11.旅立ち 2
「気持ちは、落ち着いたかしら?」
少しずつ弱まっていく太陽の光がすっかり消えたころ。静かなマリエルの言葉に、レネは身を小さくして頷いた。
「その傷、癒やしたい?」
灯りの灯ったランプが照らす部屋の中。目の前を舞うルゥアの姿を目で追いながら、レネのすぐ隣に座り直したマリエルが問いかけてくる。穏やかな声は、どこまでも優しかった。
レネは、泣きすぎて重くなった頭をゆっくりと横に振った。
「消さないでほしいんです。ちゃんと、自分で背負いますから」
黒い蝶が、いなくなってしまったエリアスとの最後の繋がりのような気がして。癒やしてしまったら、二度と会えなくなってしまうような気がして。ただ、怖かった。
「飲み込まれないように、注意します。絶対に、周りに迷惑はかけません。だから自然に消えてしまうまで、この蝶はこのままで……」
取り上げられてしまうとでも思ったのか、レネは両手で守るように、黒い蝶を包み込んだ。
皺の目立ち始めたマリエルの手が、ルゥアを包むレネの手に重ねられた。
「いいわ。あなたが望んでいないのなら、悲しみを無理に癒やしてもきっと禍根は残るでしょうから。その代わり、辛くなったらすぐに頼りなさいね」
そう言って、マリエルは静かに立ち上がった。
「もう少し心が癒えるまでゆっくりあなたを待ってあげたいのだけれど、早くあなたをノクターにしろと、上から通達が来ているのよ。人手不足なのはわかるけど、無粋よね」
そう言いながら彼女は応接室の扉を細く開けると、外にいる誰かと二言、三言、言葉を交わす。
やがて控えめなノックの音とともに、使用人の少女が部屋に入って来た。質素ないでたちの少女は、レネの前に一抱えもある大きな木箱を置く。それから腕に掛けていた小さな籠をテーブルに下ろすと、熱い湯で固く絞った布をレネに差し出した。
「どうぞ、お使いください」
「まずは顔を拭きましょうか。今日は、あなたの晴れの日なんだから」
恐る恐る手を出すレネに、マリエルが少し切ない印象の笑顔を向けた。
温かい布で涙の痕を落とすと、使用人の少女はテーブルに置かれた木箱の蓋を開けた。
中に入っていたのは、マリエルが着ているものと同じデザインの真っ黒なローブだった。その上に、祭事用だろうか、刃を潰した銀の短剣が置かれている。
マリエルに促され、レネはローブに袖を通す。上質な布地で作られたローブはずっしりと重かった。
使用人の少女がローブの形を整えるのを待って、マリエルが再び扉に手を掛けた。
「ああ、荷物はここに置いていってちょうだい」
移動するのだと察したレネが旅荷物に手を伸ばすのを見て、マリエルが呟いた。その視線が、ふと荷物の隙間に差し込まれた一輪の花に向けられる。
「想い草ね。懐かしいわ」
「知っているんですか?」
エリアスから最後に受け取った花は、彼がいなくなって日が経った今も、しおれることもなく美しく咲き誇っている。
「ええ、もちろん。あなたが摘んだもの?」
レネの指先が、散ることのない花びらに触れた。
「いえ、エリアスに……」
その言葉に、マリエルが柔らかい笑顔を浮かべた。
「ああ。だから、枯れていないのね」
「え?」
聞き返したレネに、マリエルは伝承があるでしょう、と呟いた。
「想い草を摘んだ瞬間に目にした人の名前を呼ぶまで、花は枯れることなく生き続ける。きっと、あなたの名前を呼ばずにエリアスが旅立ったんでしょう」
忘れ形見のような花を見つめて、レネは少しだけ微笑んだ。
「六枚の花弁にも意味があるのよ。記憶、約束、希望、癒し、別れ、そして」
「「再会」」
マリエルの言葉に、レネの声が重なった。
「この花が枯れずに咲き続ければ、いつか再会が訪れると言われていたわ。エリアスったら、最期に小粋なことをするわね」
穏やかな笑顔をレネに向けて、マリエルが扉を開けた。




