34話 訓練という名のデート
王都テルディの大通りは、狩猟祭を控えてまるで別の場所になったかのようだった。
石畳には鮮やかな布飾りが張り巡らされ、店先には大小さまざまな旗が揺れる。
通りを行き交う人々の表情も明るく、祭りの前特有の熱気が肌を包み込んでくる。
「……初めて来た時よりも人が多い」
ネアは思わず小声で漏らした。
人混みに押し流されそうになり、肩がわずかに強張る。
すぐ隣で、白い髪に赤い瞳の少女──人の姿を取ったレセルが、軽やかに笑った。
「当然よ、布告から何日か過ぎているんだもの。この賑わい、あなたもちゃんと歩きなさい」
そう言って手を差し出される。
ネアは少しだけためらったが、結局はその手を取った。
細くて柔らかい指先から温もりが伝わってくる。
「……わざわざ手を繋ぐ必要、ある?」
「あるに決まってるじゃない。人が多いから、はぐれたら困るでしょう?」
「でも……」
「それに、わたしが繋ぎたいの」
にっこりと笑うレセルに、返す言葉を失う。
ネアは視線を逸らし、人々の群れへと歩みを合わせた。
広場の一角では、楽団が笛や太鼓を鳴らし、子どもたちが歓声を上げている。
魔法で浮かぶ光の球が、昼間だというのにきらめいていた。
「まだ始まってないのに派手で賑やか……。村のお祭りなんて、せいぜい歌ったり踊ったりくらいだったのに」
「ふふ。ネア、あなたにはまだまだ見せたいものがたくさんあるわ」
「……なんだか、からかってない?」
「からかってなんていないわ。真剣に言ってるの。だって、あなたが新しい世界を知っていく姿を、一番近くで見ていたいんだもの」
率直過ぎる言葉に、胸の奥がくすぐったくなる。
ネアは思わず歩幅を早め、レセルを少し引きずる形になった。
「ちょっと速いわよ。そんなに逃げなくてもいいのに」
「別に逃げてないし。ただ……早く見て回らないと、全部は見られなさそうだから」
「はいはい、言い訳ありがとう。まだ祭りが始まるまで何日もあるのに」
軽い調子のやり取りが続く。
どれだけ人混みの中にいても、繋いだ手がある限り、不思議と心細さは薄れていた。
賑やかな通りを進んでいると、子どもたちの輪に引き止められる。
木の枝を剣に見立てた少年が胸を張る。
「お姉ちゃんも一緒にやろうよ!」
「わ、私?」
「そう! 魔物をやっつけるごっこだ!」
断る間もなく、枝の剣を押しつけられる。
ネアは苦笑しつつも構えを真似る。
数回ほど軽く枝を打ち合わせると、子どもたちは歓声を上げて跳ね回った。
「やっぱり強いなあ!」
「本物の冒険者みたい!」
無邪気な声に、ネアは少し肩の力を抜き、枝を子どもに返した。
そんな時、地面に落ちる影に気づく。
「……?」
顔を上げれば、青空を横切る黒い影。
数頭のワイバーンが編隊を組んで飛んでいた。
どの背にも人影があり、槍や弓を携え、空から王都を見下ろしている。
「すごい……」
思わず呟くと、近くにいる子どもが得意げに言った。
「お祭りが近いからだよ! 空からも見張ってるんだ!」
「狩猟祭のときに魔物が暴れすぎないようにするんだって!」
声を弾ませて説明し、再び遊びに戻っていく子どもたち。
残されたネアは、もう一度空を仰いだ。
青空を背景に飛ぶワイバーンの影は、美しさと同時に、王国の力強さを思わせる。
「……さすが、王都」
小さく呟いたその時。
隣に立つレセルが、誰にも見られないよう指先をそっと絡めてきた。
「人混みや空の見張りが、どれだけ賑やかでも、わたしたちは二人きり」
「……目立つから、やめて」
「ふふ、子どもたちには見えてないから大丈夫」
からかうような声に、ネアは視線を逸らすものの、絡められた指をほどこうとはしなかった。
◇◇◇
通りを進むほどに、狩猟祭の準備に追われる人々の姿が目立ってきた。
職人たちが汗をかきながら木材を運び、道具屋は布を張るのに必死。
広場では兵士が立ち止まって大声で指示を飛ばし、出店の主たちは慌ただしく屋台を組み立てている。
「……なんだか、ばたばたしてる」
「仕方ないわ。祭りまで一ヶ月もないんだから。儲けようと考えるなら、慌てるのも当然」
「でも、食べ物のお店は普通にやってるね」
ネアが指差したのは、香ばしい匂いを漂わせる屋台だった。
焼き串がじゅうじゅうと音を立て、甘い蜜に漬けられた果物が並んでいる。
「はい、まずはこれね」
レセルが迷いなく銀貨を払って、焼き串を二本受け取った。
一本をネアに突き出す。
「え、私も食べるの?」
「もちろんよ。あなたの分も買ったんだから」
「元は私のお金……というかそんなに食べられないけど」
「大丈夫。食べきれなかったら、わたしが食べてあげる」
軽口に返す言葉が見つからず、ネアはしぶしぶ串を受け取る。
一口かじると、香辛料の効いた肉の味が口いっぱいに広がった。
