25話 替え玉としての初陣
翌日の朝。
屋敷の玄関先に、簡素な馬車と、護衛の兵士たちが並んでいた。
ネアは鏡の前で深呼吸をし、金色に変わった髪と銀の瞳をじっと見つめる。
「……やっぱり、慣れない」
そこに映るのは、ユニスと瓜二つの外見を持つ自分。
表情を引き締めようとするたびに、胸の奥にくすぐったい違和感が広がる。
『似合ってるけどねぇ……ネアの可愛さが半減してるのが気に入らないわ』
腰の鞘からレセルの声が響く。
ふてくされたような口調に、ネアは思わずため息をついた。
「半減って……。囮になるんだから、それでいいでしょ」
『良くないわ。わたしだけは本当のあなたを知っているのに、こんな仮面みたいなのは嫌』
「……今は仕方ないって」
刀身を指先で軽く叩いて宥めるようにそっと言うと、レセルは珍しく拗ねたまま黙り込んだ。
そうしていると、ユニスが姿を現した。
彼女は深緑のドレスではなく、街歩き用の落ち着いた外套を身にまとい、髪を布でまとめている。
隣に立つと、背丈も雰囲気も確かに似通っていた。
「……改めて見ると、本当に似てる」
「ふふ。なら効果は十分」
銀の瞳が淡く光り、ユニスは静かに頷く。
玄関の外では、衛兵隊長のガルドが腕を組んで待ち受けていた。
「ふむ……準備は整ったか」
「はい」
ネアが答えると、ガルドはじろりと視線を向ける。
眉間に皺を寄せながらも、ほんのわずかに頷いた。
「……なるほど。遠目には完全に“ユニス様”に見える。これならば敵も食いつこう」
「そんな物騒な言い方しないでください」
「策とはそういうものだ。今回行うのは、ある種の釣りのようなもの」
「釣り、ですか」
「うむ。相手が動くのを待つのではなく、相手が動いたところをこちらから叩くのだからな」
ガルドはあっさりと返し、部下に合図を送る。
兵士たちが配置につき、馬車の周囲を固める。
ユニスは最後にネアへと視線を送り、静かに告げた。
「忘れないで。あなたは私の替え玉であると同時に、私自身でもある。……胸を張って」
「……うん」
緊張で喉が渇く。
それでも、ネアは腰の剣にそっと触れ、深く息を吸った。
こうして囮としての一歩を踏み出すことになった。
馬車が石畳を軋ませながら進む。
街路は昼間にもかかわらず人通りが少なく、どこか張り詰めた空気が漂っていた。
衛兵たちは槍を握りしめ、周囲を警戒しながら歩みを進めている。
「……初めて来た時と比べて、静かすぎる」
それもこれも、吸血鬼騒ぎが影響しているのだろう。
ネアは外套の裾を握り、銀に変わった瞳で周囲を見渡した。
不自然な沈黙が、逆に耳に痛いほど。
曲がり角を進んだその時。
「来たぞ!」
叫びと同時に、建物の影から黒衣の集団が飛び出した。
鋭い刃がきらめき、馬車の車輪を狙って突き立てられる。
轟音と共に木片が飛び散り、馬が悲鳴のようにいなないた。
「守れ! お嬢様を囲め!」
ガルドの号令が響く。
だが、敵はあらかじめ数を揃えていた。
狭い路地に十数人が一気に雪崩れ込み、兵士たちを分断していく。
「くっ……!」
馬車は大きく傾き、ネアは座席から放り出されそうになった。
慌てて剣に手をかけ、外へ飛び出す。
その瞬間、数人の刺客が取り囲んだ。
「へぇ……聞いていたよりは若ぇな。だが対象の“首”さえ取れりゃ問題ねえ」
どこか嘲笑するような声に、ネアの胸が冷たく震える。
腰からはレセルの声が鋭く響いた。
『大丈夫。落ち着いて、ネア。相手はただの人間、あまり恐れる必要はない』
「……うん!」
すぐさま刃を引き抜き、構える。
その銀光に、刺客の一人が一瞬たじろいだ。
「なんだ……? こいつ……ただの娘じゃねえ」
「いいからかかれ!」
鋭い刃が一斉に襲いかかる。
ガルドの隊も応戦しているが、別の路地へと引き離され、完全に視界が分断されていた。
