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102話 巡回の日々と不穏な兆し

 黄昏の剣騎士団が活動を始めてから、数日が経った。

 王都の朝は早い。

 それでも団長室の奥では、まだ柔らかな寝息が続いていた。


 「……ネア。起きて。もう朝よ」


 毛布の端がそっと引かれ、白い髪が揺れる。

 少女の姿のレセルが、指先でネアの頬を軽くつついた。


 「ん……レセル……もうちょっと……」

 「だめ。団長が寝坊したら、副団長になってるガルドが眉間の皺を増やすわ。軽い説教もあるかも」

 「うぅ……」


 ネアが毛布の中に潜ろうとすると、レセルは小さく笑い、身を屈める。


 「仕方ないわね。それなら、こうするまで」


 額にそっと、冷たく優しいキス。


 「……っ!? れ、レセルっ……!!」

 「はい、起きた」


 レセルは満足そうに微笑んだ。

 いきなりの出来事に、ネアは毛布の端を掴んで真っ赤になるしかない。


 「……こうするとすぐ起きるって、最近わかったのよね」

 「わ、わかったなら、ほどほどにしてよ……!」

 「ほどほどって言葉、わたしの辞書にはないの」


 朝から甘い空気を強制的に吸わされたネアは、顔を冷やすために慌てて洗面台へ逃げた。

 質素でも贅沢でもないありきたりな朝食を終えると、ユニスが帳簿の束を抱えて宿舎へやってきた。


 「おはよう、ネア団長。ガルド副団長も」

 「む、ユニス殿か。相変わらず書類仕事で疲れているようだな」

 「だって、団員が増えたのに、物資管理や予算調整ができる人があまりいないんだから」


 今の騎士団内において、細かな金銭の計算ができるのは、衛兵隊長として長く経験を積んだガルドと、貴族として幼い頃から勉強してきたユニスだけ。

 そんなユニスは、机に広げた帳簿を指で叩きながら説明する。


 「現場の視点から見ると、訓練場の補修費や装備の更新が必要。でも貴族の視点では、目立ちすぎる支出は避けるべきという面もある。一度に多く使うのは避け、小分けにしたりとかね」

