言霊の話
スピリチュアルな話をするつもりはない。いや、スピリチュアルど真ん中な話か。
言葉には霊力が宿る。
ふと何年も見ていない人物について知人たちと語る。するとたちまち、その人物の消息を知る。芸能人なら事件や訃報、知人ならその人物が直接目の前に現れたり。
ほんの2日ほど前、何年も会っていなかった女の子について知人たちと語った。で、ついさっきその子と偶然街で出遭った。これは一体どういうことか。
―偶然?
偶然というには非現実的な確率のようにも思える。しかも、こういった経験は人生においてあまりにも多い。事前にその人物との再会の可能性を無意識に察知し、その名前が口へと上がるのか。「噂をすれば影」などという言葉もあるように、それは私個人にのみ起こる現象ではなく、ごく一般的な何かであるというのだから、真面目に考えてみる必要がある。
なぜ、ひとは言葉を大事にしないのか?
こういった現象が頻繁に起こる以上、再会や情報の更新以外にも言葉の力は大きく作用するとみて、まず間違いはないだろう。とすると口にする言葉は様々な物事における呼び水の役割を持っていることも自明である。にも関わらず、日頃からネガティブな言葉を吐き続ける人々がいる。彼らはいったい何を求めているのだろうか?
ネガティブな言葉を吐き続けるひとに、気分の良いひとは近寄らない。ネガティブな言葉を吐き続ける者には、同じくネガティブなものを内包する不愉快な人物が引き寄せられる。そんな人物との交流を求めてはいないのに、さらにネガティブな言葉を吐き続ける人々。何の冗談なのだろうか。
気分の良い人間との交流を求めるなら、はじめに自分が気分の良い人物である必要がある。まずは言葉から。態度にまで反映されるには言葉の習慣化とその言葉による自己洗脳が必要となるが、それもまたさほど難しい話ではない。
難しくない。といってしまうのも大事なことである。