10話 盗賊の待ち伏せ
丘陵地帯に入ると、緩やかな坂を登り下りするようになり、岩陰や茂みが増えてくる。
遠くまで見渡せるはずなのに、妙に視界が狭く感じられ、少し警戒が強まる。
「おっと、これはまた嫌な場所だな」
御者台のカイランが小声で呟き、手綱を強く握る。
リサナも背後を振り返り、険しい目をしていた。
「こういうところ、待ち伏せには最適だしね」
「もうすぐ王都ってことで油断した奴を狙う、盗賊の集団が待ち構えてたりしてな」
「あのね、兄貴さ、そういうこと言うのやめてくんない?」
悪ふざけとして語った言葉だが、それはすぐに現実となった。
ガシャッ、と音を立てて岩陰から人影が飛び出す。
前方の道を十人ほどの武装した者が塞ぎ、後方の茂みからも同じくらいの人数が現れた。
錆びた鎧、粗末な槍、所々が欠けた剣。
だが、数だけは二十人と圧倒的だった。
「止まれぇ!」
誰かが怒鳴る。
カイランは馬を制し、馬車を止めた。
その瞬間、ひときわ大柄な男性が前へ進み出る。
肩まで伸びた黒髪を乱暴に束ね、片腕には分厚い鉄の篭手。
腰の大剣は刃こぼれしつつも異様な迫力を放っていた。
他の者たちが自然と距離を取るあたり、この人物が盗賊を率いる首領だと一目でわかる。
「よぉ、荷物たっぷりな旅人さん方」
盗賊の首領は口の端を吊り上げ、にやりと笑った。
「命が惜しけりゃ、荷を置いていきな。そうすりゃ手出しはしない。悪い話じゃねえだろ?」
挑発的な言葉に、空気が張り詰める。
ネアは腰の剣に手をかけ、警戒を強めた。
首領の眼差しは獣のように鋭く、こちらの反応を楽しむかのようだった。
『……気を抜かないで。こいつ、只者じゃないわ』
鞘からレセルの鋭い声が届く。
その響きに、ネアの指先は自然と強く柄を握っていた。
「あー、すまんが、ちょいと待ってくれ。相談したい」
カイランが片手を上げつつ声をかけた。
首領は眉をひそめたが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。
「構わねえが、長引かせるなよ。俺らも暇じゃねえんだ」
背後の盗賊たちが下卑た笑いを漏らす中、カイランは馬車の影に、ネアとリサナを呼び寄せた。
「さて……どうする?」
その声は低く、普段の軽さは消えている。
リサナは険しい表情で答えた。
「数が多すぎるのがね。二十人……正面からやりあったら袋叩きにされるだけ」
「荷を渡せば済むって話もあるが……」
「でも兄貴、それは無理でしょ。あの荷は……」
「やれやれ、困った状況だ」
二人のやりとりに、ネアは首をかしげる。
だが、今は問いただす余裕はない。
「さて。逃げるにしても、まずは時間を稼がなきゃならねえ」
カイランは顎に手をやり、ちらりとネアを見た。
「で……そこでだ。ネア、お前なら首領の相手、できるかもしれねえ」
「わ、私が!?」
思わず声がうわずる。
だがリサナも頷いた。
「街で魔物とやり合えてたでしょ? 檻をぶっ壊すくらいやばいやつ。それにあの男、部下をけしかける気はないみたい。相手と正面からやり合うのが好きなタイプよ。なら、誰かが喧嘩を買って出るのがいい。それに子ども相手なら、多少は舐めてかかるだろうし」
「けど……私、まだ」
『大丈夫。あなたにはわたしがいる』
レセルは甘く優しいささやきを送る。
ネアはわずかに目を閉じると、胸の奥に少しだけ勇気が湧いた。
「……やってみる」
その答えに、カイランは口元を緩める。
「よし。俺とリサナで馬車に近づく雑魚を牽制しつつ、準備をする。その間にお前が油断してる首領の気を引け。勝つのは難しくても、いくらか時間を稼げりゃ十分だ」
「……了解」
三人は視線を交わし、再び前へ出る。
