祭で“何かを手に入れたい”って言ってたでしょ。それが彼女の目を曇らせてる」
「……そう、なのかな」
ネアは複雑な気持ちで息を吐く。
その間にも、ドレイクは暴れ回り、尾の一撃で建物の壁を粉砕した。
破片が降り注ぎ、叫び声があがる。
ネアの指がわずかに震える。
「ねえ、レセル」
「なに?」
「……もう少し、見ていよう。あの魔物の動き、まだ掴めてないから」
「いい判断ね」
夕陽が沈みかけ、王都の空はさらに色を変えていこうとしていた。
その中で、翼を持たない竜の咆哮が轟く。
地響きと咆哮が、王都の空気を震わせていた。
広場を支配するドレイクは、尾を振り回しながら地面を抉り、近づく者を次々と吹き飛ばしていく。
「こりゃダメだ、距離を取れ!」
「一旦下がって態勢を整えろ!」
参加者たちが次々と退き、広場の外縁へと集まっていく。
地面には折れた槍や割れた盾、黒く焦げた石片が散らばっていた。
「……どうする? 正面からじゃ勝てないぞ」
誰かが唸るように言う声が、風に混じって届いた。
ネアは少し離れた場所で、その様子を見つめていた。
やがて、レセルに小さく声をかける。
「レセル、あの建物、登れる?」
「もちろん。あなたが行くなら、わたしも一緒に」
二人は瓦礫の残る建物の側面をよじ登っていく。
途中、崩れかけた壁を蹴り、木の梁に手をかけ、屋上に出た。
そこからは、広場全体と暴れ回るドレイクがはっきり見えた。
「……あの頭、頑丈そうだけど、隙がある」
「ええ。上からなら首の付け根を狙えるわ」
レセルの声が低く響く。
ネアは一度屋内に降り、レセルを見つめた。
「ここは人に見られない……剣に戻って」
「ふふ、わかった」
赤い瞳が細められ、次の瞬間、白い髪の少女は光に包まれる。
その手に触れた瞬間、鋭い金属の冷たさが手のひらに広がった。
『いつも通りに。わたしが支えるから』
「うん。行こう」
まずは深呼吸。
そのあとネアは屋上の端へ立ち、ドレイクを見下ろす。
暴れる巨体、うねる尾、噴き出す息の熱気。
少しでも遅れれば、突き刺す前に叩き潰される。
『恐れないで、ネア。あなたの脚も腕も、わたしが動きの後押しをしてあげる』
「うん……信じてる」
覚悟を決めると足場を蹴った。
全身に風が当たる。
建物の屋根から飛び出したネアの身体が、夕陽の中、弧を描く。
ドレイクが気づいて頭を上げた瞬間、ネアは全身の力を込めて剣を突き出した。
「──っ!!」
鈍い音。
硬い鱗を裂き、剣が首の付け根に深々と突き刺さる。
巨体が仰け反り、咆哮が空を裂いた。
血と蒸気が噴き上がり、周囲の建物を震わせる。
『離れなさい!』
レセルの声に反応し、ネアは剣を引き抜いて転がるように地面へ。
なんとか無事に着地した時には、息が荒くなっていた。
「……やった、の……?」
かなりの怪我なのか、ドレイクが膝をつく。
尾が瓦礫を巻き上げながら地に叩きつけられ、苦しげな咆哮が漏れる。
ネアは立ち上がり、体勢を立て直すと、一気に距離を詰めた。
「これで、終わらせる!」
剣が閃く。
首元を狙い、二撃、三撃。
そして、最後の一撃がドレイクの眼下を貫いた。
巨体が崩れ落ちる。
地面が鳴動し、砂煙が上がる。
広場の参加者たちは一斉に息を呑んだ。
「おいおい……嘘だろ」
「あの子が仕留めたのか?」
「普通の剣は効かなかったのに、ずいぶん良い武器持ってるな」
驚愕と歓声が混じり、広場がざわめきに包まれる。
ネアはゆっくりと剣を引き抜き、血飛沫を払った。
手の中の魔剣は柔らかな声で褒める。
『よくやったわ。完璧よ』
「ううん、レセルのおかげ」
その言葉に、剣であるレセルはくすりと笑う。
夕陽が沈み、夜の闇が空を覆い始める中、ネアの勝利は人々に確かに刻まれていた。




