2.ここに咲く 3
なだらかに連なる丘の上を、見渡す限り一面に、スイートピーの花が埋め尽くしている。
赤。白。ピンク。黄色。紫。
さまざまな色合いの花がまだらに咲く群生地に、ひとりの少女が座り込んでいた。
十歳くらい。まだ幼さを残す顔立ちと、華奢な体。柔らかい栗色の髪を耳の後ろで二つに結び、チョコレートブラウンのワンピースを身に纏っている。
「これは、お姉ちゃんが好きだった色。こっちは、私が好きな色。それから……」
透き通る高い声が、澄んだ空に吸い込まれていく。
少女は小さな手を動かして、その腕いっぱいにスイートピーの花を摘んでいた。無邪気な笑顔で、一心に。
その傍らを黒い蝶が舞っている。まるで小さな子供を守るように、ただそばにいる。ふわり、ふわりと舞い遊びながら。
レネはその様子を見守りながら、後ろから追いついてきたエリアスに困惑した表情を向けた。
どうしたらいい、と表情で問いかけるレネに、エリアスは少し様子を見ようと耳打ちをする。
頷き合った二人の視線の先で、少女のマリンブルーの瞳が不意に潤む。その大きな瞳から、涙が一粒零れ落ちた。
再び困惑した顔をエリアスに向け、レネは戸惑いながらも静かに少女に歩み寄る。
微かな気配を感じて振り向いた少女は、スイートピーの花束を握り込んだまま、ごしごしと目元を拭った。
どうして泣いているの?
何かあったの?
助けになれる?
言葉は頭に浮かぶのに、どれ一つとして言えないまま、レネは困ったように少女の隣に座り込んだ。安易に選んだ言葉が誰かを追い詰めるかもしれない。そう思うと、何も言えなかった。
「花、きれいだね」
結局選べたのは、そんな当たり障りのない言葉だけ。気の利いた言葉一つ言えない自分が情けなくて、レネはくしゃっと前髪を掻き上げた。
エリアスだったらこんな時、何て言葉をかけるんだろう。
大丈夫。
安心しろよ。
涙のわけを聞かせてくれるか。
いつか同じ言葉に責任を持てるようになったら、私も相手を安心させてあげられるんだろうか。エリアスのように、なれるのだろうか。
ふとそんなことを考えて、レネは口の端を下げた。
少女はレネの言葉に拍子抜けしたように瞬きを繰り返す。その目元に残った涙が、小さな水滴になって落ちた。
「なあ。その花、誰かに届けようとしてたのか?」
ゆっくりと近付いてきたエリアスが、身を屈めて少女に問いかける。
「あのね。カミラお姉ちゃんと、お花屋さんをやるつもりだったの」
ぎゅっと握り込んだスイートピーの花は、小さな手の中ですっかりしおれてしまっている。
「花屋……?」
呟くレネに、少女は頷いた。
「約束したの。大きくなったら、一緒にお花屋さんを開こうねって。でも」
大きな目が、再び涙に濡れる。その雫をこぼさないよう、少女は口元に力を入れる。
「もう、どこにもいないの。約束したのに……」
少し俯きがちに答えた少女の肩に、黒い蝶が寄り添う。力なく降ろされた指先から花がこぼれ、風にさらわれていく。
「いないって……」
レネが小さな声で囁くと、エリアスは静かに首を振った。その別れを憶測で語ることはできるけれど、真実がどんなものだったとしても、目の前の少女が悲しんでいる事実は変わらない。
エリアスと顔を見合わせたレネは、色鮮やかに咲き誇る花の中に座り、少女の涙が乾くのを待った。