24話 囮と策謀
オルヴィク家の屋敷、その奥にある会議室。
大きな机を囲むように、ネア、ユニス、そしてガルドが並んで座っていた。
壁際には、ガルドの部下である衛兵や、オルヴィク家に雇われている私兵がそれぞれ数人ずつ控え、緊張を孕んだ沈黙が漂っている。
「──屋敷に籠城するのは得策ではない」
最初に口を開いたのはガルドだった。
眉間に皺を寄せ、腕を組んだまま、低く唸るような声を響かせる。
「敵が本気で狙うなら、火を放ち、毒を流し、あるいは内通者を使う。どれも一夜にしてこの屋敷を陥れる手だ。ここが設備の整った城塞でない以上、守りに徹すれば滅ぶ」
言葉の一つ一つに、実戦を知る者の重さがあった。
兵士たちも小さく頷き、誰一人として否定はしない。
ユニスは背筋を伸ばしたまま頷き、しかし冷ややかに言葉を返した。
「けれど、父は寝たきり。屋敷ごと捨てるわけにはいかない。立場の問題もある」
銀の瞳が淡く揺れる。
彼女の立場を思えば当然の答えだった。
ガルドは「むむむ……」と低く唸り、机に置いた拳を握りしめた。
「ならば……守りと誘導、両方を考えねばならん。屋敷を囮にするか、別の囮を立てるか」
硬い声が室内を震わせる。
ネアは考え込みながら、剣の柄に手を添えた。
(どこにいても安全じゃない……なら、動かなきゃいけないけど、どうするのがいいのか)
机の向こうでユニスが短く息を吐き、静かな声で応じる。
「……ええ。選択肢は限られている。いずれにせよ、仕掛けてくるのは時間の問題だから」
会議室の空気は、さらに重く沈んでいった。
机を挟んで沈黙が落ちたその時、壁際に控えていた一人の衛兵が、ためらいがちに声を上げた。
「……し、失礼いたします。その、近頃の混乱……魔神教の影があるやもしれません」
「む……!」
ガルドの眉がぎゅっと寄る。
衛兵は一瞬たじろいだが、勇気を振り絞って続けた。
「吸血鬼の噂、治安の乱れ、そして今回の襲撃……。裏で糸を引いているのが、魔神を崇める連中ではないかと、衛兵仲間の間ではささやかれております」
その言葉に、部屋の空気がわずかにざわめいた。
ガルドは腕を組み直し、低く唸る。
「……根拠は薄いが、考えられぬことではない。奴らは混乱を祈りに変え、災厄を呼び込もうとするからな。小競り合いの裏に必ずいるとは限らんが……王都の騒乱の規模を考えれば、黒幕の一つである可能性は高い」
ユニスは銀の瞳を細め、冷ややかに言葉を重ねる。
「魔神教……。なるほど。貴族の権力争いと同時に、そういう存在が動いているとすれば、状況はもっと複雑になる」
ネアは思わず口を開いた。
「……じゃあ、バゼムという人と繋がってる可能性も?」
その言葉に、ユニスもガルドも一瞬だけ視線を交わす。
レセルの声が、鞘の中から冷たく届いた。
『確証はない。でも、可能性は高い。あの優男の物腰と、裏での黒さを思えばね』
ガルドは机を拳で軽く叩き、低い声で結論を口にした。
「証拠はない。だが、相手が貴族筋であれ、魔神教であれ、次に仕掛けてくるのは時間の問題だ。ならば、こちらから動くしかない」
彼の言葉に、場の空気がさらに張り詰めた。
重苦しい沈黙の中で、ユニスがふっと息を吐いた。
銀の瞳に決意を宿し、ゆっくりと口を開く。
「……屋敷に居続けるのは、逆に危険。そうでしょう?」
「そうだ」
ガルドは固い表情で頷く。
彼もまた、城壁を持たない屋敷を防衛しきれるかと考えれば、否定はできなかった。
「では、どうする?」
その問いかけに、ユニスは短く言い切った。
「ならば、私は替え玉を立てる」
「……え?」
ネアは思わず声を漏らす。
ユニスがまっすぐに見つめてきたからだ。
「私とあなた。背丈はほとんど同じ。髪や瞳の色は違うけど、魔法道具でなら簡単に変えられる」
「ちょ、ちょっと待って! それってつまり……」
『ええ。あなたが“ユニスの影武者”になる、ってことよ』
レセルがやや気に食わなそうな声で補足する。
ネアは緊張から手のひらを握りしめる。
「危険なのは承知の上。でも、敵にとっては“狙いがわからない”状況になる。ただ単に私の姿を晒して狙われ続けるより、ずっと有効」
ユニスは淡々と語るが、その横顔はどこか痛みを隠していた。
自分だけでは立ち向かえないと理解しているからこその提案だと、ネアは悟る。
「……私が、囮になる」
「そう」
話を聞いていたガルドは腕を組み、しばし考え込んだ。
やがて深く頷き、低い声で言い切った。
「策としては理に適っておる。居場所のわからぬ敵を炙り出すには好都合。……よかろう、グリムロック隊としても協力を惜しまない」
「ありがとうございます」
ユニスが頭を下げる。
ネアは息を呑み、そして心の中で小さく呟いた。
(……替え玉なんて、大役すぎる。でも……村を滅ぼした吸血鬼が、ここにいるなら。逃げてばかりじゃいられない)
