17話 剣を抱きしめて眠る夜
「むむ……むむむむ……!」
眉間に皺を寄せ、腕を組んで唸る隊長。
ユニスは一歩も引かず、銀の瞳で睨み返していた。
「隊長殿のお名前をお聞かせ願っても?」
「自分は、王都の治安管理を預かる部隊の一つ、グリムロック隊の隊長、ガルド・グリムロックである!」
「ガルド隊長。王都の秩序を守りたい気持ちは理解できます。ですが、私は命を狙われていた。王都において、集団で剣を振るうような者に。そのような危険人物から助けてくれた恩人を牢に入れるのは、よろしくないことかと」
「む……!」
周囲の兵たちはごくりと息を呑む。
その場に漂うのは緊張……というより、妙な押し合いの空気だった。
やがて、王都の治安に関わる部隊を率いているガルドは喉を鳴らし、声を張り上げる。
「だがな! 近頃の貴族は不名誉なことばかりしておる! 民を顧みず、欲に任せて酒色に溺れ、責任はみな我々に押しつける! だからこそ譲れんのだ!」
怒鳴り声に、ユニスは一瞬だけ言葉を失った。
心に浮かんだのは、火遊びの末に自分を生んだ父の顔。
毒を盛られて寝たきりになる前の横暴な姿が、ふと脳裏をかすめる。
……それは確かに、不名誉そのもの。
思わず同意しそうになり、唇を噛んで黙り込む。
その様子を横で見ていたネアは「あれ……?」と首をかしげた。
けれどもユニスはすぐに顔を上げ、話題を逸らすように口を開く。
「……それでも。貴族がどうあれ、私が狙われたのは事実です。助けを求める者を助けた、そのせいで罰を受けるのが王都のやり方だとしたら、それはおかしい」
「ふーむ……」
またも唸るガルド。
彼の頑固さとユニスの気迫が火花を散らし、兵士たちは固唾を飲んで見守っていた。
その時、通りの外からざわめきが広がった。
衛兵の壁の外にいた、先ほどユニスを追っていた私兵たちが、様子をうかがいながら足を止めている。
「……チッ、衛兵どもがぞろぞろと」
「仕方ねえ、今日のところは引き上げだ」
悔しそうに吐き捨てながら、彼らは散り散りに退いていった。
周囲の人波に紛れ、姿はあっという間に消えていく。
ガルドはそれを確認すると、深いため息をつき、ユニスをじろりと見た。
「ふん……武器を抜かなかったゆえ、今回は見逃そう。だが、貴族といえども勝手は許さんぞ」
ユニスは胸を張って応じる。
「わかっています。私の場合は致し方ない事情があってのこと」
淡々と返すその横で、ネアは嫌な予感に眉を寄せた。
案の定、隊長たるガルドの鋭い視線が自分へと突き刺さる。
「……だが、そこの娘。貴様は剣を抜き、路地で武器を振るったな」
「っ……!」
ネアは口を開きかけたが、言い訳をする前にガルドはずばりと言い放つ。
「無罪放免とすれば示しがつかん。よって、牢屋に一日だけ入ってもらう!」
「ろ、牢屋……!?」
「安心せい。命まで取るつもりはない。一日で釈放する。むしろ破格の軽さと思え」
その言葉に周囲の兵たちも「確かに……」と頷いている。
ネアはどう返すべきか迷い、ただ肩を落として小さく「……はい」と答えるしかなかった。
ユニスは苛立ちを隠さず、銀の瞳でガルドを睨みつける。
「この子は私の命を救ってくれたのに、牢に入れるのは……」
しかしガルドは腕を組んで「むむむ……」と唸り、すぐに首を横に振った。
「貴族であろうと民であろうと、秩序は等しく守られねばならぬ! 周囲への示しがつかん!」
その頑なな口調に、さしものユニスも言葉を詰まらせる。
そして、短く息を吐き、諦め半分に告げた。
「……なら、せめて約束して。明日、この子を必ず私の家へ連れて来ると」