 「なるほど……」

 「だから、装備や設備は大切に扱うように」


 ネアには数字の細かな意味は難しい。

 だがユニスが黄昏の剣騎士団をしっかり支えようとしてくれているのはわかった。


 「動ける自由な騎士団であるために、予算の透明性は守っておきたいの。いざという時に問題が起きたら大変だし」


 ユニスはそう言って、帳簿にさらさらと書き込んでいく。

 一方、訓練場では、リュナが新入り団員数名を相手に木剣一本で次々と圧倒していた。


 「ほいっ、そっち甘い!」

 「うわっ!? 速い!!」

 「はい次。そっちの人、構えの形だけ立派だけど、足がついてないよ」

 「くっ……!」


 団員が息を切らしながら立ち上がると、見物していた別の騎士団の団員が興味深そうに声をかけてきた。


 「グラニエ家の雇われって噂の人だろ、君。強いんだな」

 「え? ああ……まあ、そこそこ? もっと褒めてもいいけど?」

 「ははは、図太いな。とはいえ、そんな君が団員になるくらい、そちらの団長殿は見込みありというわけだが」

 「あの子はね、すごいんだよ。私が保証する」


 笑い声が訓練場に軽く響き、リュナはえっへんとばかりに満足げに鼻を鳴らした。


 ◇◇◇


 昼前に準備を整えたあと、ネアとガルドは団員たちを率いて巡回へ向かう。

 朝の王都は相変わらず人が多く、屋台の匂い、商人の声、荷馬車のきしみ……いろいろと混ざり合った喧騒が辺りを包む。

 ガルドが歩きながら声をかける。


 「団長。そろそろ巡回する時に二つに分けるべきだと思うが、どうだろう?」

 「確かに……みんな慣れてきたし、もう少し広い範囲を回ったほうがいいよね」

 「うむ。初任務である巡回は、足で覚えるのが基本。二班体制にすれば、より効率が上がる。だが、その前に」


 ガルドが進行方向をじっと見つめる。


 「む……騒ぎか?」


 群衆が妙なざわめきを立てていた。

 その中心には、王都でも見慣れない装束をした数人の女神教の神官の姿が。

 そして、彼らと刃を交えている黒い影。


 「魔物……じゃない? 人間……?」


 ネアが目を凝らした瞬間、剣として鞘に入っているレセルが鋭く警告する。


 『ネア、あれはただの乱闘じゃないわ。気をつけて』


 まさかの事態に、新入り団員たちの顔がこわばる。

 王都の朝は今日も騒がしい。

 だが、その騒ぎの中心には、どうやらただの治安維持では済まない何かがいるらしい。

 人混みの奥では、女神教の兵士たちが、貴族風の男性とその私兵らしき者たちを一方的に追い詰めていた。


 「ぐっ……離せ! 我らは正当な……!」

 「魔神教との繋がりが確認されました。観念なさい」


 淡々と告げられる声には、容赦がない。

 ガルドが即座に前へ出た。


 「待て! ここは王都の中央区だぞ! 許可もなく兵を動かし、街中で争うなど!」


 その言葉に、女神教の兵士は振り返り、首をかしげる。


 「許可が必要ですか?」

 「……なに?」


 あまりに自然な返答に、ガルドの眉がぴくりと動く。


 「必要に決まっている! ここはベルフ王国なのだぞ! 女神教といえども、王国法を無視することは」

 「女神の意思に背くおつもりですか?」


 静かな問い。

 けれど、その場の空気を凍りつかせる威圧があった。


 「……その意味、理解されていますね?」

 「む、むむむ……!」


 ガルドは拳を握ったまま言葉を詰まらせた。

 頑固な彼が、ここまで露骨に押し黙るのは滅多にない。


 (女神教って、ここまで強引なの? いくらんでもこれは……)


 そのやり取りの隙に、貴族と私兵らは必死に走り去っていく。


 「待て!!」


 女神教の兵が追おうとする。が、その前にネアが一歩踏み出して抑えた。


 「ちょっと待ってください」


 女神教の兵は、先ほどと同じ静かな目でネアを見る。


 「……何か?」

 「ここで追えば、被害が増えるだけです。王都の治安を守るのは、騎士団の役目です」

 「魔神教と繋がっている以上、我らが処理すべきです」

 「でも……」

 『ネア、近くに行きすぎないように。あいつら、話が通じないわ』


 女神教の兵はゆっくりと肩をすくめた。


 「では、勝手にしてはいかがです? どのみち、彼らはすぐ捕まりますので」


 あくまでも余裕の態度。

 こちらを見下してすらいる。

 ネアは一歩下がって、そっとガルドの側に寄った。


 「副団長、耳を貸して」

 「む……どうした?」


 ネアは小声で耳打ちする。


 「遅かれ早かれ、あの人たちは捕まる」

 「うむ……そうだろうな」

 「なら……女神教に捕まる前に、私たちが捕まえるってのは?」


 ガルドの目が、かすかに見開かれた。


 「……そうする理由は?」

 「女神教に渡したら、全部“内々で処理”されて、私たちには情報が一切入らなくなるかもしれない」


 ネアは、今なお女神教の兵がこちらを監視しているのを確認しながら続ける。


 「魔神教と繋がる貴族……何が起きているのか、王国として知る必要があるはず」

 「…………」


 ガルドは深く息を吐いた。


 「……若いが、筋の通った考えだ」


 そして、低く力強く続ける。


 「よし。追うぞ。治安維持の名のもとに、な」


 レセルが鞘の中でくすりと笑う。


 『ふふ、いい判断じゃない。面白くなってきたわね』

 「面白がってる場合じゃないんだけど」


 騎士団員たちが一斉に駆け出す。

 黄昏の剣騎士団、初の追跡任務が始まった。

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