act2
「わたしあの人の恋人になったのよエリィ」
他の誰にも知られたくないの。あなただから打ち明けるのよ――そう前置きして親友は高ぶりを抑えきれない様子ながら堂々と胸を張った。
告解に行くから付き合ってくれないか? とアンジェリーナから手紙を貰ったときから嫌な予感がしていた。
花柄のワンピースで現れた友人はソワソワ落ち着かない感じで、御付きの者を気にしていた。
気を利かせたエリィが教会の前で帰るように言いつけるとあからさまに安堵したのも良くない兆候だった。
小さな頃、しでかしたアンジェが隠匿を図る時の態度そのものだ。
信徒ではないエリィは教会に入らず噴水に腰かけて友人のしでかしたであろう出来事にあたりでも付けられないか、とここ最近の彼女の動きを思い出していた。
これといっておかしなことはなかったはずで……エリィが参加できない社交の場でも、オージーは必ずエステートを申し出るし、アンジェがひとりで社交の場に出ることは、先ず彼女の両親が許さないだろう。
アンジェは歯止めが利かないから――情熱のままに突き進んでもいい結果は生まない。
エリィはアンジェは芸術家になるべきだと思っている。あの熱い感情の迸りをそのまま詩や歌、あるいはキャンパスにぶつければいいのにと思う。
アンジェの熱を受け止める器があればいいのに。壊れてしまわない丈夫な器が。
オージーが一日も早く大きくなり、名実ともに婚約者としてアンジェを扱かえば、すべて解決するのに。
つらつら考えてる間に告解を終えたアンジェが興奮に頬を染めてエリィに駆け寄って来る。
「待たせてごめんなさい」
「気にしないで……すっきりできたかしら?」
アンジェはええ、と頷いた。
嘘つき。
アンジェリーナの瞳がキラキラ輝くのは、ろくでもないことを言いだす前兆なのだ。
「少し歩きましょうか? 城壁の修復をしてるから見物に行きたいの」
歩きながらの方がアンジェもきりだしやすいだろうから。
陽射し除けのストールをきっちり帽子に巻き付ける。
アンジェも日傘を開いた。
「相変わらずエリィは代わっているわ。そんなに熱心に眺めるようなもの? 建物を建てているのがそんなに面白いかしら」
「きっちりあるべきものがあるべきところに収まっていくのは気持ちがいいでしょう? それに職人の手さばきは、見ていて小気味よいわ」
ふーん。なんて気のない返事。
アンジェはなんて話そうか、とそこに集中しているだろうな。速く切り出せばいいのに……
「ねぇ……エリィはアレクサンダー様を知っていて?」
「……アレクサンダー様ってあの武官の?」
「うん……」
「お名前とあとは噂話で聞くぐらいはーーアレクサンダー様がどうかしたの?」
「わたしね……お会いしたのよ」
「え?……でも? どうやって?彼と接点なんてないでしょう?」
「……怒らないでね……?」
「怒らないといけないことに身に覚えがあるの?」
「ああ、ユピテルの末子にかけてふしだらなことはしていないのよ! ただ……ただね。わたし。目明しに誘われたの……」
エリィは絶句する。
「……もう。なんでそんなものに行くかな」
「だって……エリィは興味ないの?」
「……アンジェ、わたしはともかくあなたは次の次のアウグストゥスの婚約者なのよ。自覚がないの?」
「わかっているわよ。だからオージーに代わってわたしが関わってみようかなって思ったの」
それらしい言い訳を組み立てているが、長い付き合いでアンジェの考え方は心得ていて、深い考えがあったわけではなく、きっと興味を惹かれてつい出来心を引き起こしたに決まっている。
「でもね。エリィ。叔父様ぐらいの人は教会派の人を<開戦派は野蛮人>だなんて悪く言って、軍服の男は特に気を付けろ、世間知らずの若い女性を騙して取り入ろうとしているって注意していたけどみんな紳士だったわ――レディなんて言われてうんと優しくエスコートしていただいて……本当にあの夜は愉しかったわ」
