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その2

「一年間、よろしくな!! お前、出身どこ? もしかして県内? 俺、県内出身なんだけどさ。やっぱ東京とか大阪出身だったりするの?」


 勝手に気まずさを感じた俺は、必要以上にテンションが上がり、やたら饒舌になっていた。


「お前、走ってきただろ? 速かったよな? 俺のいた中学の吉屋より速いんじゃないのか。あの女もめちゃくちゃ速かったんだよ。私立行っちゃったけどさ。すげえんだぜ、学年一位で、俺より速い」


 ――なぜ俺は、菊理の背中に向かってここまで古屋の話をアピールしたのだろうか。


「……」


 自席についた菊理は、鞄の中をごそごそとあさっていた。いつの間にか呼吸も落ち着いていたようで、セーラー服の後ろ襟から垣間見えるうなじに、俺はなぜかドキドキしてしまった。いや、仕方ない。女の子のうなじはドキドキでできている。


「知るわけないよなあ。あ、でも、もしかして知ってたりしてな。古屋も相当有名だったし、あははは」


「……」


「はは……は、は」


 俺の笑い声は急速に乾いていく。その細い背中は、テンパリ共和国の民にとって、鉄のごとき頑強で巨大な国境線のように見えた。――「黙ってろ」って言われた方がまだマシだ。


 俺は席に戻ると、静かに目を閉じた。凍てつく空気が、皮膚を切り裂くようだった。取りつく島がないときは、取りつかないのが賢明だ。


 早朝の学校は、まだ眠っているようだった。時計の秒針だけが、静かに進んでいた。


 机が床をこすった。おおかた、鞄の取っ手を机のラックに引っかけたのだろう。


 菊理が、大きく息を吐いた。


 誰も来る気配がない。1年2組だけじゃない。隣の教室も、そのまた隣の教室も、物音一つ聞こえてこない。みんなもっと入学に浮かれるべきだ。雲雀がどこかで鳴いていた。


「……寝てるの?」


 薄目を開けると、俺の顔の真ん前――ちょうど覗き込むように、テンパリの原因がいた。不安そうにしていた表情は一変し、イタズラっぽく笑う。


 ……あれは卑怯だ。あの顔で、あの表情は、殺人的すぎる。


「起きてるよ」


 俺はそう言って、目を開けた。うかつな行動は、うかつな結果しか招かない。第一印象を向上させようなんて、余計なことを考えるんじゃなかった。正直、寝たふりを続けていればよかった。やはり入学初日は、悪魔が潜んでいる。


「……よかった」


 菊理は不自然に微笑むと、俺に向かって両手を差し出した。


「はい、それじゃ、こっから一つ選んで」


「へぁ?」


 きょとんとしたのは、俺が間抜けだからじゃない。もしここで「こいつ間抜けだな」と思った奴がいるなら、そいつこそ間抜けだ。初対面の人間同士が向かい合うとき、自己紹介という銘柄のお茶で濁すのが人類共通のルールだ。俺の胸元に、崩れんばかりの紙くずの山を突きつけることじゃない。あってたまるか。