ガルドは腕を組んだまま、しばし考え──やがて渋々ながらも頷いた。
「……約束しよう」
「それと道中の護衛を」
「あいわかった。先ほどのような者たちが暴れてもらっては困る。こちらの隊の者を同行させる」
こうして、ユニスとネアはひとまず別れることとなった。
ユニスの背が人混みに消えていくのを見送りながら、ネアは胸の奥に妙な不安を抱えたまま、衛兵に囲まれて歩き出す。
◇◇◇
ユニスと別れたあとは、すぐ衛兵たちに取り囲まれた。全員が、グリムロック隊の者たちだ。
彼らの列の中心に置かれるようにネアは歩かされ、両脇では槍を持った兵が並ぶ。
剣を抜かれていないだけまだマシだが、その雰囲気は囚人の護送と言っても差し支えなかった。
道を歩くたびに、周囲の人々の視線が突き刺さる。
「あの子、何をしたんだ?」
「説教では済まないことを、やらかしたんだろう。腕とか縛られてないから、軽いお仕置きで済むんじゃないか」
かすかに聞こえる声。
子どもが好奇心に目を輝かせて覗き込み、母親に抱えられて遠ざかっていく。
(はぁ……視線が痛い……)
ネアは軽く頭を振り、腰の剣にそっと手を添えた。
そんな空気の中、衛兵の一人がひょいと声をかけてきた。
「いやあ、気にすんなよ嬢ちゃん。隊長が頑固すぎるだけで」
「えっ……」
「この前なんかさ、ある貴族が税を踏み倒して色街に入り浸ってたんだが、それを見つけた隊長、真っ向からぶちのめして牢にぶち込んじまってよ」
別の衛兵もくくっと笑う。
「ありゃあ見物だったな! あの貴族、顔真っ赤にしてわめいてたっけ!」
場が少し緩みかけたその時だった。
「ばかもーーーーん!」
怒声と同時に、重い拳骨が兵士の頭に落ちた。
「いてっ!」
「何を笑っておるか! 我々は今、囚人を連行しているのだぞ! 緊張感を持たんか、緊張感を!」
拳骨を食らった兵士は頭を押さえ、情けない声を上げる。
「す、すみません隊長……!」
怒鳴り声に周囲の視線がさらに集まり、ネアは思わず手で顔を覆いたくなった。
(やっぱり、この人……堅物過ぎる……)
しかし同時に、先ほど聞かされた話が頭に残っている。
権勢を振るう貴族でさえ牢に叩き込む。
融通は利かないが、正義感は本物らしい。
(……いい人なのか、厄介な人なのか……)
複雑な気持ちを抱えたまま、ネアは歩き続けた。
やがて一行は、大通りに面した石造りの建物へと到着した。
王都にいくつもある衛兵の詰所の一つだ。
分厚い木の扉を開ければ、内部には机や棚が並び、数人の兵士が記録を書き込んでいる。
奥へ案内されると、鉄格子に囲まれた簡素な牢が姿を現した。
「ここに入れ」
ガルドの言葉に、ネアは腰の剣を見て慌てる。
「あの、これ……」
「構わん。そのまま持ち込め」
「えっ?」
思わず目を丸くすると、ガルドは腕を組み、渋い表情のまま頷いた。
「通常なら、武器を取り上げるのが当然である。だが、今回は特例だ。事情を鑑み、緩くしておる。無罪放免にするには世間体が悪いが、本当に罪人扱いする気もない。……それくらいの融通は利かせられる」
「ええと……ありがとうございます?」
どう返せばいいかわからず、ネアは頭を下げるしかなかった。
格子の内側は狭いが、清掃は行き届いている。
隅には木製のベッドと毛布、簡素な机。
暗くじめじめした牢屋のイメージとは大きく違う。
「思ったより……普通の部屋みたい」
「囚人を粗末に扱えば、余計に揉めて手間が増えるだけだ。結局は秩序を乱す」
ガルドは鼻を鳴らし、低くぼやいた。
