第17話 新しい私
戦いは終わった。
私は、全てを失った。
魂約指輪を喪い魂約破棄され、悪役令嬢ではなくなった。
生徒会からの使命を全うする事も出来なかった。
私程度の風紀委員には変わりはいくらでもいる。きっともう二度と生徒会からの声はかからないだろう。
母からも勘当されてしまった。
もう私に居場所はない。
貴族として、女として、全てを失ってしまった――――
「あら、元悪役令嬢のアイネ様よ」
「決闘に負けたらしいですわ」
「所詮は汚らしい賤爵ですものね、当然ですわ」
くすくすと、これ見よがしの笑い声が聞こえる。
そして私が歩く廊下の前に立つ令嬢達が、足を延ばして来る。私を転倒させて笑いものにしようとしているのだ。いつものことだった。
だから、私は――
ゆっくりと、全力で、その足を踏み抜いた。
めきめきめき、ととてもいい音がする。彼女の足の骨が砕ける音だ。
「ぎ、ぎぃやぁあああああ!」
令嬢らしからぬ不格好な叫び声をあげて悶絶する令嬢。名前や爵位は覚えていない。まるで豚のようだ、と私は思った。ちょっと彼女への好感度が上がった。
「な、何をなさいますの!」
「負け犬の賤爵の分際で――」
令嬢達が私を睨みつける。今までの私なら、かすかな興奮と共にその威圧に負け、頭を下げて許しを乞うていただろう。
だけど、今の私はもう、この程度では喜びは感じない。
彼女のせいだ。あの全力を尽くす戦いを知ってしまったからには、もう私は今までの私とは違う。
違ってしまった。
今までの私はある意味、文字通りに殺されてしまったのだろう。あの二人に。
「文句があるなら……」
私は言う。彼女たちの目を見て。
ああ、彼女たちはこういう顔をしていたのか。
「決闘なさいますか。二対一でも、三対一でも構いません」
私はもう悪役令嬢ではない。ドレスを着て戦う事は出来ない。
だけど、それでも貴族だ。
彼女が言っていた。貴族とは所詮、手袋を投げつけ合う事でしか分かり合う事の出来ない不器用な人間のことだと。
千年前の古い格言らしいけど、私の心にすとんとそれは落ちた。今は凄くそれが分かる。
「私、今まで言ってませんでしたけど――」
一歩、足を踏み出す。
彼女たちは、一歩後ずさる。
「いじめる方も、大好きなんです」
拷問は大好きだ。殺さなくて済むから。
「ひっ……!」
彼女たちは青ざめた顔で悲鳴を飲み込む。
その顔はやめてほしいです。決闘が成立していないのにこの場でいじめたくなってしまうので。
私は全てを失った。残されたのは拷問のみで、そして失うものが無いから、もう自重する必要もない。
何をしたとしても、必死に守ろうとしていた家名の穢れた誇りも、未来ももうないのだから。
私は、自由なのだ。
「ひいいいいいっ!」
「――あ」
彼女たちは逃げ出してしまった。ちょっと悲しいです。
決闘を交え拷問の果てに仲良くなれるかなあ、と思ったのに。
というか流石は貴族、足の骨が粉砕骨折してもあんなに早く走れるんですね。
「あー、手助けしようと思ったけど、必要なかったね、アイネちゃん」
ふと、私に声がかかった。
見ると、そこにいたのは先日私と決闘をした、ユーリ様だった。
「あ……おはようございます」
「うん、おはよ。ボク今日から転入することになったんだ、よろしくね!」
ユーリ様は太陽のような屈託のない笑顔を浮かべる。
その顔を見ると、いじめたくなってしまうし、いじめられたいと思ってしまう。これはきっと、友情というやつなんだろう。
「朝っぱらから何をやっているんだ……」
そして、フィーグ様が現れる。
「あ、フィーグ君。アイネちゃんがいじめっ子を追っ払ってたんだよ」
「そうか」
フィーグ様は短くそう言う。
「……すごいな」
そう言って彼は私の頭にぽんと手をやる。
……彼は本当に、あの時の事を気にしていないようだ。いや気にしていないというより、自分だけで背負おうとしているのだろう。
彼は気にするなと言った。背負う必要はないと言った。それほどまでに、あの両親の事を誇りに思っているのだろう。そう思うと申し訳なさと共に、羨ましいという気持ちが湧いてくる。
私は両親や姉妹にそういった感情が無いから。道具として育てられた私にとって、肉親とはそういうものだったから。魂約者だったジュリアス殿下とだって、言葉を交わした事も無い。
……だからだろうか。
他の女子とは全然違うユーリ様、他の男子とは全然違うフィーグ様。この二人がとても気になってしまう。
フィーグ様。フィーグ・ラン・スロート。
私が全てを奪い、そして私の全てを奪った男。
ああ……きっとこれが、恋なのだ。
処刑貴族の分家として生まれた以上、叶えることは決して出来ないと思っていたもの。
でも今の私は、彼に、彼らによって全てを奪われて失った。
つまり――もう何にも遠慮することはないのだ。
「あ、あの、フィーグ様……!」
「うん?」
私は意を決して、言う。
「私を、いっ……いえ、まっ、まずはお友達から、おっ……お願いします!」
危ない。
つい、私をいじめてください、と言いかけてしまいました。
落ち着け私、それはまだ早い。いじめるのもいじめられるのも、もっと距離を詰めてから、関係を深めてからだ。
顔を真っ赤にした私の言葉に、フィーグ様はあっけにとられ、ユーリ様はにんまりと笑っている。
「……っ」
恥ずかしい。
引かれるだろうか。ろくに話した事も無い、両親の仇からこんなことを言われてどう思うだろう。
断わられたらどうしよう。
その時は襲い掛かるしかない。そして私は力を失っていて、ユーリ様は現役の悪役令嬢。きっと勝てない。あっと言う間に叩き伏せられるに違いない。
そして私は悪役令嬢に逆らった罪できっとひどい拷問を受けるのだ。
フィーグ様は女性に対し嫌悪感や敵愾心を持っているだろうし、きっとすごいひどいことをされるに違いない。そう思うと股間が熱くなってくる。胸の先端が固くなる。
ああ、これが失うものの無いものの強さ。どう転んだって私にとって得でしかないなんて、なんて素晴らしい――!
「……わかったよ。仲間が増えるのは俺にとっても喜ばしい。よろしく」
フィーグ様は笑顔でそう言ってくれた。
ちょっと残念な気もしたけど、刹那の快楽を繰り広げるよりも、もっと大切な事がある。
そう、これからです。
昨日までの私はもう断罪され処刑されて死んだ。
新しい私の人生は、始まったばかりなのだ。




