ⅩⅦ
戦場と化したネクサスの労働所は、半壊状態だった。労働者たちが休むための宿舎らしき建物も壊れ、瓦礫となって散乱している。
今のことばかりで、後のことを考えていなかったが、この国はもうだめかもしれない。中身の問題ではなく、単に国として機能するための施設がこうでは、成り立たないだろう。
そんなことを、ハルは上空からなんとなく考えていた。眼下でアリのように見える人たちが目まぐるしく動いている。
「あの兵隊たちを差し向けたのは、天族の婆ぁだとして、今度フリーデの餌になるように意識は操っていないのね。本当に、人を手駒としか思っていない、か」
国の中身も、全部あの天族のおもちゃ箱と言うわけだ。大いなる研究だとか言っていた異形を生み出す実験場。その実験も、フリーデがああなったことで、もはや実験場を維持する必要もなくなった。国がどうなろうが、住民がどうなろうが、知ったこっちゃないのだろう。
フリーデの存在は、向こうからすれば、ようやく完成した実験体だ。そう簡単に見捨てることは無いだろう。必ず天族は、この戦場に介入してくるはずだ。
どこからともなく、再びカラスがハルの近くに現れ、肩に乗ってきた。
「準備はいい?・・・そう、じゃあ任せたよ」
ハルがカラスの頭を軽くなでてやると、カラスはそのまま煙のように消えてしまった。
「さて、始めようか」
ハルはそう言うと、眩い光を放ちながら、その体のシルエットが、人ではない巨大なものへと変わっていった。
人を信じるためには、言葉ではなく、行動で示さなければ意味はない。言葉は空虚で、人の心に響くことはない。どれだけ情熱的な言葉だろうと、それで人が惹きつけられるわけではない。その言葉を真なるものにするための行動が無ければ、そんな言葉は無いのと同じだ。
アキの顔を覗き込むと、そこにハルの意識は無い事が分かった。アキは、舌を出しながら、顔を覗き込んでくる人間に寄り添うだけだった。
「信じろって言われても・・・。無茶苦茶だよね?アキ」
「ゔぉっ?」
「ゔぉ、じゃなくてさ・・・、はぁ」
「くぅーん・・・」
ヒストリアの答えは、既に出ていた。そんなことを言われなくても、自分はあの人が行く道を、ともに辿るだけなのだと。
故郷が無くなり、帰る場所を失った。共に旅を始めた時から、ヒストリアの命は、あの人のものだった。
それは、決して、他に道が無いから、という言い訳じみた理由からではない。この短い間で感じ取った、ハルと言う女性の人間性を、ヒストリアは信じているのだ。
いつも、夜中寝ずの番を買って出たり、体作りと称して、自分の分を減らしてまで、お腹いっぱい食べさせてくれたり、危険なことがあれば、いつだって守ってくれる。
小さな切り傷を負った時でさえ、すぐに手当てをしてくれた。
なんでそんなことまでしてくれるのか、ヒストリアは理由を知らない。同時に、どうして、平気で人を殺めることが出来るのか、その理由を知らない。
同じことだ。ハルは、全てを語らないから。きっと今の自分には知る必要のないことだと考えているのかもしれない。でも、それでもいい。あの人がすることの全てに疑問がある。
それでも、ヒストリアは、あの龍族の女性が悪人には見えないから・・・。
悪人で会ってほしくない、という願望もあるのかもしれない。本当にフリーデを殺してしまうのかもしれない。
それでも、信じる。信じたいのだ。
今自分があの人と旅をしているのは、他に選択肢が無いからではない。あの人と旅を続けたいと、思っているからだ。
だから、それを成すために、信じなければいけない。
あの人と、良き関係でいたいと思うのであれば、信じることからしか始まらない。
「・・・いくよ、アキ」
「ヴぉふ!」
ヒストリアは、再び杖を構え、未だ成功したことのない魔法を展開した。
(威力は最小で、戦場全体に及ぶ範囲・・・)
自分に残された大量の魔力を薄く広範囲に広げるイメージを繰り返す。雷雲が、ごろごろと音を鳴らし始め、今か今かと、雷鳴の時を待っていた。
(それじゃあだめだ。稲妻を落してはダメ。地面に落ちるすれすれで、空を駆けるように、対象全員の体を掠めるように)
ほんの一瞬でも気を緩めると、抑えている魔力が暴発しそうになる。もはや、こうすればいい、みたいな感覚はない。この魔法は、ヒストリアの魔法理論では説明できない領域に足を突っ込んでいるのだ。初めて魔法を手にした時のような感覚だった。
以前コルクに使った電撃は、本当に指先で小突くような魔法だった。それを、大量に、同時に行う。一本の稲光から、無数の枝葉に分かれるように。
「・・・いける!すーっ・・・落ちろ!」
意を決して、ヒストリアは魔法を放った。天が甲高い雷鳴を放ち、衝撃と共に、雷が雷雲から駆け下りて、戦場を駆け抜けた。
本当に一瞬の出来事だ。光を目で追うことなどできはしない。その網膜に、青紫の残像が残っているおかげで、初めて稲妻が落ちたと理解できる。