待ち構える首領は、にやりと口角を吊り上げた。
「決まったか?」
「おうよ」
カイランが笑みを浮かべ、顎をしゃくる。
「この娘がお前の相手をする。手加減してやれよ」
一瞬の静寂。
次の瞬間、盗賊団にざわめきが広がった。
「は!? ガキに戦わせるだと?」
「バカにしてんのか!」
「お前が来い!」
だが首領は笑い声をあげた。
「はっはっはっ!! いいだろう。面白えじゃねえか。……来いよ、お嬢ちゃん。たまにはガキと戦うのも悪くない」
その眼差しは、まるで獲物を前にした獣。
ネアは震える手で剣を抜き、深く息を吸い込んだ。
剣を構えると、心臓は嫌なほど大きな音を立てていた。
首領の巨体は岩のように揺るがず、その眼差しは狩りを楽しむ獣のように鋭い。
『ネア。今回は、あなただけの力で戦いなさい。助言はしてあげる』
背中から響くレセルの声は、どこか厳しさを帯びていた。
「……えっ、ちょ、いやいやいや!? 無理無理無理!」
『大丈夫。あなたが倒れそうになれば、わたしが体を動かす。人間相手に戦う経験は、なかなかに貴重なものよ』
その声は優しいものの、逃げることをを許さない。
ネアは喉を鳴らし、渋々ながらも踏み出した。
「行くぞ! その剣が飾りかどうか確かめてやるよ!」
首領が大剣を肩から振り下ろす。
ネアは咄嗟に受け止めるが、重さに腕が痺れ、膝が沈んだ。
「っ……重い!」
受け流そうとするも、剣筋は鋭く、押されるばかり。
数回打ち合っただけで、息が荒くなり、額に汗がにじむ。
「へっ、やっぱりガキだな!」
首領が豪快に笑い、さらに一歩踏み込む。
『落ち着いて。足を運んで、剣は流すように。正面から力で受け止めないで』
ささやきが耳をかすめる。
ネアは反射的に従い、次の一撃を横へ受け流す。
刃が弾かれ、火花が散る。
「……っ!」
大剣がわずかに逸れた瞬間、ネアの腕が勝手に震えるほどの衝撃が走った。
それでも踏みとどまり、返す刀で斬りかかる。
首領はどこか楽しげに受け止めて防ぐと、口角を吊り上げる。
「おいおい、ガキの癖にやるじゃねえか!」
周囲の盗賊たちはざわめいた。
──どう見てもただの子どもが、歴戦の強者たる首領と互角に打ち合っている。首領がいくらか手加減しているとはいえ。
だが同時に、ネアが誰もいない空間に向かって何か呟いているようにも見えて、不審げな視線が集まる。
「……あいつ、何やってんだ?」
「独り言か? それとも祈ってんのか?」
ひそひそと声が飛び交うが、ネアの耳には届かない。
届くのはただ、レセルの甘やかな助言だけ。
『そう、その調子。あなたは弱くないわ。才能がある。もっと自分を信じて』
剣戟が重なり、金属音が丘陵に響き渡る。
ネアは全身を震わせながらも、一歩も退かずに立っていた。
その腕は重く痺れ、呼吸も荒い。だが、退くことなく必死に踏みとどまる。
「はぁっ!」
『次は斜めに』
首領の大剣が大きく振り下ろされる。
レセルの助言に従い、ネアは刃を受け流し、すれ違いざまに剣先を滑らせた。
シュッ……
首領の頬に赤い線が走り、血が一筋流れる。
すると周囲で見守っていた盗賊たちがざわめいた。
「なんだと!?」
「ひ弱そうな嬢ちゃんが……あそこまでやれるのか」
「傷をつけやがったぞ!」
驚きと動揺が広がる中、首領は舌で血を拭い、にやりと笑った。
「……悪かったな、お嬢ちゃん。少し、舐めすぎてたよ」
その声には先ほどまでの余裕が消え失せ、今度は真剣さを帯びていた。
次の瞬間、彼の大剣は風を裂くような速度で振り抜かれる。
重い衝撃がネアの剣を押し込み、足元の石が砕ける。
「ぐっ……!」
腕が痺れ、膝が震える。
『代わりましょうか? わたしが体を動かせば、これ以上あなたが傷つくことなく勝てる』
