104話 女神教の圧力と隠された本命
詰所の扉が勢いよく叩かれた。
「開けなさい。女神教の者である。我らが追っていた者を引き渡してもらう」
圧のある声。
ネアとガルドは視線を交わし、ゆっくりと扉を開いた。
外には銀色の紋章をつけた女神教の兵士が六名。
その中心にいるのは、冷たい目をした若い兵士だった。
「我らの獲物を、ここに匿っていると聞いた」
「獲物って……」
獲物呼ばわりに面食らうも、ネアは深呼吸すると一歩前へ出た。
「現在、騎士団として尋問中です。理由もわからず引き渡すことはできません」
「……正気か?」
兵士は眉をひそめた。
「これは女神教の正式な任務である。我々がお前たちに従う義務は」
その時、別の血気盛んな兵士が前に出た。
「こんな小娘に逆らわれて黙っていられるか。力ずくでも構わんぞ?」
詰所内に不穏な空気が流れる。
団員たちは手を武器へ伸ばし、ガルドは無言で一歩前に出て構えた。
しかし、隊長らしき落ち着いた兵士が、すぐさま部下の腕を掴んだ。
「待て」
「な、なぜ止めるのですか!」
「……あの少女を知っているか?」
隊長はネアを見る目をほんの少し和らげた。
「彼女は狩猟祭の優勝者だ。しかも閉会式で身の安全と保証を求め、宰相閣下がそれを認めた」
女神教の兵士たちがざわつく。
「まだ、あれから日が浅い。ここで手を出せば、王国全体を敵に回しかねん。可能性は低いとはいえ」
「…………」
数秒の沈黙ののち、兵士たちは渋々と態勢を崩した。
「さて……状況は把握した。女神教としては引き渡しを要求し続けるが、今回は退こう」
短い言葉を残し、彼らは詰所から離れていった。
完全に見えなくなったのを確認して、ガルドが深く息を吐いた。
「むむむ……。なるほど、さすがは宰相閣下である。狩猟祭にて望んだ保護はまだ有効、か」
彼は腕を組んで納得したように何度も頷いた。
「これに、団長という地位を合わせれば、どんな面倒ごとも堂々と動ける……うむ……」
『……はぁ』
鞘の中で、レセルが盛大にため息をついた。
『それ前提に采配するわけないでしょうが』
「え?」
『考えてもみなさいよ。わたしたちが捕まえた貴族、あれは浅い繋がりしかない。そんな雑魚を、わざわざ騎士団と揉めてまで奪う理由が──』
レセルの言葉が急に止まる。
そして、次の瞬間には人の姿をとり、鋭い赤い瞳で仲間たちを見渡した。
「ネア、ガルド、ユニス、リュナ。全員来て」
緊迫した声だった。
全員が揃ったところで、レセルは低く告げた。
「浅い繋がりの者を、わざと派手に捕まえて騒ぎを起こすのは、そっちに目を向けさせるためよ」
ネアは険しい表情を浮かべる。
派手な騒ぎに目を向けさせ、その間に本命の出来事を進める。
それが意味することは一つ。
「じゃあ……」
「おそらく、本当に深い繋がりの者は……もうとっくに、秘密裏に処理されている」
その予測は空気を冷たく染めた。
誰もが言葉をなくしたその直後、外から怒号と金属音が響いた。
「何だ!?」
「向こうの貴族屋敷で戦闘だ!」
「騒ぎに便乗する泥棒も増えた!」
すぐに新入りの団員たちが駆け込んでくる。
「女神教の兵士が、複数の貴族の屋敷で同時に戦闘中とのことです!」
レセルは顔をしかめた。
「……わかりやすい陽動ね。この騒ぎの裏で、本命を消すつもりなんでしょう。あるいはもう消したか」
王都全体が、不穏な気配で揺れ始めていた。
陽動を止めることのできないネアたちだが、あちこちで響いていた怒号も、金属のぶつかる音も、やがて鳴りを潜めた。
「あれ? 割とすぐ終わった」
「用が済んだんでしょうね」
女神教の兵士たちが貴族の屋敷を荒らし回ったものの、意外なことに死者は出ない。
流血すらほとんどないという、不思議な騒ぎだった。
そして、ネアたちが確保していた浅い繋がりの貴族も正式に解放される。
だが、それで終わりではなかった。
◇◇◇
翌日から、貴族たちが連日王城へ押し寄せ、女神教の強引な振る舞いに抗議する事態へと発展した。
「王国の法を無視して勝手に我らを連行した!」
「裁判もせずに家宅捜索……女神教は何様だ!」
怒りの声が王都のあちこちで発生する。
しかし女神教側は、女神の降臨に必要だからやったまでと行動を譲らず、宰相は宰相で、交渉の場を整えつつも慎重に動いているようだった。
結果として、王都には奇妙な張りつめた空気が漂い続ける。
それからさらに数日後、黄昏の剣騎士団の宿舎にて、ネアが書類整理をしていると、扉が控えめに叩かれた。
「ネア、ちょっといい?」
ユニスが姿を見せた。
いつも通り冷静な表情……ではない。
眉間には深い皺、口は固く結ばれている。
「どうしたの? ユニス」
「……これを見て」
ユニスは一通の封筒を手渡してきた。
封蝋には、見慣れたグラニエ家の紋章。
「バゼムさんから?」
「ええ。内容が……ちょっとね」
ネアが手紙を開くと、軽い調子の文体で、しかし不穏な文言が記されていた。
あの日の騒ぎでは、捕まった貴族たちは全員無事だ。囚われている間に女神教の連中が手を出すこともなかった。
いやはや、よかったねえ。
だが、問題はそこじゃない。
捕まらなかった貴族の中で、不審死が相次いでいる。
外傷なし。毒の痕跡なし。
けれど、全員が同じ日に死んだ。
あの日──陽動があったちょうどその日だ。
亡くなったのは、魔神教と深い繋がりを持つ家ばかり。
いやはや、世の中には怖いこともある。
君たちも気をつけるんだよ。
読み終えたネアは、指が震えた。
「こ、これって……!」
ユニスは深々と息を吐いた。
「……死んだ貴族は爵位がバラバラ。伯爵もいれば子爵もいる。ただ一つ共通していたのは──魔神教との深い繋がり」
彼女の声が震える。
貴族として、ろくでもないもの、後ろ暗いものを見てきた身でも、これは尋常ではない出来事であった。
「しかも全員、外傷はなく、毒も使われていない。ただ死んでいた。それも同じ日のうちに」
「陽動があった……あの日」
「ええ。浅い繋がりの者を派手に捕まえて騒ぎを起こしながら……本命を静かに処理していたの」
ユニスは机に肘をつき、力なく頭を押さえた。
「女神教の闇は……恐ろしい。陽動と暗殺を同時に行える組織なんて……」
弱々しい声。
重圧と恐怖を抱えた貴族の本音だった。
「……オルヴィク伯爵家の当主になった程度では、どうにもならない。私たちは……あの化け物のような組織とどう渡り合えば……」
ネアはそっとユニスの肩に手を置いた。
(……ユニスでもここまで追い詰められるなんて)
その時、扉が再び叩かれた。
「失礼します! 女神教からの使者の方が!」
レセルがぴくりと反応する。
『女神教の使者……?』
現れた使者は、静かに頭を下げた。
「教皇様が、ネア・ブランシュ殿とお話をしたいとのこと。つきましては、単身でお越しいただきたく」
「ひ、一人で?」
「はい。“必ず一人で来るように”との伝言です」
部屋の空気が凍りついた。
無視するわけにもいかず、ネアは剣のレセルと共に使者についていく。




