35話 赤褐色の髪をした兄妹との再会
まばゆい朝の光が、重厚なカーテンの隙間から差し込んでいた。
宿屋とは比べものにならない広さの部屋。
柔らかなベッド、磨き抜かれた家具、窓辺に置かれた花瓶の花からは、かすかに甘い香りが漂う。
グラニエ家の客人として、一時的に与えられているこの空間は、村育ちのネアにはまだ落ち着かない場所だった。
けれど、一番の問題はそこではない。
「……ん」
目を開けると、視界いっぱいに広がる白い髪。
柔らかな感触とともに、腕と足がしっかりと絡め取られている。
人の姿をしたレセルが、まるで子どもみたいに抱きついて眠っていたのだ。
「ちょ、ちょっと……」
身じろぎしてみるが、レセルの腕は思いのほか強く、簡単には抜け出せない。
寝息は穏やかで、赤い瞳は閉じられたまま。
「……なんで人の姿のままで寝てるの」
ささやくように言うと、返事の代わりにぎゅうっと抱きしめられる力が強まった。
ネアは諦めて、天井を見つめながら深く息を吐いた。
「……んふふ、つかまえた」
耳元で甘い声が漏れる。どうやら完全に起きていたらしい。
「……起きてたの?」
「ええ。わたしは眠る必要がないもの。あなたが目を覚ます瞬間を一番近くで見たかったから」
「……そういうこと、平然と言わないで」
「本当のことを言ってるだけよ。それと安心して。人の姿でいるのは、他人の目がない時だけだから」
楽しげに笑い、レセルは髪をすり寄せてくる。
ネアは心の中で頭を抱えつつも、突き放すこともできず、ただ抱きしめられたまま固まっていた。
その後、朝食を終えたあと街へ出る準備をしていると、他人の目がある時は剣の状態でいるレセルが軽やかに言った。
『今日は武器を探しましょう』
「武器?」
『そうよ。わたしが人の姿でいるとき、あなたは素手。狩猟祭に出るにしても、普段の鍛錬にしても、何か手に馴染むものを持っておくべき。そうでしょ?』
さらりと言うが、要するにまた二人で街中を回りたいだけなのは明らか。
ネアは小さくため息をつきつつも、確かに一理あると頷いた。
◇◇◇
王都の鍛冶屋街は、狩猟祭の準備でどこも大忙しだった。
軒先には槍や剣などの武具がずらりと並び、職人たちの金属を打つ音が途切れることなく響く。
けれど、いざ何か注文しようとしても、返ってくるのは同じ答えだけ。
「狩猟祭が終わるまで新しい注文は無理だ」
「どうしても欲しいなら出来合いのものを持って行ってくれ」
薦められる剣や槍をいくつか手に取ってみたが、どれも微妙に違和感があった。
重さ、柄の太さ、刃の長さ……指先がかすかに拒む。
「……うーん、馴染まない」
思わず呟くと、レセルが隣で楽しそうに笑う。
グラニエ家の屋敷を出たあと、人目に注意しつつレセルは剣から人の姿になっていた。
「当たり前よ」
「え?」
「だって、あなたの手はもう、わたしに馴染んでいるから。わたし以外じゃ物足りなくなってる」
軽い調子で言っているのに、妙に真剣にも聞こえる。
ネアは思わず眉をひそめた。
「……ねえ、レセル。なんか最近、グイグイ来るようになってない?」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないと思う」
「なら、そういう時期なのよ。わたしがあなたを欲しがる時期」
悪びれずに言い切られて、ネアは言葉を失う。
その横顔は、ふざけているようにも、本気で告白しているようにも見えた。
どう返せばいいのかわからず、ネアは手にしていた剣をそっと棚に戻した。
「ふう……」
「ネア、あそこ見て」
「ん?」
鍛冶屋街を離れ、石畳をあてもなく歩いていると、人混みの先に見覚えのある後ろ姿があった。
赤褐色の髪が陽に照らされる、軽く着崩した服装の男性。
その隣には、同じ赤褐色の髪をスカーフでまとめた女性。
「……カイランとリサナ?」
思わず足を止める。
けれど二人はこちらに気づかず、目の前の女性に言葉を返していた。
相手は女神教の修道服を身にまとったエルフの女性。
亜麻色の髪を後ろでまとめ、透き通るような緑の瞳は冷ややかに光っている。
「……魔神教の者の協力を得るということは、間接的にでも復活の手助けをしているのと同じこと。あなたたちがどう弁解しても、女神の御心には背いているのです」
静かだが、棘のある声。
通りを行き交う人々も足を止め、ちらりと視線を送っていた。
カイランは気まずそうに頭をかき、ぶっきらぼうに言い返す。
「……本気で復活を願ってる奴なんかじゃねえ。ただ力目当てに入った奴に頼んだんだ。割り切れる相手だったからな」