そりゃあ、騙そうとしているならば優しくもなろうし「親切にして、あなたに取り入ろうとしています」と正直に話すわけないだろう。
聞いているだけで眉がよりそうになる。
オージーが
「上手いことこと考えるよね。協会派は将を射んとする者はまず馬を射よの言葉の通り――
見目ばかりがいいだけでどこの馬の骨ともわからんようなプレブスを集めて軍人に仕立て上げだしたと思えば、夜ごと神殿派を親に持つわかい娘を古城に集めて秘密の催しときたもんだ。
宝探しだっけ? 気がきいているよね。
灯りを落とした薄暗く不気味な城で、自分に親切な見目麗しい青年が礼儀正しく振る舞って一緒に隠された財宝を探すゲームをしてくれるだなんてさ。
お目当てが出来れば通うだろうし、段々彼らの考えを吹き込まれて開戦派の考えに染まって、気が付けばシンパの出来上がり。
親にしてみたら娘を人質に取られたようなもんで、おいそれと開戦派に異を唱えることもできなくなる。
日和見でも消極的な静観であっても連中からしたら儲けもんさ。
ホント良く出来た美人局」
と、せせら笑うのを聞いたばかりだと云うのに。
「アレクは――」などとオージーの婚約者が口にするのだから救えない。
「そう……でも、知っていると思うけどオージーはアンジェとの婚約は絶対に解消しないわ」
そこなのよ! とアンジェは声に力を籠める。
「ねぇ、エリィ。どうしたらいいかしら?」
「……どうしたらって――あなたはどうしたいの?」
「うーん……アレクサンダー様は<オージーとはわたしが話を付ける。一緒になるためにはどんな障害だって乗り越えてみせる>って言ってくださっているの」
それはもう情熱的に、とアンジェはうっとり呟いた。
何と云うか――非常に<彼>らしい。
アンジェが考えているよりも“どんな障害も”の意味も言葉も重いのだけれど……
相変わらずなのだな、とわたしは安堵と呆れが綯い交ぜ、ため息となって零れた。
「じゃあ、万事アレクサンダー様にお任せすればいいじゃない」
アンジェは気のないかんじで日傘の柄を回し――できれば穏便にすませたいじゃない? と言う。
無理だ、と咄嗟に言いかけるが自重する。
アレクサンダーを知らない前提でこの発言をするのは不自然だと思い直したらからだ。もどかしいが仕方ない。
今回の人生でもまた、何度目かの他人であるのならば――
「じゃあ、どうするの?」
「エリィならどうする?」
わたしなら最初から<彼>に近づかないからその問いかけは意味をなさないが
「……正直に婚約者に言うわ」
気持ちを移してしまったとオージーに伝え、あとはオージーに委ねるしかないだろう。
存外、彼の少年は<ふーん……いいよ。気のすむまで付き合えばいんじゃない? 結婚の約束まで交わしたわけじゃないんでしょ?>
とかなんとか一時の気の迷いだと、許すとは違うが放任しそうな気がする。
「……言えない」
そこまで言ってもアンジェが煮え切らない態度なので嫌な予感がした。
「ねえ、あなたまさか……」
結婚の約束までしたの?
アンジェは飛び切り可愛らしくはにかんだ。
「ええ」
終わりだ。
何度も繰り返し見た光景が脳裏をよぎる。
舞台で結婚を宣言する<彼>と寄り添う身分違いの<恋人>
<恋人>は都度、髪の色や目の色が違う、美人だったり、妖艶だったり、あどけなかったり、かわいらしかったり。
会場も違う。夜ごと集う夜会、聴衆下の広場、城主と御家来衆が侍る拭縁、ブルジョアジーとプロレタリアートが一堂会する船上で、なんてこともあったな……
でも<彼>だけは同じ、燃える赤毛と危うさを孕んだサファイヤの瞳。
凛々しく輝かしい主役の<彼>
そしてわたしは――
彼の栄光と没落の傍観者。