(ここで倒れたら、私は死ぬ。名もなき替え玉の一人として。それだけは避けないと)
心臓が早鐘を打つ。
だが同時に、不思議と冷静さも広がっていく。
今は恐怖よりも生き残ることが先決。
刺客たちの刃が交差し、火花が散った。
ネアは息を荒げながらも、一歩も引かずに応戦する。
剣を振るうたび、レセルの導きが腕に重なり、剣筋が自然と鋭くなった。
「押し返されているだと……!?」
「くそっ、こいつ貴族のお嬢様じゃねえぞ。別の奴だ!」
数人が傷を負い、地に伏す。
仲間の血を見た刺客たちは焦りを帯び、ついには互いに視線を交わし、退路を選んだ。
「畜生……替え玉なんぞに引っかかるとは! ひとまずここは引け!」
短い怒号と共に、残った者たちは影のように散り去っていく。
路地に残されたのは、うめき声を上げる数名と、逃げ遅れた男性が一人だけ。
「……クソッ……!」
彼は血に濡れた口元を拭い、懐から小瓶を取り出した。
液体が怪しく光り、明らかに毒であることがわかる。
「……っ!」
ネアの心臓が跳ねる。
見ていると、ためらうことなく瓶を割り、口へ流し込もうとした──その瞬間。
「させない!」
ネアの手のひらが閃き、わずかな魔力がほとばしる。
まるで水滴を弾くかのように、毒液は男性の口へ届く前に弾かれて地面に落ちる。
「なっ……!? ぐっ……!」
驚愕する相手の腕を、ネアは全力で掴み、地面へ倒した。
そのまま剣の切っ先を喉元に突きつけ、鋭い声を吐き出す。
「動かないで!」
やがて周囲の兵士たちも駆けつけ、男性を押さえ込む。
抵抗の末、縄で後ろ手に縛られると、彼は苦々しい唸り声を上げた。
「……ちぃっ、捕らえられちまったか」
路地にはようやく静寂が戻る。
銀の瞳を細めたネアは、胸の奥に残る鼓動の速さを感じながらも剣を下ろした。
『よくやったわ、ネア。水を弾く魔法、ここで役立つなんてね』
「……本当に、偶然」
『液体ならなんでも効果があると見ていい。つまり、あなたの魔法の使い道は大きく広がった』
レセルの言葉を受け、胸の奥には小さな誇らしさが芽生えていた。
「捕虜、確保!」
「負傷者を運べ! 急げ!」
兵士たちの声が飛び交い、混乱の余韻が消えていく。
ネアは縛られた男性を見下ろすと、小さく息を吐いた。
少しすると知らせを受けたユニスがやって来る。
「生け捕りにした者はどこに?」
「こちらです」
生け捕りにされた男性は縄で縛られ、なおも唇を噛みしめてうめいている。
遠くでは人々がざわつき、衛兵たちが慌ただしく往来を封鎖していた。
「……ふん、見苦しい」
銀の瞳を細め、ユニスは男性を冷ややかに見下ろす。
その声には一片の情けもない。
「必ず口を割らせる。どこの誰に仕えているのか、なぜ私を狙ったのか……残らず白状させる」
その言葉に、周囲にいる兵士たちの背筋がぞくりと震えた。
伯爵家の娘としての冷酷さが、そこにはあった。
ネアは思わず視線を逸らす。
(……これが、貴族としての顔なんだ)
目の前にいるのは、路地裏で必死に逃げ惑っていた少女ではない。
今のユニスは、家を背負う者としての覚悟を剥き出しにしていた。
ガルドは険しい表情で一歩進み出ると、辺りを見回し、剣を握る手に力を込めた。
「ふむ……これで済むはずがない。今回はあちらから退いたが、次はさらに厄介な手を打ってくるだろう」
その声には、戦い慣れた者としての確信があった。
ちらりと生け捕りにされた男性を一瞥し、険しい眼差しで続ける。
「これはまだ序の口。……明日以降、王都の各地が血に染まるやもしれん」
重苦しい言葉が朝の空気を圧し潰す。
ネアは剣を握り直し、胸の奥に冷たいものと熱いものを同時に感じていた。
(……もう後戻りはできない。どうなるとしても、覚悟を決めるしかないんだ)
そう自分の心に言い聞かせるように、深く息を吸い込んだ。