結果として、稲妻は落ちてしまった。だが、戦場は静寂に包まれ、そこにいた全ての人々は、動きが止まっていた。いや、すぐに動きは見えた。一人、また一人と、地面に伏していった。
やがて多くの人が倒れると、その中にもがくように体を震わせる存在が目立って見えた。
「フリーデちゃん・・・」
どうやら、彼女も稲妻の魔法を食らっていたようだった。超広範囲に放たれた稲妻は、幾重にも戦場を駆け巡ったため、回避しきれなかったのだろう。
「ヴぉん!、ヴォん!」
「ちょ、アキ」
威嚇のつもりか、あるいはおびき寄せようとしているのか、アキが大きく吠え始めた。確かに餌役になる予定だったけど、急すぎる。
案の定、フリーデはゆっくりとこちらへと突っ込んできた。
「あぁ、もう。逃げるよアキ」
逃げると言っても、人間の足で逃げ切れるわけがない。相手は獣人だ。そう思っていたのだが、フリーデの動きは、いささか軽快を欠いていた。
先ほどの魔法が、思いのほか効いているのだろうか?
それなら好都合だ。ヒストリアは、戦場から離れるようにケルザレムの外周へ向かって走った。もう魔力もからっきしだし、体力の限界も近い。あまり引きつけはできないだろうが、それでいい。
ヒストリアは十全に仕事を果たしと言えるだろう。
ヒストリアを追いかけるフリーデに向かって、高速で落下する巨体の影が空から降ってきた。
全身に純白の羽毛のような毛で覆われている4足の獣。背中には1対の翼が生え、長い首と尻尾。頭部には綺麗に輝く鬣と、額から伸びる群青色の一角がある。体躯は人の体を優に超え、翼を広げると翼竜をも超えるだろう。
降り立った巨体は、前足の間で完全に動きを止めたフリーデを見下ろしている。フリーデは、まるで蛇に睨まれたカエルのように、動かなくなっていた。
少し離れたところでそれを見ていたヒストリアは、彼女の本当の姿に見とれていた。
日の光が無くとも、自発的に光を放つ不思議な羽毛。彼女の容姿を彷彿とさせる薄紅色の瞳。
龍と言う存在を見たことも聞いたこともない人でも、その存在を目にするだけで、それが、全ての生命の上に立つ、絶対的な強者であることはわかるだろう。
ヒストリアは、フリーデと同じように、その場から動けなくなっていた。けれどそれは、恐怖によるものではない。一種の神々しさを全身に浴びて、言葉を失い、感情が制止を求めている。
これも、魔法なのだろうかと、錯覚するような、そんな感覚だった。
ようやく視線だけが動かせよるようになると、ヒストリアは龍に睨まれたフリーデを見た。そこには、体を震わせながら襟を掴まれたフリーデと、左手を振り上げたハルが対峙していた。
龍の姿はどこにもなかった。
「先生!」
ヒストリアが大きな声を上げると、ハルは視線を向けてくれて、少しだけ笑ってくれたような気がした。
龍の威圧によって、フリーデは委縮しきっていた。目が点となり、小刻みに揺れている。
(・・・天族に憑りつかれてはいない。今ならやれる)
ハルは半龍化した左手に炎を集めた。羽毛だらけの腕が燃えはじめると、肉体が火に変わり、非物質的の炎の腕と化した。
炎の色は、金色に染まり、太陽の如く燃え盛っている。火の粉が砂金のように周囲へ飛び散り、周りは輝きに満ちていた。
ハルは炎の手を、フリーデの胴体に当てると、そのまま体内へと突き刺した。その瞬間、黄金の炎は、何かと衝突するような激しい衝撃を生み出し、ハルは腕が弾かれるような力を受けた。
けれど、ハルも負けじと、腕を伸ばし、はじき返される衝撃に抗おうとした。フリーデの中で燻り続けている、黒い靄を掴むように。
フリーデの喉の奥から、人のものとは思えない悲鳴が発せられた。肉体を焼かれながら、心臓を掴まれるような感覚に陥っているはずだ。物理的な痛みも、精神的な苦痛も、計り知れないものだろう。
時間を掛ければ、彼女の生存は絶望的になる。ハルはありったけの魔力を左手に込めて、フリーデの全ての闇を掌握しようとした。
少し離れた所で見ていたヒストリアの元へも、黄金の炎が放つ熱量に当てられていた。目を開けるのも辛く、ひりひり皮膚が焼けるような感覚があるけど、決してその熱量は、何者も傷つけることはない。
同時に、フリーデから漏れ出るように、黒い靄が炎に交じっていた。熱をあびたヒストリアは、感じたこともない寂しさや悲しさに苛まれていた。見たこともない記憶、経験したことのない情景が、頭の中に流れてくる。
何かを咀嚼する感覚と、どうしよもない事実を受け止めさせられた記憶だった。足元には、無数の人骨が散らばり、床からどす黒い血のような液体がにじみ出てきて、膝下まで覆っていた。
そんな光景を俯瞰で見せられて、そこには、黒い兎耳の獣人が泣きながら、膝をついてた。
(これが、フリーデが味わった、心の傷・・・)
抽象的な情景だから、実際に何を経験したのかはわからない。先生が言っていたように、黒い靄が生み出される原理までは、未だに解明できていない。
だけど、漏れ出た黒い靄に触れるだけで、ここまで不愉快な気持ちになるとは。黒く染まった者は、あんな心象の世界に閉じこもってしまうのだろうか?
