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魂について

作者: のらねこ


 人間には発達した知性と理性がある。物事を判断するのに必要不可欠なこの2つの要素は、人間社会に大きな変化と改革を与えている。人間の本質でもあり、大きな特徴とも言えるそれらを、上手く使い生活をしている人達が多く存在する。そんな彼らに共通している点は、()()()()()()()ことである。


 通常、魂は智覚する事が出来るが、知性と理性が常人よりも育っていなければ難しい。しかしいつの時代も、魂を智覚している人間が社会を発展させてきた。


『魂とは己を知る己である』


 人間は自分を客観視する事ができるが、そんな客観視をしている自分、つまり自分を理解している自分が魂だとは思わない。自分は自分であり、客観視は自己分析の範疇だと。そう考える人は居るだろう。


 しかしそうでは無い。他人から見た自分を見る自分は、果たして本当に自分なのか、はたまたそれは他人なのか。そう感じた時、人は魂を智覚する。


 人間には肉と魂の2種類の意識が存在する。肉にはその人間そのものの意識が、魂には肉を見ている意識が。凡例として、魂を智覚している人間はとても上手に肉を動かすことが出来る。肉を肉のまま動かしている人間の多くは直情的で感情の切り離しが苦手な傾向があるが、反対に肉を魂で動かしている人間は、2つの意識で物事を考えるため合理的で割り切りが上手い。


 だからと言って、合理的で割り切りが上手い人間が魂を智覚しているかと言われれば、全員がそうでは無い。脳異常や強い思想を持つ人間、サイコパスなどの感情の表現力が欠如している人間も居るからだ。その反面、魂を智覚している人間は感情も豊かで人を慮る事も出来る。なぜなら肉を扱うのが上手いから。


 魂を智覚している人間は総合能力が高い傾向にあり、割と何でもそつ無くこなせる。地頭も良く悪知恵も働くが、決して自分で悪い事をしようとは思わない。なぜなら、能力のある自分が悪い事をしたところでメリットが無いから。お金を稼ぐにも、スポーツをするにも、勉強をするにも、ほぼほぼ近道を選ぼうとはしない。自分の能力と適正を理解し効率良く取り組む方が、自分を喜ばせるのに最適だと知っているから。


 そんな彼らを、これから私は『有魂者(ゆうこんしゃ)』と呼ぶ事にする。


 有魂者(ゆうこんしゃ)は普通の人達よりも優れている訳ではなく、また劣っている訳でもない。ただ自分を扱う事が上手く、人と接する事が得意なだけだ。


 しかしここまでの話を見た人の中にはこう思う人も居るだろう。


 自分を自分で操るのは日々行っているし、感情のコントロールや対人関係も悪くない。しかし自分は魂なんて智覚していない。と。


 そんなのは当たり前の話。有魂者(ゆうこんしゃ)は自己分析能力と人付き合いが上手いだけでは無い。ここで言う魂とは己を知る己であり、己を知る己を知らない人間の方が圧倒的に多いだろう。


 肉で考えた行動や感情はその人間の純粋な思考であり、経験や知識に基づいている。だから多くの人間は肉のまま生活しても何も問題は無いし、犯罪や戦争が無くならない。いわば野生の人間。


 一方で有魂者(ゆうこんしゃ)には、そんな肉から出た思考をあらゆる角度で見ることが出来る。この人から見た自分はこんな発言をしても大丈夫だ、この人には自分はこう見えていてこの行動には違和感が生まれるだろう、など。これらの対応は己を知り自分を操る事で成立する事であり、経験や知識などでカバー出来ることではないと私は考える。


 古い哲学者のソクラテスという人物が残した言葉にこんなものがある。『無知の知』。有魂者(ゆうこんしゃ)の多くはおそらく、この言葉を自分に当てはめる事で魂の智覚に近づいたのだと思う。私自身も、自分を知らない、知った気になっているという事を知り、魂を智覚するきっかけになった。


 サラッと言ったが、私は自分の魂を智覚している。正確には、己を知る己が魂だと気づいた。


 では何をもって、己を知る己が魂だと定義したのか。


 話は変わるが、自分を客観視するという事はそう難しいことでは無い。友達や家族、恋人などからの評価と接し方で何となく知ることが出来る。それを知る事で、その人毎に態度や言葉遣いなどを変える人も居るだろう。


