14話 貧民窟生まれのお嬢様
少女は両腕をつかまれ、強引に路地の奥へと引きずられていく。
雑踏のざわめきに紛れ、助けを呼ぶ声は掻き消されていた。
ネアは息を潜め、人影に気づかれぬよう距離を保ちながらあとを追う。
(……数は三人。あのまま連れ去られたら、きっと死ぬ)
狭い通りに入ると、靴で石畳を踏む音が響く。
ネアは足を止め、壁に身を寄せて耳を澄ませた。
「……金を受け取ったら、この娘は始末する」
「邪魔する奴はいない。今のうちに依頼主の元へ運ぶぞ」
「いやはや、こんな子どもを殺せとはね。貴族様ってのは怖い怖い。まあ、仕事だしやるんだが」
話し合う低い声。
その言葉に、背筋が冷たくなる。
ネアは深く息を吸い、腰の剣に手をかけた。
(今だ……!)
石畳を蹴り、狭い路地へ飛び出す。
「手を離せ!」
叫びと共に剣を抜き、手近な一人の腕を狙って斬り込む。
「なっ──誰だ!?」
不意を突かれ、少女を押さえていた一人が腕から血を流し、悲鳴を上げてよろめいた。
その隙に少女はふらつきながらも身を引く。
しかし残る二人が咄嗟に剣を抜き、ネアへ迫ってくる。
「英雄気取りのガキが!」
「ちっ、殺す奴が増えた。面倒な」
金属同士が打ち合う甲高い音。
腕に衝撃が走り、剣が弾かれそうになる。
ネアは必死に踏ん張るが、相手はただの荒くれ者ではなく、場数を踏んだ戦士の動きをしていた。
『このあとを考えると、余力を残さないといけないわ……そろそろわたしに任せなさい』
「うん」
耳元で響く、甘くも鋭い声。
次の瞬間、全身がほのかな熱に包まれ、勝手に体が動いた。
「はぁっ!」
剣先が正確に弧を描き、相手の武器をはじき飛ばす。
足が滑るように踏み込み、柄の部分で顎を打ち抜く。
一人の男性が白目を剥いて崩れ落ちた。
「まず、一人目」
「このガキ、化け物か……!」
残った一人が後退した瞬間、逆手に構えた剣が稲妻のように閃き、彼の手首を叩く。
剣が石畳に落ち、膝をついたところに鞘の端で後頭部を強打。
うめき声を残し、意識を失って倒れた。
「これで二人目。さて、次は」
最後の一人も鞘で殴ってしまうと、路地裏には気絶した三人が転がり、荒い息をつくネアと少女だけが残る。
「はぁ……はぁ……」
『万が一を考えて殺しはしなかった。あなたもそれでいいでしょう?』
「……うん」
胸の鼓動はまだ収まらない。
まだ自分だけでは不可能な激しい動きをしたため、疲労と痛みが全身を蝕む。
だが少女が無事だと確認し、ネアはわずかに肩を落として息を整えた。
「……ふぅ……」
ネアは剣を握る手をわずかに震わせながら、気絶した者たちを見下ろした。
少女は壁に手をつき、まだ荒い呼吸を整えている。
「大丈夫……?」
問いかけに、少女は小さく頷いた。
「ええ。ありがとう」
その時──金属がぶつかり合う、整然とした足音が聞こえてくる。
路地の奥から、甲冑に身を包んだ数人が現れた。
背には家紋入りのマント、腰には槍と剣。見ただけでわかる、鍛えられた私兵たち。
「やはりここか」
「先行してた連中がやられたか。だが獲物は逃がさん」
冷たい声が響く。
先ほどの荒くれ者たちとは違う、訓練された者の動き。
その背後からは、別の路地に潜んでいたらしい荒っぽい者たちが姿を現した。
数は十を超える。
「……そんな……」
少女は青ざめ、わずかにあとずさる。
ネアも喉を鳴らした。
「こ、この人数は……さすがに」
『そうね。殺さずに済ませるには、まだ成長途中である今のあなたの肉体じゃ無理。一応、相手を殺す覚悟があるなら、この場を切り抜けられるけど……どうする?』
どこか鋭いレセルの声が響く。
殺さずに済ませることは無理。だからといって殺してしまえば、もはや王都にはいられなくなる。
