8.あなたへの手紙 1
「私は、ノクターになれるのかな?」
エリアスみたいに。
小さな声で付け加えた言葉が、葉擦れの音に紛れて消えた。春浅い、夜のこと。
獣道と言っても差し支えないほど荒れた下り坂に、レネの息はわずかに上がっている。見上げると、梢の向こうに星が瞬いていた。
前方を照らしていたカンテラの光が揺れ、彼女のペースに合わせて一歩前を行くエリアスがきょとんとした顔でレネを振り返る。何を言っているんだ、とでも言いたげな表情だ。
「見込みがなきゃ、わざわざ声なんか掛けないだろ。てか、おまえはもう、ノクターみたいなもんだしな」
思いがけない言葉に、レネの足が止まる。
「ノクターになるには、何か試験か何かがあるんじゃないの?」
エリアスは、レネに向かってにやりと口の端を上げて笑った。
「なりたくなったか? ノクターに」
ためらいがちに頷くレネを見て、エリアスは満足げな様子で大きく頷く。
「ノクターを取りまとめている、『夜の書院』ってのがある。そこで試験を受けて、誓約の儀をクリアすれば、一人前のノクターだ。試験を受けるには、現役ノクターからの推薦がいるんだが……」
彼は言葉を区切って荷物を下ろすと、大きく膨らんだリュックの奥からなにやら分厚い封筒を取り出した。
「どうだ。もう、できてるぜ」
「……準備、よすぎじゃない?」
嬉しさを仏頂面でごまかしたレネが、ふい、とそっぽを向く。エリアスは大きな手でその頭を撫でて、楽しそうに笑う。
その手の温かさに、ふと不安がよぎる。
「ねえ。ノクターになったら、エリアスとはお別れなの?」
お別れ。
自ら口にした言葉に、レネの鼓動が早くなる。浅くなりそうな呼吸を、無理にでも深く吸い込む。
「んー?」
分厚い封筒を、大切な宝物でも扱うように荷物の奥にしまい込んだエリアスが、間延びした声を出した。
「そりゃ、おまえ次第だな。誓約の儀を終えると、ノクターの身柄は夜の書院の預かりとなる」
どこに行き、何をし。誰を救い、誰を救えなかったか……その生死に至るまで、すべて。
「けど、だからと言って行動が制限されるわけじゃない。ギルドに身を寄せるやつもいれば、一人で旅を続けるやつもいる。故郷に帰るのも、気に入った街に住むのも、自由だ。俺は、何となく根無し草を続けてるけどな」
一緒に行ってもいい?
その一言が言えずに、レネは黙って前を行く背中を追いかける。
ちょうど一年ほど前。見知らぬ街でエリアスが与えてくれた服はいつの間にかレネの動きに馴染み、少しずつ汚れてきている。出会ったのは、ひどく寒い日だった。気が付けば季節が一巡りしていたことに、今さら気付く。
気まぐれで拾われたようなもの。そう思っていたけれど、いつか別れが来るかもと思うと、なぜか心がざわめく。
大丈夫だと。自分は一人でも平気だと。ずっと、そう思っていた。それなのに、目の前の青年がいなくなることが、どうしても寂しく感じてしまうのだ。
言葉の代わりに、ブーツの踵で踏んだ小枝が乾いた音を立てた。
「レネ。一緒に来るか?」
前方を見据えたまま。振り返ることもなく、エリアスが呟いた。風が梢を渡るざわめきが、耳に残る。
「え?」
聞き返したレネに、エリアスが真剣な表情を向ける。
おまえが決めていい。そう言われているような気がした。これまでもずっと、そうだったように。
向けられたカンテラの柔らかい光が、辺りを優しく照らしている。
「うん」
綻びそうになる口元に力を入れて、レネはさりげない口調で言葉を返す。
「行きたい。一緒に行く」
不安定に揺れる温かい光の中で、エリアスが楽しそうに微笑んだ。
「まあ、まずは今の状況を何とかしないといけないけどな。さっさと泊まる場所を見つけないと、夜通し歩くことになる」
「もう、野宿でもいいんじゃないの?」
「バカ。こんな山奥で野宿なんかしたら、魔物の餌食だ」
エリアスの言葉に応えるように、遠くで獰猛な生き物の遠吠えが響いた。