 まさにそれが魂から肉への指示であり、肉とは離れた意識で物事を見ている事になる。


 多くの人と接する事で私は気がついた。


 この対応は果たして自分の意思なのか、はたまた周りから見た自分が周りに求められている事をしているのか。それは本当に自分自身の行動と言えるのだろうか。


 考えて行動しているのは間違いなく自分自身。しかし人毎に応じた態度や言葉遣いを使い分けている自分は、周りから見たらゲームのNPCと変わらないのではないか。


 求められている対応、かけて欲しい言葉、自分ならではのアイディアや話し方など。人によって使い分けている自分は、果たして本当に自分自身なのか。


 そんなことを考え始めた時だった。


 これは自分自身と、自分自身を操れる()()が共存している。


 それに気づいてからは早かった。自分自身を操れる()()は、自分を客観視している自分。つまり、己を知る己。日本語で1番近い言葉を考えた時、それが魂なのではないかと。


 一般的には他の生物や植物にも宿るとされている魂だが、自分はそうは思わない。なぜなら、魂は智覚して初めてその存在を確認できるから。知性も理性も無い草や畜生に魂があるならば、我々人間と共生など出来ない。


 そんな物理的に見たり感じたりすることが出来ない魂だが、きちんと存在する場所がある。


 脳で物事を考えるから脳に魂があるのか。それは違う。


 心、つまりハートに魂が宿るから心部にあるのか。それも違う。


 私の考える魂の在り処は、ズバリ、人間の頭上や頭の後ろ。ゲームをしているとよく見る、三人称視点のカメラの位置と言えば分かりやすいだろうか。


 ではなぜそんな所に魂があると思ったのか。それにも根拠がある。


 まず前述したように、魂とは己を知る己であり、自分を見ることが出来る自分である。己を知るというのは内面的な意味もあるが、外観的にも知っている事が重要になる。


 想像して見てほしい。これを見ているあなたを、少し後ろから見るあなたを。あなたは今どんな姿をしているのか。寝っ転がっていたり座っていたり、立っていたり何かをしながら見ているかもしれない。腕の曲がり方や足はどうなっているのか。髪の毛や服のヨレ方、横顔や下からのアングルなんてどうだろうか。自分を知る事は外観的な意味も重要。とはこういうことを言う。


 もちろん、カメラなどを用いずに自分を周りの視点で物理的に見ることなんて不可能。しかし、想像の自分をより正確に、より明確に見る事が出来れば、清潔感やオシャレなどの外観的要因でも己を知ることが出来る。


 自分の意識を持った別の自分がいる、という認識は出来ても、自分の外見をより正確に頭頂部からつま先まで知り想像するのは簡単では無い。だからこそ己の内面を知り、外観を知り、それを使いこなせて、初めて魂を智覚する事が出来る。


 簡単に言えば、自分の意識を持った自分を操れるプレイヤーが魂、精巧に自分の意思と行動を操作出来るアバターが肉、という事になる。


 己を知る己を自覚していても、それが魂だと気づい無い人間も数多くいるだろう。実は有魂者(ゆうこんしゃ)であっても、それを周りに言う勇気も機会もない、なんて人もいると思う。私と近い考えだが、それは魂では無いと考える人も当然居るだろうし、そもそも魂なんて無いという人も居るだろう。


 魂を智覚できるというだけで、他人とのコミュニケーション能力や対応力が上達できる。人との関わりやマニュアル通りの動きしか出来ない、なんて人は、まずは己を客観視する所からチャレンジしてみると良いかもしれない。


 この魂を智覚するというのは、面接や就活などにも使える。自分を知れば、自身の長所や短所などすぐに浮かんでくる。逆にこれらが苦手な人は、自分は肉のまま生活してきたんだ、と認識できる。自分を知るきっかけにもなり、自分を客観視する第1歩が踏める。


 この文を見て自分の魂の存在について考えたあなたは、もう既に有魂者(ゆうこんしゃ)になる準備は出来てると私は考える。自分をより上手く使い、自分自身が生きやすくするための考え方の1つとして、この『魂について』を覚えておいてほしい。

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