腰の鞘がかすかに震え、カタカタと音が鳴った。
作戦の大枠が固まると、ガルドが立ち上がる。
「では我らは隊の配置を整えてくる。それに今宵の巡回も強化せねばならん」
「お願いします」
ユニスが静かに頷くと、彼は部下たちに鋭い視線を向けた。
「お前たち、行くぞ! この屋敷に残る者は、お嬢様の護衛をおろそかにするでない!」
「はっ!」
槍を構えた兵士たちが慌ただしく立ち上がり、ぞろぞろと部屋を出ていく。
分厚い扉が閉じられると、重たい気配がふっと和らいだ。
「……行ったね」
ネアは肩の力を抜き、椅子に座り込む。
「むさくてうるさいのがいなくなると、静かで助かる」
意外と辛辣なことをユニスは淡々と言う。
けれども銀の瞳はほんの少し緩んでいて、さっきまでの硬い空気はない。
『ふふ……じゃあ、次は女子だけのお話ってことになるわね』
レセルのからかう声が響き、ネアはなんともいえない表情となる。
「まずは変装の準備。髪の色と瞳の色を変える魔法道具は……確かここに……あった」
ユニスは机の引き出しから、小さな木箱を取り出した。
中には宝石のように光る小瓶が二つ。
「これは髪に振りかければ色が変わる染料。こっちは瞳に使えば、色を覆い隠す魔法液」
「そ、そんなのあるんだ……」
『便利ねぇ。でも、似合わなかったらどうするの? せっかくの可愛いネアが台無しになるかもしれないわ』
「ちょっと、レセル!」
慌てるネアに、ユニスがくすっと笑う。
「魔剣は、何を言った?」
「……可愛い私が台無しになるかもしれない、とか」
「案外似合うと思うけど。……背丈も近いし、雰囲気も合わせれば立派な替え玉になれる」
「雰囲気って、どうやって……?」
「背筋を伸ばして、落ち着いた声で話すこと。──例えば、こう」
ユニスは椅子から立ち上がり、スカートを軽くつまんで優雅に一礼してみせた。
「ご機嫌よう。わたくしがオルヴィク伯爵家の娘、ユニスです」
その気品ある仕草に、ネアは思わず「おお……」と声を漏らした。
『はい、ネアもやってみましょう』
「え、えぇ!? 無理だって!」
「大丈夫。まずは真似してみればいい」
ユニスの視線が促すように向けられる。
ネアは恐る恐る立ち上がり、ドレスの裾もないのに服の端をつまみ、背筋を伸ばした。
「ご、ご機嫌よう……私が、ユニス……です」
『あら可愛い。似てる似てる』
「ふふ。声が震えてるけど、悪くない」
赤面するネアを見て、二人……いや一人と一本の剣はくすくすと笑った。
重苦しい作戦会議のあととは思えない、柔らかで賑やかな空気が流れていた。
机の上に置かれた小瓶が、ろうそくの光を反射してきらりと輝く。
ユニスは一本を手に取り、振り返った。
「それじゃ、さっそく試してみる」
「え、いきなり!?」
「準備は早い方がいい。万一、明日にでも襲撃があったら間に合わない。違う?」
もっともな言葉にネアは口をつぐみ、渋々椅子に腰かける。
ユニスは瓶の栓を抜き、さらりとした液体を手のひらに垂らした。
「ちょ、ちょっと待って! 冷たそう……!」
「我慢して」
そのままユニスが指先でネアの髪をすくい上げると、茶色の髪に液体が染み込み、じわりと光が広がった。
次の瞬間、髪は淡い金色へと変わり、まるで光を帯びたかのように輝き始める。
「……わあ」
鏡を差し出され、ネアは目を見張った。
そこに映るのは、ユニスとよく似た色合いの少女。
「どう? これなら髪は問題ない」
「すごい……! でも、なんか落ち着かない」
『うふふ、似合ってるわよネア』
レセルの声に、ネアは顔を赤くしながらうつむいた。
「次は目」
ユニスがもう一本の瓶を持ち上げる。
「えっ、目に入れるの……!?」
「そう。少し沁みるかもしれないけど、害はないから安心して」
逃げ場を失ったネアは、観念してじっとする。
ひんやりした雫がまぶたや目に触れ、すっと沁み込んでいく。
恐る恐るまばたきすると、視界の端で銀色の光が揺れた。
「……っ! わ、私の目……!」
鏡を覗き込むと、茶色だった瞳がユニスと同じ銀に染まっている。
髪も瞳も、もう別人のようだ。
『これなら、遠目には完全にユニスね』
「近くで見れば、さすがに違いは出る。でも混乱の中なら十分」
ユニスが頷き、すっと距離を詰める。
目の前で二人の銀の瞳が重なった瞬間、ネアは思わず息を呑んだ。
「う……本当に、そっくり」
「でしょ? あとは仕草を覚えれば、立派な替え玉になれる」
『わたしは納得してないけどね。ネアはネアでいてほしいもの』
レセルの拗ねた声が割り込み、ネアは思わず苦笑した。
「だ、大丈夫だよ。ちょっとの間だけだから」
柔らかな笑いが広がり、部屋には再びわちゃわちゃとした空気が戻っていた。
だが同時に、これから待ち受ける危険を思うと、胸の奥にひやりとした緊張が消えずに残る。