罪人として、牢の中にずっと閉じ込められるだろう。
ネアは唇を噛み、ちらりと少女を見た。
その時、少女が小さく声を上げた。
「──こっちへ!」
彼女はネアの手を掴み、横の細い路地へと駆け出す。
狭すぎて鎧を着た兵はすぐに追えない。
だが、背後から怒声が飛び、荒くれ者たちが迫ってくる。
「逃がすな!」
「まとめて殺せ! 娘もろともだ!」
石畳を蹴る音が響き、朝の王都の裏道を駆け抜ける。
少女の手は驚くほど力強く、迷いなく路地を曲がっていく。
ネアは息を切らしながらも必死でついていった。
「転ばないように。いろいろ落ちてるから」
「うわっとっと……」
少女に手を引かれながら、ネアは曲がり角をいくつも駆け抜けた。
石造りの壁が迫り、頭上には洗濯物を吊るした紐が影を落とす。
やがて少女は一軒の古びた家の扉を押し開け、中へ飛び込む。
埃の匂いと、朽ちた木の軋む音。
中は完全に廃墟で、割れた窓から差し込む光だけが頼りだった。
「……ここなら、しばらくは追っ手も来ない」
少女がようやく手を放し、壁に背を預ける。
フードを下ろす仕草に、ネアは目を奪われた。
肩まで届く長い金の髪が、薄暗い光を反射して淡く輝く。
銀の瞳はどこか冷たげで、だが芯の強さを感じさせる。
粗末な外套の下から覗く顔立ちは、旅装に似つかわしくないほど整っていた。
「ふぅ……改めて。助けてくれて、ありがとう」
少女は静かに息を吐き、口を開く。
「さて、名乗るのが礼儀か。私はユニス。貴族の……娘。いわゆる、お嬢様ってやつ」
「貴族……なのに、どうしてこんな道を知ってるの?」
貴族のお嬢様が、こんな裏の道を迷うことなく走り抜けた。
そのことを疑問に感じ、ネアは尋ねた。
するとユニスはかすかに口元を歪める。
それは笑みというより、どこか自嘲めいた表情だった。
「もともとは、ああいう裏通りで暮らしてる貧民窟の子どもだった」
ネアは思わず目を大きく見開く。
ユニスは淡々と続けた。
「父は貴族。でも、母はいない。……ただの火遊びの結果、私が生まれた。そんな私が、今も生きてる唯一の“実子”だと判明した途端、家へ連れ戻された。まるで誘拐するように、ね」
その声には乾いた棘があった。苛立ちも見え隠れしている。
「今現在、父以外に家族はいない。その父も、毒を盛られて寝たきり。……そしていよいよ私が消される番、というわけ」
淡々と語るその顔に、複雑な影が差す。
ネアは何も言えず、ただじっと彼女を見つめるしかなかった。
ユニスは銀の瞳を細めると、ネアへ向き直る。
「一つ、お願いがあるけどいい?」
「お願い?」
「私を家まで護衛してほしい。さっきのような連中を見たはず。短い道のりだけど危険に満ちている。……助けてもらったから言うけど、今の私は敵ばかり。君に手助けしてほしい」
静かな声が、廃墟の中に響いた。
少ししてレセルの声が聞こえてくる。
『ネア、引き受けるのはいいけれど、ただでとは言わないことね。報酬をきちんと聞きなさい』
ネアは一瞬ためらい、それからユニスに視線を戻す。
「……護衛はする。でも、何か、報酬をもらいたい」
銀の瞳がぱちりと瞬く。
ユニスは短く息を吐き、苦笑を浮かべた。
「現実的ね。……いいよ。お金でも、装備でも。家に戻りさえすれば、用意できる」
「……わかった。それで十分」
互いの言葉が交わされた瞬間、約束が結ばれた。
だが安堵の空気は長く続かなかった。
廃墟の外から、重い足音がいくつも近づいてくる。
床板が軋み、壁の隙間から差す光の中に、影が揺れた。
レセルが冷たい声で言う。
『……来たわ。次は本格的に包囲されるかも』
ネアは剣の柄を握り直し、ユニスは固い表情で身構えた。
廃墟の薄暗がりに、再び緊張が走る。