レセルの優しい言葉が耳に届く。
ネアは歯を食いしばり、視線を逸らさずに答えた。
「……まだ、大丈夫!」
それでも限界は近い。
相手がさらに踏み込めば、たちまち押し潰されるだろう。
その時だった。
「ネア! 準備できたから馬車に来い!」
カイランの叫びが響いた。
振り向けば、御者台の兄妹が必死に手を振っている。
馬車が動き出し、土煙を上げ始めていた。
『……来るわね。あの二人。何を仕込んでるのやら』
レセルは低い声で呟く。
ネアは短く息をついたあと、首領から距離を取り、全力で馬車へ駆け出した。
「待てこらガキ! せっかく熱くなってきた勝負から逃げるな!」
背後で首領の怒号が響く中、車輪が激しく軋み、丘陵を駆け下りていく。
荒々しく進み続ける馬車にネアは乗り込むと、安堵から息を吐いた。
「ふう……逃げ切れるかな?」
盗賊団の怒号と足音が背後から追ってくるが、馬は一切怯まずに走り続ける。
矢が飛び、刃が振り下ろされても、まるで気にしない。
「この馬、なんで止まらないの? 普通の馬ならとっくに暴れてるはず」
ネアが首をかしげると、御者台で手綱を握るカイランが短く答えた。
「普通じゃねえからだよ。こいつはゴーレムだ」
「ゴーレム……!?」
「そうだ。型枠に合わせるように、土で馬の形を作ってから、動くよう仕立ててもらった。あと形の維持もな。魔神教に所属してる錬金術師に、大枚をはたいて手に入れた代物だ。矢も剣も通じねえ……時々へこんだりするけど。走れと命じればどこまでも走る。便利だろ?」
「……そんなもの、作れるの?」
「作れるさ。金とコネがあればな!」
誇らしげに笑いながらも、カイランの手は止まらない。
後方から放たれる矢を察知すると、荷台に積んでいた荷物の一部を蹴り飛ばし、指先で印を結ぶ。
中身は土だったようで、舞い上がった土が盾の形をとり、矢を次々と弾き返す。
「兄貴、左側!」
「わかってる!」
リサナは近づく賊を、積み荷に混ざってる槍で牽制し、カイランは矢を作って撃ち返す。
土の破片が飛び散り、盗賊の叫びが丘陵に響く。
やがて盗賊団の姿は遠ざかり、残ったのは馬車の激しい揺れと、荒い息だけだった。
「……振り切った、か」
カイランがようやく手綱を緩め、馬車を停める。
丘の影で止まった馬車は、激しい走行のせいで床板が軋み、いくつかの板が外れていた。
ネアが手伝いながら修理を進めると、板の下から妙な空間が現れる。
隠し収納のような、増設された小部屋。
「……これ、何?」
「んー、それはだな……」
ネアが眉をひそめると、カイランは気まずそうに頭をかいた。
リサナがため息をつき、代わりに口を開く。
「……見つけちゃったか。そこ、密輸用の収納空間。あたしたちは各地を回りながら、いろんな品物を運んで売ってる」
「違法な代物を取り扱ってるの……?」
「そういうこと。どこの街にも裏の市場はある。正規のものじゃなくても欲しい奴はいるわけでね」
ネアは言葉を失った。
昨日まで共に旅していた兄妹が、ただの盗人以上の存在──裏の稼業を営む者だと知ったのだから。
カイランは気まずそうに肩をすくめる。
「まあ、なんだ。俺たちも食っていかなきゃならねえ。……生きるために選んだ道だ」
リサナは少し目を伏せ、静かに言う。
「嫌なら、ここで別れてもいい」
ネアはしばらく沈黙し、ちらりと腰の剣に視線を落とす。
鞘の中から、優しい声が届いた。
『裏切られてないなら、悪事に手を染めてる者でもまだ味方と考えていい。そうでしょう?』
ネアは小さく頷き、二人を見返した。
「……今は、一緒に行く。王都までは」
沈む夕陽が丘陵を赤く染める中、三人と一振りの剣は、揺れる馬車の上で静かに次の道を見据えていた。




