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100話 勝者と観測者

 ネアは構えを変えると、深く息を吸った。


 (まっすぐ攻めても、崩せない……なら)


 視線をベルクスへ向けたまま、ネアはかすかに口を動かす。

 周囲には絶対に聞こえない、小さな声。


 「……ねえ、ベルクスさん。使者として来てる女神教の偉い人が……見物人に紛れてるの、知ってる?」


 これは揺さぶりの一つ。

 冷静な相手でも、教皇が来てるとなれば、さすがに意識が逸れるはず。

 しかし、ベルクスは逆に穏やかに目を細めた。


 「もちろん知っている。……というより、あの方の要請を受けて、君にこの模擬戦を申し込んだんだ」

 「え……」


 思考が一瞬止まった。

 その隙を、ベルクスは見逃さなかった。

 一気に間合いへ踏み込み、赤い光を帯びた剣が、ネアの脇腹を狙って鋭く叩き込まれる。


 ガァン!


 ネアは咄嗟にレセルを構え、なんとか受け止めたが、腕へ痛烈な痺れが走った。


 「っ、く……!」


 観客席がどよめく。

 その瞬間、レセルが苛立ちを隠さずにささやいた。


 『……向こうじゃなく自分が動揺してどうするの、バカ。それと返事はいらないわ。いいから聞きなさい。あいつは攻める時、守りが薄くなる。その瞬間だけ、あなたの攻撃が通る』


 疲れることがないため、攻守の切り替えが完璧で、守りの時にも隙がないベルクス。

 だが、攻撃に移る瞬間だけ、ほんの一瞬だけ、守りは崩れる。


 『だから、あなたは攻撃の勢いを弱めて。こっちが攻めすぎると、相手は永遠に守り続ける。攻めさせるのよ。攻撃を誘って、その瞬間に叩き込む』

 (攻撃を……誘う……? 私が攻撃しないと見せて……逆に相手を攻めに転じさせる……)


 ネアは構えを変え、あえて前へ出ない。

 じりじりと後退しながら、剣先をわずかに下げる。

 ベルクスはその意図を読み取ったのか、小さく呟いた。


 「……なるほど。“誘う”か。この短時間で考えるとは。見物人のためにも、乗ろう」


 そして踏み込んだ。


 「来る──!」


 ネアの心臓が爆発しそうなほど高鳴る。

 ベルクスの剣が一直線に振り下ろされる。


 『ネア、今よ! 思いきり強化する! 代償については今は無視!』


 肉体の限界を越えたことによる強烈な反動が、あとで降りかかるとはいえ、負けるよりは勝ちたい。

 レセルの魔剣としての力により、ネアの身体能力が強化される。

 視界の色が濃くなり、音が鮮明になった。

 筋肉が爆発的に強化され、ベルクスの動きが、ほんのわずかに“遅く見える”。


 「──っはぁぁああ!!」


 その一瞬を逃さず、ネアは踏み込み、ベルクスの剣筋の内側へ体を滑り込ませた。

 そして、渾身の一撃を叩き込む。


 ガァァァンッ!!!


 ベルクスの体が大きく弾かれ、砂塵を巻き上げて後方へ倒れ込む。

 審判役の文官が、跳ねるように手を上げた。


 「勝者──黄昏の剣騎士団団長! ネア・ブランシュッ!!」


 観客席が大きく沸いた。

 その中、フードを被った一人の見物客が、誰よりも静かにそして満足げに微笑む。


 (フェリシアさん……)


 視線を向けると、彼女は周囲に気づかれたくないというように、スッ……と立ち上がり、人混みに紛れようとしていた。

 まるで最初から、この瞬間だけを見に来たかのように。


 『あの銀髪……本当に厄介ね。楽しむだけ楽しんでさっさと消えるとか』

 「ちょ、ちょっと待って……声をかけ」

 『いいのよネア。あれを追えば面倒になるだけ』


 レセルの言葉に、ネアは息を整えながら剣を下ろす。

 勝利の余韻よりも、胸の内には不思議なざわめきが広がっていた。

 フェリシアが何を求めていたのか。

 彼女がなぜこの戦いを観たのか。

 その答えはわからない。


 「負けてしまった、か」


 勝負が終わり、観客のざわめきが徐々に落ち着いていく中、ベルクスは砂埃を払って立ち上がった。

 その表情は悔しさではなく、穏やかな敬意で満ちていた。


 「本当に見事だったよ、ネア団長」

 「い、いえ……ありがとうございます」


 ベルクスは剣を収めると、静かに言葉を続けた。


 「せっかくだし最後に……一つ忠告しておこう」

 「忠告……?」

 「君が、女神教と敵対しないことを願うよ」


 その一言に、ネアは思わずまばたきをした。


 「え……?」

 「君はまだ若い。だが、魔剣使いとしての力、騎士団長という立場……そのすべてが影響力になる。だからこそ、誤解されないように行動してほしい」


 言い終えると、ベルクスは深く礼をして退場した。

 残されたネアは、胸の奥がざわつくのを抑えられない。


 (女神教と敵対……? そんなつもりは全然ないけど……)


