その5
「いいなあ、もう彼女ができたのか」
図師のにやけ顔には、明らかに嫉妬が混じっていた。
体育館には新入生が勢ぞろいしていて、壇上ではPTA会長が論語と聖書とゲーテという無茶な組み合わせから、「高校生はちゃんと勉強しましょう」という結論を無理やり捻り出そうとしていた。式の雰囲気も進行も、正直中学とほとんど変わらない。
座席は女子が前、男子が後ろと決まっていたのに、図師は無理やり俺の隣に割り込んできた。
「勘違いするな。あいつは頭のネジが一本すっ飛んでる上に、凶暴だ。きっと中学の時、ウサギ小屋のウサギが全滅してるタイプだ」と俺。
周囲のやつらが露骨に聞き耳を立ててる。どうやらPTA会長のありがたい話より、俺たちの修羅場の方が人気らしい。
「彼女じゃない。ただのクラスメイトだ」
「でも『なれそめた』って言ってたぞ、菊理様」
「知らないのか? 男女交際ってのはな、双方の合意が必要なんだよ。一方的に言ったもん勝ちじゃない。もしそれで成立するなら、俺は今からハリウッド女優と付き合ってることにするぞ。な? 俺が勝手に言ってるだけで、実際は何の関係もない。それと同じだ」
俺が一気にまくし立てたところで、壇上の担任が振り返り、軽く睨みつけてきた。やば。
「……それにさ、朝っぱらからお神籤引かせて、なんか運命とか言われて――れ!」
――あいたッ!
突然、頭をげんこつされた。……図師のせいである。
そのあと、一年生代表の「粉骨砕身がんばります」的なあいさつや、校歌のたどたどしい合唱を経て、ようやく入学式は終了した。
教室に戻って、自分の椅子を元の位置に戻した後、生徒たちは配布物を確認し終えると、次々に下校していった。
ホームルームで自己紹介も済ませてあるし、生徒手帳や推薦合格者用の記録PCも配られていた。せっかくだし、図師と一緒に帰ろうかと思ったが、すでに奴はとっとと先に帰っていた。
書き忘れていたけど、一二組の推薦合格者は――俺、天宮さん、小学生みたいな見た目の八木、メガネでデブの箇人、そしてなぜか菊理の五人だ。俺が言うのもなんだが、よくもまあ菊理が合格できたもんだ。本人も驚いてたみたいで、変な顔をしていた。
「どこの学校も、面白い式辞ってないものですね」
ちょっと息を切らせながら天宮さんが言う。
しまった。俺が椅子を3つくらい持ってくるべきだった。言うまでもなく、数が合わなかったのは――菊理の椅子だ。
「あの……どなたでしょうか?」
天宮さんは穏やかに笑いながら、小首をかしげた。
えっ……まじでショック。さっき自己紹介したばかりなのに……。でも、俺はめげない。この女神のような人が隣の席になっただけで、今日という日が救われた気がする。殺伐としてるけど顔だけはいい菊理と違って、天宮さんは本物の癒し系オーラを放ってる。
絶対、仲良くなりたい。
「改めまして……高屋です。よろしくお願いします」
「……はあ、よろしくお願いします」
ああ、この人が仏像だったら、俺は即買いだ。ありがたみもあるし、国宝級の可愛さだし、仏師が彫った瞬間、文化庁が泣く。
「帰るわよ」
そのとき、俺の背後からゴツッとベルトを掴まれた。振り返ると、そこには夜叉のような顔をした菊理がいた。
仏様タイム終了。現世へ強制送還である。
天宮さんに軽く会釈して、俺はズルズルと引きずられていった。
校門の前には、なぜか黒塗りのスモークベンツが停まっていた。
「えらい物騒な車だな」
「来賓でしょ」
「あー、なるほど。……てか、そろそろ放してくれないか?」
「なんで?」
……いや、ほんとになんで?
そのおかげで俺は女子寮までの約400メートルを、後ろ向きで歩く羽目になった。この歩き方、今日一日を象徴してる気がする。
ようやく解放された――と思ったら、さらなる爆弾が投下された。
「10分後に迎えに来なさい」
「……は?」
「デートよ。市内に行くから、準備しておいて」
菊理の顔には険しい眉と、うっすらとした怒気が宿っていた。その言葉には、まるで『666』のような呪詛の響きがあった。