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2.ここに咲く 2

 朝から歩き続けた足が痛み始めた頃、目の前に色とりどりの生花で飾り付けられた看板が現れた。

 花の町、リュシエール。

 その看板の向こうには、茶色い煉瓦の町並みが広がっている。

 くすんだ色合いの石畳と、しゃれた外観の街路灯。連なる家のあちこちに花が植えられ、優しい色彩が溢れている。

 午後の日差しの中を進むと、小さな町の中央に作られた円形広場に出る。

 どうやら市が立っているらしい。昼下がりの広場は多くの人で埋め尽くされ、活気に溢れていた。

 白い布を張ったテントの下では野菜や果物を扱う店が軒を連ね、そのすぐ脇には洋菓子や軽食の屋台が並ぶ。その隙間を埋めるように、地べたに直接敷物を敷いた商人たちが土産物やアクセサリーなんかを広げている。

 花の町というだけあって、ラタン編みの籠や小さな手押し車いっぱいに花を乗せた売り子が、あちこちで切り花やコサージュ、香りの良いサシェなんかを売り歩いている。

 あちこちで客引きをする声が響き、昼下がりの町は明るい空気に包まれていた。

「なかなか活気のある町だな」

 市場の様子を見渡したエリアスが、楽しそうに口の端を持ち上げる。その隣に佇んでいたレネは、ふらりと広場の中央に吸い寄せられていく。

 円形広場の中央に、小さな人だかりができている。見世物でもやっているのかと思ったが、まばらな人垣の向こうに見えたのは、古びた茶色い煉瓦で囲った噴水だった。

 囲いに溜まった水面に、色とりどりの花が浮かんでいる。その隙間から見える水底には、複数の魔石を埋め込んだ魔法陣が描かれているのがちらりと見えた。

 魔石から噴き上がる水が、水面の花を煌めく水滴と一緒に宙へと舞い上げる。その瞬間、花は光に変わり、空へと吸い込まれて行った。

 噴水が上がるたびに、周囲の人だかりから歓声が上がる。

「よかったら、お一ついかがですか?」

 幻想的な光景に魅入っていたレネは、突然掛けられた声にびくりと体を震わせた。

 淡いラベンダー色のエプロンドレスを着た花売りの女性が、質素な籠に半分ほど入った花を勧めてくる。

「この噴水、願いを込めて花を浮かべると成就するっていう言い伝えがあるんです。良かったら、やってみませんか?」

「えっ、あの」

 屈託のない笑顔に気おされて、レネは両手を顔の前で振った。

「私は、遠慮しておきます」

 レネの言葉に、花売りの女性が少し困った表情を浮かべる。その様子に、嫌な言い方をしてしまっただろうかと罪悪感が湧き上がった。

 場を和ませたいのに、とっさに気の利いた言葉が出てこない。

「えっと」

 何か言わなくちゃ。そう思った瞬間、背後から伸びた手が籠に入れられた白いカーネーションを持ち上げた。突然の出来事に、レネはびくりと体を硬くする。

「そんなこと言わずにさ。面白そうじゃん。ちょっとやってみようぜ?」

 いつの間にかレネの背後に立っていたエリアスが、カーネーションをレネに渡した。

「二つ、お願いします」

 ポケットを探ったエリアスが、取り出した硬貨を女性に手渡す。

「あっ、白でよろしいですか? 花の色ごとに、効果のある願いが決まっているんですよ。ピンクは恋愛に、黄色は家族との絆に、青は将来の夢に関する願いがいいと言われています」

「へえ。白は?」

 エリアスの問いに、花売りの女性は苦笑を返す。

「白は、故人を偲ぶ花なんです。別れと安らぎを願う色なので、お取り替えしますね」

 花売りの女性が、指の長い綺麗な手を伸ばす。レネは、思わずカーネーションを胸に抱き込んだ。

「あの。私、これがいいです」

「えっ、でも」

 戸惑う女性に、エリアスがにこりと笑顔を向ける。

「取り換えなくて大丈夫です。あと、青を一本もらえます?」

 戸惑いがちに頷いた女性は青いデルフィニウムを取り出すと、邪魔になる茎をはさみで切り取り、エリアスに渡す。レネの持つカーネーションも花のすぐ根元で茎を切ると、ちょうど人の減った噴水を示した。

「お願いごとを心の中で唱えながら、花を水に浮かべてください。噴水の力で花が光に変わったら、願いが叶うサインです。お二人の願いが叶いますように」

「ありがとう、ございました」

 ためらいながらお礼を言ったレネは、エリアスに手招きされて水辺に近付く。

 茎の切り取られたカーネーションを両手で包むように持って、そっと水面に浮かべる。

 水は思うよりも冷たく、思うよりも澄んでいた。

 静かに浮かぶカーネーションの隣に、デルフィニウムの花が添えられる。

 魔石が作動する微かな音が耳に届き、水面が微かに揺れ動く。噴水の中央に吸い寄せられた二人の花が、輝く雫とともに宙に舞い、光になって空に消えた。

「よかったな」

 そう言ったエリアスは、レネの後ろを見つめている。振り返ってみると、光の消えた噴水に人だかりができ、新しい花を浮かべていく。

「こんなの、気休めでしょ」

 取り付く島もない言い方をしたレネが視線を上げる。その唇から、微かな声が漏れた。

「あっ」

 彼女の視界の端を、カラスアゲハよりも一回り大きな黒い蝶が舞っていく。

「ルゥア、か」

 花売りの女性の鼻先を掠め、露店を冷やかす子供たちの肩をすり抜け、ひらひらと舞い遊びながら黒い蝶はどこかへ飛んでいく。

 ふわふわと舞い飛ぶその姿がまるで助けを求めているように見えて、気が付けばレネは走り出していた。

 闇色の鱗粉を追い、人の波をかき分けて、石畳の道を進んでいく。市場を出て上り坂を駆け上がり、路地裏を通り、人の足で踏み固められただけの小道を行き、辿り着いた場所は町はずれの草地だった。


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