3.嘘つき少女とフェアリーテイル 2
水の都セリディアは、大陸の中でも有数の観光地だ。
海に面した都市のあちこちに水路が巡らされ、ゴンドラがゆったりと行き交っている。もともとは物資の運搬を目的に作られた運河だが、陸地が整備された今は観光資源として利用されている。
魔法によって浄化された水は透明度が高く、水底に咲き誇る水中花を巡るツアーは特に人気だ。
白と青を基調とした街並みは、ゆっくりと歩いているだけでまるで異国にでも迷い込んだような気分になる。
海沿いに作られた真っ白な石畳の道を歩きながら、レネはそっと隣を歩く青年に視線を向けた。端正な横顔の向こうに広がる、エメラルドグリーンの海が眩しい。夏の太陽が、世界を煌めかせていた。
「エリアスは、どこに向かっているの?」
彼はちらりとレネに目を向け、すぐに視線を正面に戻す。
「行き先は、ないな。当て所ない旅ってやつだ」
「ノクターは、みんなエリアスみたいに旅をしているものなの?」
「まさか。俺みたいな流れ者も確かにいるけど、どっちかっていうと、町医者みたいな立場のノクターが多いな」
「ふうん」
何気ない返答で会話を濁したレネに、エリアスが視線を向ける。その口元が何かを言おうと開きかけた瞬間、まだ幼さを残した声が二人の会話を遮った。
「へえ。あなたたち、旅人なの? あたしも、旅をしていたことがあったわよ」
石畳の道が開けて、桟橋が現れる。
その手すりのないウッドデッキに、十代の半ばほどの年頃の少女が一人腰かけている。誰かを待つように、ぼんやりと海を見つめて。
日の光に柔らかく透けるアッシュブラウンの長い髪と、くすんだ色合いの青い瞳。簡素なシャツとショートパンツ。どこか幼い印象を与える、あどけない顔立ちの少女だ。
その口元は確かに笑みを形作っているのだが、その目元はどこか冷たい印象を受ける。
「あたし、リリィよ。格好いいお兄さんね」
僅かに陰りのある笑顔がエリアスに向けられる。無表情のまま何も言わないレネの横で、エリアスは普段通り明るい笑顔を浮かべて見せた。
「よろしく、リリィ。エリアスとレネだ。君は、地元の子?」
「ええ、そうよ。お兄さん、もう止まるところは決まってる? よかったらうちに来ない?」
少女は立ち上がると、石畳の道の先に広がる街並みを指差した。
「君は、宿屋の娘さん?」
「まあ、そんなとこかな。実際はあたしが経営しているみたいなものよ。おばさんったら忙しくて、ぜんっぜん手が回っていないから」
桟橋に立ち上がった少女は、華奢な腕を思い切り伸ばして大きく伸びをする。
「ついて来て」
「なあ、誰かを待ってたんじゃないのか?」
エリアスが声を掛けると、彼女はくるりと振り向いて少し悲しそうな目を細めた。
「パパがあたしを迎えに来る予定だけど、別にいいわ。そこにいなければ、勝手に帰ったと思ってくれるでしょ」
どこか大人びた話し方をする少女は、すたすたと街のほうへ進んでいく。顔を見合わせたレネとエリアスは、慌ててその後を追いかけた。
片側に水路、反対側に白壁の住宅が立ち並ぶ石畳の道は、街の中心に近付くにつれて賑やかな路地へと変わっていく。
土産物や食べ物を並べた店が増え、自然と行き交う人も多くなる。
果物屋の前を通り過ぎたリリィは、誰にともなく口を開いた。
「うちに帰ったら、ケーキがあるんだ。おっきいマスカットが、どーんと一粒乗ってるやつ!」
果物屋の店先には、真っ赤な苺やバナナ、色とりどりのベリーが並んでいる。
「今の時期に、マスカットなんて売っているの?」
何気ない疑問を口にしたレネに、リリィは少しむっとした表情を向ける。
「うるさいわね。あたしのは特別なの」
少し早口に言われた言葉が、妙にとげとげしい。レネは面食らった顔で一瞬だけ足を止める。
その様子に気付いたエリアスが、心配そうな表情を向けてくる。
「レネ?」
どうかしたか、と問われて、レネは首を振る。
「ほら、こっちよ」
リリィは何事もなかったかのように振り向くと、にっと笑って先を促す。
相手の心情を一切考えていないその言動に、レネは少し複雑な気持ちになる。
水路にかかる小さな橋を渡り、入り組んだ路地の先。辿り着いたのは、年季の入ったプチホテルだった。
「どうぞ、入って」
小規模な集合住宅のような建物の玄関を入ると、吹き抜けになったロビーが広がっている。白で統一されたホテルは埃こそないものの、長い時間を吸い込んで少しばかりくすんでいる。
カウンターに入った少女は、表紙が破れかけた帳簿を取り出すと、エリアスに微笑みかけた。
会話をすることが億劫になったレネは、ただ黙って二人のやり取りを見守る。
「部屋はどうするの? 二人、相部屋?」
「個室を二部屋、頼む」
エリアスはカウンターの上に用意されていたペンを使い、帳簿に名前を書き込む。
「ここは、君の両親が経営してるの?」
「ううん。おばさんよ。あたしは体よくこき使える召使いってわけ。おんぼろの服をあたしに着せて、辛い仕事を手伝わせるの」
体よくこき使われている召使が、のんびりと海を眺めたりするだろうか。
ふと疑いの気持ちが湧いて、レネは静かに目を閉じた。自分には、関係のない話だ。
カウンターの内側に潜り込んで何かを探しながら、リリィは言葉を返す。
「でもね、あたしはおばさんのことが大好き。あたしが泣くと、おばさんがすっごく困るから、どんなに辛くても泣かないんだ」
カウンターの向こうからひょっこりと顔を覗かせたリリィは、にやりと笑う。
「どう? 偉いでしょ?」
「そうだな」
エリアスは差し出された鍵を二つ受け取ると、相槌を返す。
「部屋はあそこ」
ロビーから続く質素な階段。その上にある二つの扉をリリィが指差したとき、その片方が静かに開いて一人の女性が現れた。