「……まったく、貴族どもは自分勝手に振る舞い、我々に尻拭いばかりさせる。市井を守るのが誰かも知らずに」
その声には怒りと呆れが混じっていた。
ネアはどう返してよいかわからず、少し戸惑った末に、ただ素直に答える。
「……大変なんですね」
隊長であるガルドは目を細め、しばしネアを見つめたあと、短く「うむ」とだけ返した。
その後、一人の兵士が木の盆を持ってくる。
黒パンと、肉や豆が入った温かなスープ。
牢屋にしては驚くほどまともな食事だ。
「……おいしい」
思わず呟くと、兵士は少し得意げに笑った。
「うちの食事は評判いいんだ。腹を満たした方が囚人も静かだからな」
温かいスープに胃が満たされ、ほんの少しだけ不安が和らいでいく。
◇◇◇
夜が更け、詰所は静まり返っていた。
廊下を巡回する兵士の足音がときおり響くほかは、牢屋の中にしんとした闇が広がっている。
「……明日は早朝に迎えを出すゆえ、きちんと寝ておくように」
鉄格子の前に現れたガルドはそう言い残すと、足音を響かせて去っていった。
簡素なベッドに腰を下ろしたネアは、毛布を握りしめ、ふうと大きく息を吐いた。
「まさか……王都に来て二日目で牢屋暮らしなんて……」
苦笑にもならない独り言を胸にしまい、横になろうとしたその時。
腰の剣から、甘やかすようなささやきが届いた。
『ねえ、ネア。お願いがあるの』
「……なに?」
『今夜はね。わたしを……抱きしめて眠ってほしいの』
ネアの心臓が、どくんと跳ねた。
「だ、抱きしめてって……鞘に入ったままじゃなくて?」
『ううん。鞘から抜いて。裸の刀身のままで』
「そ、それは……! 斬れちゃうよ、危ないでしょ……」
慌てる声に、レセルはくすくすと笑った。
『心配しないで。あなたを傷つけないようにできるわ。斬れるのは、私が望んだ時だけだから』
「ほんとに……?」
『ええ。本当よ。だから、ね? 今夜はどうしても……あなたの温もりを感じて眠りたいの』
甘い声に抗う力が抜けていく。
ネアはため息をつきつつ、恐る恐る剣を鞘から引き抜いた。
銀色の刃が牢の灯りを受け、静かに輝く。
それを胸元に抱きしめると、冷たい金属のはずなのに、不思議なほど柔らかな温かさが伝わってきた。
「……ほんとだ、斬れない。あと冷たくない……」
『ふふ。あなたが私を抱いてくれているから。だから、温かいの』
レセルの声は嬉しさに震えていた。
刃の感触はすぐに心地よさに変わり、抱きしめていると、まるで人を腕に抱いているような錯覚を覚える。
『……ああ、幸せ。こうしてあなたに抱かれて眠れるなんて。ずっと望んでいたの』
「そ、そんなに……?」
『ええ。私にとってはこれが夢そのもの。……あなたはどう? 嫌じゃない?』
ささやきは切なげで、同時に甘えるようでもあった。
ネアは胸の奥がじんわり熱くなり、唇を噛んでから答えた。
「……嫌じゃないよ。少し、恥ずかしいけど」
『それでいいの。あなたが受け入れてくれるなら、それだけで』
静寂の牢屋の中、心臓の鼓動がやけに大きく響く。
ネアは剣をさらに抱き寄せ、頬をそっと刃に寄せた。
金属なのに柔らかい。体温を映したように温もりを返してくる。
『……ネア。大好きよ。誰よりも、何よりも』
耳をくすぐる声が、胸の奥を甘く痺れさせる。
ネアは小さな声で呟いた。
「……王都に来て二日目でこれって……本当にとんでもない」
『ふふ。退屈しないでしょ?』
楽しげな声に、ネアは苦笑を漏らす。
やがてまぶたが重くなり、抱きしめた剣の温もりに包まれながら、静かに眠りへと落ちていった。