「……なんだ、これは?」


「見てわかるでしょ。()()()()()()()。しかも、あたしん家特製だから当たるわよ~」


 ――訂正。紙くずの山じゃなくて、お神籤の山だった。


 菊理の広げた両手のひらの上には、初詣の賽銭箱の隣にある、あのお神籤が、もりもりとのっていた。


「すまん。意味がわからん。なんで俺が引かなきゃならんのだ? てか、なんでお前はそんなに大量のお神籤を持ってる?」


 ――このときの俺は、まだ知らなかった。菊理に「人類共通ルール」は通じない。


 彼女の口元が、ぴくぴくと痙攣していた。さっきまでの笑顔は、すでに過去の遺物だ。


「いつまでこの体勢にさせる気? 四の五の言わず引け。あんたの高校生活を占う大事なモノなんだから」


 ……これ、引くっていうより、取るに近いよな。でもまあ、その辺はどうでもいい。


 俺はしかたなく、山盛りお神籤の上で手を彷徨わせた。どうせなら、景気がいい方がいい。

 俺が手を宙に彷徨わせていると、しびれを切らした菊理が怒鳴った。


「あーもう! 神様が待ってんだから早く引きなさいよ!! 秒速でッ!!」


 その迫力に完全に気圧されて、俺は慌ててこぼれ落ちそうな一枚を引き抜いた。

 おみくじには、聞いたこともない県内の神社の名前が印刷されていた。どこかの村のものだろう。


「ね、ね、何だった?」


 菊理は残ったおみくじの山を自分の鞄に戻しながら、何度も何度も訊ねてきた。


「まだだ。昨日、爪切ったばかりで、開けにくくて」


「もうっ、なんて鈍くさいのよ。貸して!」


 俺が糊止めを剥がすために一生懸命カリカリと奮闘しているのを無視して、

 菊理はおみくじをひったくると、何の躊躇もなくビリビリと破いた。


「おい、そんな開け方じゃ罰が当たるぞ」


「黙ってて」


 右手ひとつで俺を制する菊理。その傍若無人さに俺だって黙っていられなかった。


「返せ。俺が選んだおみくじだ。せめて最初は俺に読ませろ。

 だいたいおみくじなんて他人にそこまで干渉されるもんじゃないし、

 日記を読まれるみたいで恥ずかしいだろ」


 だが、俺の抗議は空しく虚空に消えていった。

 菊理はじっとおみくじに目を落とし、やがて――わなわなと震え始めた。


 ……嫌な予感しかしなかった。


「な、なんだ? 何かあったのか?」


 おみくじから顔を上げた菊理の表情は、まさに鬼の形相だった。

 鬼じゃなければ明王だ。


「ちょっとあんた、ここに正座しなさい!!」


 おみくじ女はまっすぐにタイル張りの床を指さした。


「ええぃっ! 画鋲はどこよ! ミリ単位の隙間もなく敷き詰めてやる!」


 憤然と教壇へ向かおうとするその袖を、俺は慌ててひっぱった。

 本気でやりかねない迫力だった。


「お、お、落ち着けって! なんの拷問だよ! 俺が何したってんだよ!」


()()! ()()()! ()()()! ()()()!」


「……大凶? 大凶だったのか? そりゃ凹むな……」


「そうよ、この間抜け!! なんのためにおみくじよ! 

 あたしの顔に泥を塗るにもほどがあるわ!」


「いつ俺がお前の顔に泥を塗ったんだ!? 

 てか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」


「うるさい、黙れ!!」


 ……理不尽だった。お神籤を勝手に引かせておいて、書かれた内容が気に入らないと激昂する。子どもだ。それ以外に形容するなら、悪魔だ。


 その悪魔は、俺の隣の机に腰を下ろし、鬱陶しそうに脚を組んで揺らしていた。眉間に刻まれた深い皺を見るかぎり、状況が好転する気配はない。


「お、俺は何か、お前に悪いことでもしたのか?」


「しばらく口を閉じててくれないかしら。あたしはあたしで、考えをまとめなきゃならないの」


 あまりにも一方的な口調に、俺はもう逃げるしかないと悟った。この女と関われば、ろくなことにならない気がする。時間ぎりぎりまで他の教室にでも潜り込めば、見つからずに済むかもしれない。


 ちらりと盗み見ると、菊理は両手で顔を覆っていた。今だ。これは絶好のチャンス――逃すわけにはいかない。


 そう決意し、そっと席を立とうとした、そのときだった。


 唐突に、そいつは俺の名前をつぶやいた。


「……なんで俺の名前を知ってるんだ?」


「黒板に書いてあるじゃない。あたしは菊理」


 そう言って、菊理は顔を上げた。その清楚な顔は、相変わらず歪んでいた。眉間には皺が寄り、口はへの字に曲がっている。


 そして、これ見よがしに大きなため息をつく。


()()()()()()()()()()()()()()。有無も言わせない。否応もなく、一切の反論も認めない。――愛・し・て・る》」

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