【揺花草子。】[#4693] 約物。
Bさん「今日はぼくが JS だった頃の話をしたいと思うよ。」
Aさん「んっ・おぉ・・・。」
Cさん「JS と聞いてついつい前のめりになる阿部さんが
本当にヤバいと思うわ。」
Aさん「いや別に JS に釣られたわけじゃないですからね!!?
昔の話をほとんどしないブリジットがそう言う事を言い出したのに
驚いただけで・・・!!」
Bさん「自己弁護に必死なのでちょっと引いちゃうよ。
今日の話やめようかな。」
Aさん「別に弁護しているわけではないんだが!!」
Bさん「しょうがないなあ。
欲しがり屋さんの阿部さんのために話を続けるけど、
小学校の頃の国語の授業の話です。」
Aさん「欲しがり屋さんとか随分な言われようだけど、まあそれは置いといて、
国語の授業?」
Cさん「阿部さんもごんぎつねとか読んだでしょ?」
Aさん「読んだ・・・とは思います。覚えてないですけど。」
Bさん「『あべ、おまいだったのか。
わたしのお風呂をちょいちょいのぞいていたのは。』
って話だよね。」
Aさん「それは『ごんぎつね』じゃなくて『あべぎつね』だろ?
と言うかあべぎつねでさえないわ!!!
お風呂覗いたりなんかしないわ!!!」
Cさん「狐と言うより出歯亀だものね。」
Aさん「『あべでばがめ』なんて童話絶対売れないですよ。」
Bさん「そう?
大手本屋さんの『18』てでっかく書かれたのれんの向こう側に
置いてあったら売れそうじゃない?」
Aさん「そう言うジャンルで売ってくの!!?」
Bさん「ま、ともかく国語の授業。
しばしば作文の授業がありましたよね。」
Aさん「あぁ・・・あったねえ。読書感想文とか。」
Cさん「読解力と文章力は最低限のスキルだからね。
これが疎かだと他の学問も全て大成しないわ。」
Aさん「それはそうだと思います。」
Bさん「作文の書き方として、例えば以下のようなものがあるとする。
『今日は、ママンとお出かけしました。
18と大きく書かれたのれんがある本屋さんに行きました。
あべとかいうあやしいおじさんがきょろきょろとまわりを見回しながら
のれんをくぐっていきました。
ぼくは
(あのおじさんはなんだかきもいな。近づかんとこ。)
と思いました。』
みたいな。」
Aさん「例文にしても酷くない?
あと何であやしいおじさんがあべとか言う人だって判るのかな?」
Bさん「この例文の中にもあるけれども、作文では
『心の中で思った事はカッコで括って書きましょう』
みたいに教えられるじゃない?」
Aさん「ん、確かにそうだ。そう言うのあるよね。」
Cさん「でも、例えば世に数多ある小説や随筆、論文の類いで、
自分の心持ちを表すのにカッコを使って表現する例なんて
まずないわよね。」
Aさん「あぁ・・・確かに、言われればその通りです。
そう考えるとカッコでお気持ち表明って小学校の作文でしか
使われない感じがしますね。」
Bさん「本来はそう言うのって書く側で工夫して読み手に
『この部分は書き手がそう思ったって言う事だな』って言う風に
読み取らせるのが物書きとしての基本技だと思うんだ。」
Aさん「と言うと?」
Bさん「例えば、さっきの例だとこうなる。
『今日はママンと久しぶりのお出掛け。
行先はR-18向けの書籍も取り扱う大手書店。
お店に入るや否や、阿部とか言うあやしいおじさんが
辺りをきょろきょろ見回しながらこそこそと挙動不審に
ゾーニング先に突入していったのが目に入った。
そんな風に回りを窺ったところでその怪しさは
目に見えるかと言うほどに醸し出されていると言うのに。
ぼくは思わず苦笑を禁じ得なかった。』
って感じにね。」
Aさん「急に表現力上がったな!!
JS の書くレベルの文章じゃなくなったな!!!」
Cさん「自分の心持ちを表現するのにカッコが用いられていないけど、
この部分が書き手が思った事だなって言うのは分かるでしょ?」
Aさん「まあ・・・それは確かにそうなんですけど・・・。」
Bさん「自分の考えをカッコで囲って書くって言うのは、
さっき阿部さんも言った通り小学校の作文くらいでしか
用いられない表現だ。
三つ子の魂百までじゃないけど、子供の頃に学んだ習慣が
大きくなってからも影響を及ぼす可能性は大いにある。
であれば、カッコ書きなんて言う大人になったら誰も使わない表現は
最初から覚えない方が良いと思うんだ。
カッコなしで思いを伝えられる文章力をこそ
幼き頃から磨くべきだよ。」
Aさん「まあ・・・それは一理あるかも知れないが・・・。」
Bさん「こどもがカッコつけるんじゃないよ、って事だよ。」
Aさん「それはニュアンスが違くない?」
何でこんな書き方がまかり通っちゃってるんですかねえ?