リサナも口を挟みかけたが、エルフの女性はそれを遮るように肩をすくめた。
「そうやって軽く考えることが、巡り巡ってあなたたち自身を傷つける可能性があるのです。魔神教は、そういうものですよ」
淡々とした声に、カイランは言葉を詰まらせる。
周囲の視線も相まって、空気が妙に張り詰めていた。
ネアはたまらず歩みを進め、三人のもとに近づいた。
「……あの」
声をかけると、カイランがこちらを振り向き、驚いた顔を見せる。
「おっと、こりゃ……嬢ちゃんじゃねえか!」
にやりと笑ったその表情には、ほんのわずかに安堵の色が混じっていた。
「知り合いなんです。そこの二人は悪い人じゃありません」
ネアが一歩踏み出し、落ち着いた声で告げる。密輸という悪いことはしているが、それについては言わない。
エルフの女性は細い眉をわずかに動かし、ネアを見つめ返した。
「……あなたは?」
「ネアです。オルヴィク家のユニス……様に雇われています。今はグラニエ家でお世話になってて」
素直に名乗りつつも、貴族との繋がりがあるのを知らせると、エルフの女性はほんの一瞬だけ微笑を浮かべた。
だが、その目はどこかじっとりと観察するように、ネアを舐めるように見てくる。
次の瞬間、隣に立つレセルへと視線が流れた。
「ふむ……まあいいでしょう」
赤い瞳を一瞥すると、エルフの女性はふっと口を閉じ、そのまま背を向けて去っていった。
残された空気の重さに、カイランが大きく息を吐く。
「ふぅ……嬢ちゃんが来てくれたおかげで、長ぇ説教を聞かずに済んだぜ。助かった」
「……ったく」
リサナが腕を組み、じっとりとした目で兄を睨んだ。
「兄貴が余計なこと言わなきゃ、あのエルフに目をつけられることはなかったんだけど?」
「いやいや、一発でゴーレム馬を見抜いてきたんだぞ? 普通、あんなの気づかねえだろ。びっくりして、つい口が滑ったんだよ」
肩をすくめる兄に、妹はさらに冷たい視線を向ける。
そんな兄妹のやり取りに、ネアは苦笑を浮かべつつも、先ほどの視線の重さが心の奥に残っていた。
ひとまず場が落ち着くと、カイランが肩を回しながら言った。
「そういや、どうして俺たちが王都に向かうのか言ってなかったな。もちろん、今回の狩猟祭だ。武器やら防具やら、需要が跳ね上がるからな」
「つまり……密輸品を売りに?」
「おいおい、そんなはっきり言うなよ」
軽く笑って誤魔化すが、隣のリサナは冷ややかに補足する。
「もう売り捌いたし、あたしたちの仕事はひとまず終わり。以前よりも売れ行きがよくて、あっという間に全部売れた」
さらりと言い切るその様子は、相変わらず冷静。
ネアは少し迷ったが、自分のことも正直に話すことにした。
「……私は、今はグラニエ家でお世話になってる。貴族の客人として」
その言葉に、カイランが「ほう」と目を丸くし、口笛を一つ鳴らした。
「ひゅう、やるじゃねえか、嬢ちゃん。田舎者から、いつの間にそんな出世したんだ?」
「出世っていうか……巻き込まれてるだけなんだけど」
「巻き込まれて貴族の客人扱いか。羨ましいもんだな」
肩を揺らして笑うカイランに、リサナが呆れた声をかける。
「……やれやれ、兄貴はすぐそういう言い方するんだから」
何気ないやりとりに、ほんの少し安堵を覚える。
狩猟祭を前に王都全体が慌ただしく動いている中でも、こうして知り合いと再会できたことは、不思議と心を落ち着けてくれた。
「ところで」
カイランの視線が、ネアの隣に立つ白い髪の少女へと移った。
赤い瞳を細め、穏やかな様子のレセル。
「そっちの白い髪の嬢ちゃんは……知り合いか?」
探るような口調。
ネアは一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに答えを整える。
「……王都で仲良くなったんだ。一緒に過ごしてる」
意思を持つ魔剣という重要な部分は、もちろん伏せた。
「ほうほう……仲良く、ねえ」
カイランはにやりと口角を上げ、指笛を鳴らすように口笛を吹いた。
「へえ、デートかよ。なるほどな、さっきの雰囲気でピンと来たぜ」
「デ、デートって……!」
慌てて否定しかけるネアの横で、レセルは涼しい顔をして微笑むだけだった。
リサナは深いため息をつき、ネアへと軽く頭を下げた。
「……うちのバカ兄貴がごめんね。調子に乗るのは昔からなの」
「おい、バカ兄貴って言うな」
「事実でしょ」
あっさり切り捨てられて、カイランは頭をかきながら苦笑する。
その光景に、ネアはどこか懐かしい安心感を覚えた。




