33話 魔剣に囚われていた使い手
十数分後。
グラニエ家の使用人に案内されたのは、屋敷の一角にある静かな一室だった。
ベッドの端に腰掛けていたのは──黒い髪を短く切った女性。
燃えた部分の髪を無理やり整えたのか、切り揃えた部分は不揃い。
その黒い瞳は虚ろに揺れ、ときおり額に手を当てては、苦しげに顔をしかめていた。
「……っ、は……」
低いうめき声が漏れている。
案内役の説明によれば、瓦礫から救出された彼女は、数日の間ほとんど眠り続けるような状態だったという。
そして今──眠りから解放されたあとは、定期的な頭痛に悩まされているとのこと。
ネアは思わず足を止める。
けれど、やがて黒髪の女性は呼吸を整え、肩を震わせながらも顔を上げた。
黒い瞳が、まっすぐにネアを見つめる。
「……あなたが」
少しかすれた声で、彼女は口を開いた。
その視線には、怯えでも怒りでもなく、ただ確かめたいという色が宿っていた。
ネアは無意識に腰の剣へと手を置く。
レセルがわずかに震え、小さくささやいた。
『……気をつけて。彼女はまだ、記憶と現実の境界の上にいるわ』
ネアは小さく頷き、そっと息を吐く。
「私は、ネア。あの時、戦った相手だよ」
そう名乗った瞬間、女性の瞳がわずかに揺れた。
「……そう、やっぱり」
黒髪の女性は目を伏せ、短く息をする。
肩が震え、額に手を当てながら呟く。
「全部、頭の中に流れ込んでくるの。剣を振るっていた時の記憶、声……血の匂い。あれは、私の意思じゃなかったのに」
声は低く、かすれている。
けれどその顔は、不思議と絶望に沈みきってはいなかった。
「……怖かった。でも、笑えてくるのよ。まさか自分が乗っ取られるなんて。これでもそこそこ傭兵稼業をやってきたけど、こんな経験は初めてだわ」
自嘲めいた笑み。
その態度に、ネアはかえって戸惑った。
「……あなたは、私と戦ったことを覚えている?」
「もちろん覚えてる。炎に包まれた屋敷、剣を交えた瞬間……あなたの目も。あとは路地裏での戦いも、ね」
短くなった黒髪を掻き上げながら、彼女は苦い笑みを浮かべる。
「でも、不思議。私自身は後ろで見ているだけで、体を勝手に動かされていた。傀儡みたいに」
ネアの胸に、鈍い痛みが走る。
──もしレセルがそういう存在だったなら、自分も同じような状態になっていたのか。
「……怖く、なかったんですか?」
問いかけに、女性は少しだけ目を細めた。
「そりゃ怖かった。でも、それ以上に……意思を奪われることが、どれほど空っぽで惨めかを思い知らされた。あれは死ぬより嫌だった」
その言葉には、淡々とした強さがあった。
沈黙が落ちる。
やがて女性は自分を奮い立たせるように顔を上げ、問いかけた。
「……それで。あなたは何をしに来たの?」
ネアは深く息を吸い込んだ。
そしてまっすぐに言葉を返す。
「話をしたくて。ヴァニティアじゃなくて、“あなた自身”と」
黒い瞳が揺れ、驚いたように細く開かれた。
「……私自身、ね」
唇がかすかに笑みを形作る。
それは乾いていながらも、どこか安堵の色がにじんでいた。
「まずは自己紹介といきましょうか……私の名前は、リュナ。リュナ・アルヴェール」
黒髪の女性はそう名乗った。
「その辺にたくさんいる鳴かず飛ばずの傭兵でね。仕事を転々として、次の食い扶持を探してるうちに、グラニエ家の募集に釣られた。いやー、まさか魔剣の使い手になるとは思わなかったけど」
肩をすくめて苦笑するその様子は、妙にあっけらかんとしている。
ネアは少し身を乗り出した。
「実は……バゼムという人から誘われたんです。ヴァニティアと、その使い手と組んで、狩猟祭に出ないかって」
リュナは一瞬だけ目を瞬かせ、それから声を立てて笑った。
「ははっ。私は出ないよ。こういう祭りはね、見物するに限る。むしろ、こちとら休暇が欲しいくらいだから」
その言い草に、ネアは思わず首をかしげる。
「……休暇?」
「そう。操られてる間はずっと働き詰めみたいなものだったからねえ。今さらまた命懸けの舞台に立つなんて、冗談じゃない」
リュナはにやりと笑い、ふいに手招きをする。
「ちょっと来なさいな」
警戒しつつ近寄ったネアを、彼女はいきなり両腕で抱きしめた。
「わっ……!」
「ふふ、私より小さいのによく勝てたねえ、このこのっ」
リュナは加減しつつも、まるで妹でも抱くようにネアの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ちょ、ちょっと……!」
困惑して身をよじるネア。
腰の剣がかすかに震え、苛立ちの混ざった声が耳に届く。