 そこへガルドが歩み寄ってきた。


 「先ほどの言葉……気になるか?」

 「うん。どういう意味?」


 ガルドは腕を組み、少し眉を寄せた。


 「王国と女神教は、深い繋がりがある。もし女神教と敵対するような行動を取れば、それは間接的に王国と敵対することにもなり得る」

 「王国……と……?」

 「今までならそこまで心配するほどでもないが、今は教皇が王都にいる。女神教の影響力は、いつも以上に強まるだろう。ベルクス殿は、そのことを踏まえて助言したのだろう」


 助言。

 それは戦いの場に立つ者としてではなく、同じ団長としての忠告のように感じられた。

 ネアは小さく頷いた。


 「……気をつけるよ」

 「うむ。今回の勝利は、さらなる注目を集める。言葉や行動にどうか注意を」


 後片付けが終わり、訓練場から離れると、ネアたちは宿舎に戻った。

 そこは、急いで用意された黄昏の剣騎士団の宿舎。

 広くはないが、新設の騎士団にしては悪くない設備だ。

 剣架、洗面所、休憩できる部屋。

 ようやく落ち着ける状況に、ネアは長く息を吐いた。


 「疲れたぁ……」

 『まあ、よくやったわ。誇りなさい』

 「このあと反動が来るの憂鬱」

 『なら、人の姿になったわたしと“触れ合い”ましょ? 魔力の巡りがよくなり、痛みはそれだけ早く消える』

 「あれはレセルが調子に乗るからやだ」


 話していると、ノックもせずに扉が開く。

 ユニスにリュナの二人が、ずかずかと入ってくる。


 「せめてノックはしてよ」

 「まだ団員も揃ってないのに?」

 「それとも、何か人に言えないこと話してたりとか~?」


 リュナはニヤニヤしながら問いかけるため、ユニスは軽く彼女の背中を叩いて戒めると、抑えめの声で言った。


 「模擬戦するなら……一声くらい、あってもよかったのに」

 「ご、ごめん! 急に決まったから……」

 「まあ、ネアが悪いわけではないし……私は戦闘向きでもないから、文句は言えないけれど」


 ユニスは椅子に腰かけながら、ネアの状態を上から下までじっと観察する。

 そしてリュナはというと。


 「いやー、参加したかったな。見てたけどさ、結構勉強になりそうだった」

 「リュナ、戦うの好きすぎでしょ……」

 「違う違う、職業柄だよ、職業柄。でもさ~バゼム様の雇われって立場があるからねぇ……」


 そう言うと肩をすくめた。


 「参戦しようとしたら、手の内が見られるとか言って、絶対バゼム様に止められる」

 「ああ……確かに……」


 ネアも納得せざるを得なかった。

 リュナは騎士団員ながら、現在も一応はバゼムの管理下にある。

 それを知っている貴族は多く、模擬戦に参加すれば、派閥争いの材料にされかねない。

 それになにより、彼女の魔剣たるヴァニティアは、魔法を無効化するという能力を持っており、それが広まるのは避けたいところ。

 ユニスが遠い目で言う。


 「魔剣の能力を考えると、出なくて正解」

 「うーん、残念」


 宿舎の空気は、一気に緊張から解放されていく。

 なお、その後、肉体強化の反動が来たネアは、レセルに支えられながら二人と別れ、団長用の個室で休むことに。


 ◇◇◇


 模擬戦の熱気がまだ訓練場に残っている頃、城内の別の廊下を、静かに歩く少女がいた。

 白銀の髪を揺らし、銀の瞳にわずかな興奮を宿している。

 それは教皇フェリシア。


 「……やっぱり、興味深い。ネア・ブランシュ」


 すれ違う侍女や騎士は皆、深々と頭を下げるが、誰一人として彼女のまとう異質さに気づかない。

 フェリシアは人目のない窓辺で立ち止まり、模擬戦が行われていた遠い訓練場の方向に視線を向けた。


 「魔剣と使い手……あそこまでの結びつきは滅多に見られない。命の危険があるほどの深い繋がり」


 薄く、楽しげな笑み。


 「……崩すにしても、利用するにしてもやっぱり特別ね」


 指先が窓枠を軽く叩く。

 その仕草は、感情を抑えきれない子どものようでいて、しかし、瞳の奥に宿る光はどこか底知れない。


 「さて……どこから手を付けようかしら。魔神教か、ネアか。興味が尽きないわ、本当に」


 銀の瞳がきらりと笑い、フェリシアは神殿風の客室へと戻っていく。

 その微笑みは、祝福にも見え、呪いにも見えた。

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