「……おいしい」
「でしょ?」
レセルは満足げに頷き、自分の串をぱくりと頬張る。
赤い瞳が楽しげに細められて、ネアは思わず視線を逸らした。
次に、果物の屋台。
蜜で照り輝く果実を、レセルがひょいと摘んで差し出す。
「ほら、口を開けて」
「え、いや、自分で……」
「訓練だと思いなさい。さあ」
言い逃れできずに、ネアは小さく口を開く。
甘酸っぱい果汁が広がり、思わず「ん」と声が漏れた。
「ふふ、可愛い」
「……レセル」
「何かしら?」
「そうやって、からかうのやめて」
「からかってないわ。本気で言ってるの」
レセルは蜜で光る指先を舐め取りながら、何気ない様子で続ける。
「あなたの茶色の瞳が、嬉しそうに揺れるのを見るのが好き」
「……っ」
心臓が跳ねた気がして、ネアは慌てて串をかじる。
塩気と香辛料の味で、どうにか誤魔化すしかない。
その横でレセルは楽しげに笑い、次はどの屋台に行こうかと視線を巡らせていた。
◇◇◇
食べ歩きをひと通り楽しんだあと、レセルはふいに立ち止まり、ある店の前を見上げた。
色とりどりの布が吊るされ、木製の看板には仕立て屋の文字。
「……次はここね」
「え、服屋?」
「そうよ。狩猟祭では服が破れるでしょう? いくらか替えを用意しておくべき」
「そんなの、今のでも……」
「だめ。わたしが納得しない」
言うが早いか、レセルはネアの手を引き、店内へずかずかと入っていった。
整然と並んだ衣服の数々。
鮮やかな布地、軽やかな鎧布、上品なドレス風まで種類は豊富だ。
「さ、試してみましょう。はい、これ」
「ちょっ、ちょっと待って……!」
次々と押し付けられる衣装。
ネアは半ば呆然としながら試着室に押し込まれた。
「どう、かな?」
カーテンを開けると、鮮やかな緑の布地のチュニックに身を包んだネアが立っていた。
茶色の長い髪が淡い緑とよく映え、落ち着いた茶の瞳も穏やかに引き立つ。
「よく似合ってるわ。森の精霊みたい」
「……からかわないでよ」
「本気よ。本当に綺麗」
真顔で言われ、ネアは言葉を詰まらせる。
次は軽鎧風の衣装。
革と布を組み合わせた実戦向けの装いだが、身体に沿ったラインが妙に女性らしさを強調していた。
「うん、これもいい。狩猟祭に出るなら、ちょうどいいかも」
「……動きやすいのは、確かだけど」
「ねえ、ネア。茶色の瞳って、光の角度によっては金色にも見えるのよ。戦場で目立つと思わない?」
「そんな風に考えたことなかった……」
レセルは満足そうに頷き、さらに別の服を差し出す。
今度は柔らかなワンピースだった。
「これは……祭り用、かな?」
「そう。戦うだけじゃなく、楽しむときの服も必要」
「そんなにたくさん買わないから」
「いいえ、必要よ。だって、あなたは私の主なんだから。どんな姿でも一番素敵に見えてほしいの」
言葉に押され、ネアは反論できない。
試着を繰り返すうちに、いつの間にか着せ替え人形のようになっていた。
最後にはすっかり疲れ果て、椅子に腰を下ろす。
買った衣服の入った包みを抱え込むネアを見て、レセルは満足げに笑った。
「ふふ、今日は良い買い物ができたわ」
「……私、狩猟祭より疲れた気がする。まだ参加してないけど」
「それなら大成功ね」
からかうように告げ、レセルは茶色の髪を指先でそっとすくい上げる。
「やっぱり、この色はどんな服でも似合う」
その甘い声に、ネアはただ小さくため息をつくしかなかった。
夕暮れが大通りを朱に染めていた。
人々の喧噪はなおも途切れず、祭りの準備に追われる職人の掛け声と、屋台から漂う香ばしい匂いが入り混じる。
ネアは両腕に抱えきれないほどの包みを抱え、ぐったりと歩いていた。
「……ほんとに、もう限界」
「大げさね。今日は少し見て回っただけでしょう?」
「少し……?」
恨めしげな視線を向けると、レセルは悪びれもなく笑った。
人の姿を取った魔剣の少女は、赤い瞳を輝かせながら軽い足取りで隣を歩いている。
広場の中央では、狩猟祭を告げる大きな布幕が掲げられ、太鼓の音が響いていた。
その音を合図にしたかのように、レセルが口を開く。
「狩猟祭まで、まだまだ日があるわ」
「……そうだね」
「だから、その間にもっといろんなことをしましょうね」
「いろんなことって……」
「食べ歩きも。買い物も。散歩も。あなたと一緒なら、全部がわたしにとって大切なことになるの」
軽やかに紡がれる言葉に、ネアは返す言葉を探せない。
ただ、祭りを控えた王都の夕暮れを眺めながら、腕に抱えた包みの重さと、不思議な温もりを同時に感じていた。
「……ほんとにもう、体だけじゃなく心も疲れた気がする」
「ふふ、それなら明日も訓練日和ね」
レセルの楽しそうな声が、祭り前の喧噪に紛れて響いた。