『……は? なにこの女。気安くベタベタと触って……!』
ネアはどうしていいかわからず、固まってしまう。
するとリュナの腕がほんの一瞬だけぎゅっと強まる。
不意打ち過ぎる抱擁に戸惑っていると──彼女は扉の方へ視線を滑らせ、盗み聞きを警戒するように小さく息を吸う。
そして耳元に、ささやきが落ちた。
かすれた声、注意していなければ聞き取れないほどの小さな声。
「……バゼムって人は、敵でも味方でも厄介だから、気をつけて。敵対することを考えるなら、しっかりと準備をね」
声が耳をかすめた瞬間、ネアの背筋に冷たいものが走った。
言い終えると同時に、リュナはぱっと腕を解き、表情を切り替える。
今度は扉に視線を向け、わざとらしく明るい声で言い放つ。
「私の雇い主はバゼム様だからさ! もしかしたら、今後の状況次第では、また君と争うことになるかもしれないね」
にやりと笑いながら、人差し指を振ってみせる。
「そうならないように……君も気をつけてほしいな。それがお互いのためだから。ね?」
冗談めかした声に隠された棘を、ネアは敏感に感じ取った。
軽いやりとりを終えたあとは別室に戻り、待っていたバゼムに向かい合う。
「それで、彼女との話はどうだったかな?」
相変わらず人当たりのよい微笑み。だが、その目は笑っていない。
ネアは深呼吸し、まっすぐに告げた。
「組んで参加することはしません」
短く、迷いのない言葉。
バゼムは一拍だけ沈黙し、やがて「そうか」と頷いた。
「残念だが、君の判断なら仕方がない。だが、狩猟祭はまだ先だ。気が変わることもあるかもしれない。それを期待しても構わないかな?」
その言い方に、ネアは内心で身を固くする。
レセルがわずかに震え、どこか険しい声でささやく。
『……あの男、やっぱり信用できないわね』
ネアはそれとなく無言で頷き、バゼムの視線を正面から受け止めた。
◇◇◇
部屋に戻ると、ネアはまず窓のカーテンを閉めた。
外からの視線を遮ると同時に、室内を暗くすることで心のざわつきを落ち着けようとしたのだ。
すると腰に下げていた剣が淡く光り、次の瞬間、白い髪と赤い瞳をした少女の姿へと変わった。
「……レセル」
呼ぶ間もなく、彼女はそっとネアに歩み寄り、ベッドへと押し倒すように抱きしめた。
柔らかな温もりが重なり、あまりに唐突で、ネアは思わず声を上げる。
「ちょ、ちょっと! いきなり何するの!」
「ふふ……ごめんなさい。でも、今のあなたの顔を見てたら、どうしても我慢できなくて」
レセルは額をネアの肩口に預け、甘えるように呟く。
ネアは苦々しい顔で小さく息を吐き、しかし強く突き放すことはできなかった。
「……もう、ほんとに」
その小さな抗議を受け流すように、レセルは問いかけた。
「ねえ、ネア。狩猟祭はどうするの?」
「どうするって……」
「一人で参加する? それとも、他の誰かと組んで参加する?」
レセルの赤い瞳が、真剣にこちらを見つめる。
「グラニエ家とは組まないにしても、まだまだいろんな選択肢があるわ。見知らぬ者、知り合った者……あなたが望めば、誰とでも組める」
ネアは思わず言葉を詰まらせる。
あまりに急で現実感の薄い質問。
けれども、狩猟祭が近づく以上、決めなければならないことは確か。
「……一人で、出られるものなの?」
「さすがに出られるでしょ。でも、その分リスクも大きい。だからわたしは……」
レセルはさらに強く抱き寄せ、ささやいた。
「できれば、わたしと二人きりで挑んでほしい」
「え……!?,」
訪れるのは沈黙。
わずかに時が止まる、そう錯覚するほどの。
「……それは、人の姿のレセルって意味?」
恐る恐る問い返すと、白い髪の少女となったレセルは迷いなく頷いた。
「そうよ」
あまりにもあっさりと言われ、ネアは固まってしまう。
狩猟祭の間ずっと、人の姿をしたレセルが一緒にいる──想像しただけで不安が高まる。
「……でも、そんなの……難しいんじゃない? ずっと人の姿でいるのは」
ネアがしどろもどろに言うと、レセルは楽しげに微笑み、さらに抱き寄せた。
「ええ、難しいわ。だからこそ準備が必要なの」
「準備?」
「ええ。祭りが始まれば、王都はもっと賑やかになるでしょう? その前に、二人で慣れておかないと」
赤い瞳がきらりと輝く。
「だから……食べ歩きましょう。ご飯もお菓子も、二人で一緒に」
「な、なんでそうなるの!?」
「ふふ。だって、あなたと一緒に並んで歩くのは、わたしがしたいことだもの。それにこれは立派な訓練よ? 王都の地理を学ぶという意味でも」
ネアは何か言おうとするが、何も言えずに押し黙り、レセルの腕の中で小さく身じろぎするしかなかった。