ヒストリアは、フリーデから漏れ出た僅かな黒い靄に触れただけだ。それも、ハルの火によって、消えかかっている靄の残りカスだけで。
直接それに触れているハルが感じている不快感は、ヒストリアの比ではないだろう。
フリーデの体に突っ込んだハルの腕の表面に、何かが這うように黒い影が伝ってきた。影は異形の手のような形をしながら、ハルの肘、二の腕を順に侵食し、手の先が方へかかり、そのままハルの首を掴むような動きを見せた。
「先生!」
「来ないで!」
初めて聞く、ハルの焦った声音。それだけで、ヒストリアは不安になる。そんなこと今まで一度たりともなかったのだから。
ヒストリアの不安の通り、ハルは、かつてないほどの負の感情に縛られていた。自分ではない何者かへの憎しみ、誰も助けてくれないことへの怒り、無力な自分自身への悲しみ、何もかもうまくいかない世界への破壊衝動、人を殺した時のどうしようもない解放感。それらが複雑に混ざり合い、腕を伝う影から直接頭の中へ流れ込んでくるようだ。
フリーデの本体の方は、未だ言葉にならない叫びをあげ、目からは、血のような涙を浮かべていた。
「・・・まだ泣くだけの余裕が、あるんじゃない・・・」
影に首を絞められているからか、声を出すのがきつかった。
けれどハルは、そんな弱い存在じゃない。自分の命を取ろうとしている相手に、自ら心臓を指す出すような、気前のいい素直な者ではない。
「あなたもそうなんでしょう?あなたも、生きることに絶望していながらも、それでも生きたいと思っているんでしょう?だから、人は、涙を流すのよ!」
影がハルの口元まで覆い始め、声が出しずらくなった。
しかし、ハルにはそんな抑制に屈することは無い。
「あなたが生きたいと思うなら、その意志を見せて見なさいよ。こんな紛い物の腕なんかじゃなくて、そんな暗闇で縮こまってないで!私は、ただ黙って死を待つ者に手を差し伸べるつもりはないわ。フリーデ!」
意志の強さでなら、誰にも負けない、と言わんばかりに、ハルは飲まれつつある炎の手を、さらに押し込んだ。もはや腕の形は荒れ狂う炎と化して、流星の如く突き刺さっている。
「生きたいと思う理由なんて、何だっていい。自分の為でも、誰かの為でも。ただ必要なのは、あなたがその意志を持つかどうかよ!その意志を、私に見せて見なさい!」
ハルがそう叫ぶと、泣き喚くフリーデの表情が、ぐにゃりと歪んだような気がした。口が何かを言っているが、口パクをするだけで、声にはなっていない。それでも、彼女の視線が、ハルを捕えていた。
フリーデはハルに体を貫かれながらも、腕を伸ばし、腕を掴んで体を支え、そして、ハルの炎の腕に噛みついた。ハルの腕は実体の無い炎なため、正確には、フリーデが噛みついたのは、自分の靄が生み出した黒い影の腕だ。
自らの異形に対して、フリーデは反する意思を見せつけたのだ。
「ふぅーっ!ふぅーうううぅぅぅ!!!」
腕に噛みついたフリーデは、影の腕をかみちぎる勢いで、必死に食らいついていた。涙も鼻水も、みっともないくらいぐしゃぐしゃになっている。生きようとする者の前に、見てくれの醜さなど関係ない。
「それでいい。あとはあなた次第よ、フリーデ」
フリーデに噛みつかれた影の腕は、痛みに悶えるようにハルの侵食を解いていった。
「そのまま自分の聞かん坊の腕に食らいついていなさい。あとは私が、あなたの苦しみを焼き払ってあげる」




