第16話 断罪
白い世界。これはいったい何だろう。
感覚的には……そう、白昼夢か。
とにかく、全てが白かった。
その白い世界に、声が響く。
『貴族の職務を放棄し、男の分際でスロート女爵家の実験を握り平民を優遇すると言う愚行を行ったファルグ・ロン・スロートと!
夫を従える身でありながら男の自由にさせたスロート女爵家当主イレイナ・エル・スロートをここに処刑する!』
この声は……何だ? いや違う。俺はこれを知っている。
忘れもしない、俺の忌むべき原風景。
光が晴れる。
光景が広がる。
そこには王国の処刑場。
そこに現れるは鎧を纏った多くの兵士達。
そして彼らに取り囲まれた断頭台。
その中央に首を差し出しているのは――尊敬する俺の両親だった。
「……」
手を伸ばそうとして、思いとどまる。
これは過去だ。決して変えられない、ただの追憶の幻に過ぎない。
「これが――フィーグ君の……?」
ユーリの声が聞こえる。見ると、彼女もそこにいた。
「ああ。だけど……俺の記憶じゃあ、ない」
これは……
『さあ、処刑を』
その声に、一人の少女が歩み出る。
当時の俺と同じくらいの、赤い髪の女の子だ。
『殺せ!』『殺せ!』『罰しろ!』『罪人に死を!』
怒号が飛び交い、処刑場の熱は最高潮に達する。
『……』
少女は無表情に、断頭台の刃を吊るすロープの前に立つ。
その手には小さなナイフ。
『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』『殺せ!』
その大合唱の中。
少女は、そのナイフを振るう。
断頭台の刃が落ちる。
父と母の首が、鮮血と共に――堕ちた。
「……」
同じだ。同じ光景だ。俺の知っている記憶と変わらない。
ただひとつ違うのは……
『……』
少女の手から、ナイフが落ちる。
彼女と両親の亡骸には距離がある。彼女に返り血はかからない。
だというのに、彼女の全身が大量の返り血で真っ赤に染まっていた。
……これは彼女の心象風景。
『……正しい事だと思っていた』
声が響く。
これは……アイネの心の声か。
『殺す事が使命。殺すことが役目。殺すことが運命。
そうやって国の、女王陛下の命の元、罪人咎人を殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して……
そして分家ユングラウから、本家ライヒハートへと召し抱えられる事を目指していた』
それは、ユーリも語った処刑貴族の名。
千年前から続く、この国の暗部を司り恐れられる貴族の名だった。
『でも、初めての処刑を終えて高揚と昂りに満たされた私が見たのは……見てしまったのは』
それは、両親を目の前で殺され、それでも血涙を流しながら感謝し賛美するしかない、子供の笑顔だった。
それは――かつての俺だ。
親を殺された少年と、その親を殺した少女が、そこにいたのだ。
『幼い私は知らなかった。殺された罪人もまた人間だという、単純な、当たり前の真実を。
誰かが殺されたら、悲しむ人間がいるという事を』
処刑貴族の分家で育った子供には重すぎる事実。
誰も彼もが殺すことは素晴らしいと教え込む中、アイネは初の殺しをした直後、たった一人の遺された子供の笑顔を見て、その事実を知ってしまったのだ。
追憶の中で、幼いアイネが絶叫する。
その絶叫は、死刑を見に来た市民たちの喝采によってかき消され、誰の耳にも届く事は無かった。
「……だから、なんだね」
ユーリがつぶやく。
「戦っている時に感じた違和感、迷い、そして……罪悪感。
相手がフィーグ君だったから」
俺に同情していたとでもいうのか。
「……同情じゃ、ない」
気付けば、そこにアイネもいた。
「同情なんかじゃない。ただこれは、私の――罪。
私は命じられるまま何も考えず、罪もない……あなたの両親を殺した。私はそんな、血に濡れ錆びたギロチンの刃。
今、その罪が罰せられる時が来た……ただ、因果応報自業自得、それだけ」
アイネはこちらを見ずに、目を逸らしながら言う。
「あのスロート女爵夫妻の遺児と、その魂約者……あなたたちにこそ権利がある。私を――」
そして、光が収まった。
さっきまでのは……二人の魔力の衝突が共鳴を呼び、内面世界が重なり合った、とでもいうのだろうか。
「……」
ユーリとアイネは武器を交えたままの体勢だ。もしかしたら、あれは刹那の時間も経っていなかったのかもしれない。
「……よくわかったよ」
ユーリが言う。
「キミが断罪を求めているって! だけど……だったら全力全開で来い!
ボクは、ボクたちは、それを真っ向から打ち破ってやるから!
キミも悪役令嬢なら……全力でかかってこい!!」
ユーリは剣を突きつけて言う。その脳筋全開の言葉に、アイネは――
「わかりました」
大量の拷問器具が宙に浮く。
そしてそれが連結して、巨大な竜の姿となる。
「令嬢スキル――拷問機竜!!」
それは圧倒的な暴力、害意の象徴だった。
鋼の顎がユーリに襲いかかる。それをユーリは不適な笑顔を浮かべて迎え撃つ!
「叛逆の――竜殺砲っ!!」
魔力が爆発的に高まり、光の剣の光刃が巨大化する。
――激突。
光の剣と鋼の竜がぶつりかり、衝撃がダンジョンを振動させる。
そして――。
「!!」
鋼の竜の顎に亀裂が走る。
「はああああああああああっ!!」
そして、光の刃が――鋼の竜を粉砕した。
拷問器具の破片たちがや床に落ちて散らばる。
――しかし、そこまでだった。
ユーリの光の剣もまたその輝きを失っていた。
――引き分けだ。
「……」
その事実を熊あたりにして、アイネは――震え、慟哭する。
「駄目……これじゃあ、駄目……私は、断罪されないと……っ!」
アイリはユーリに向かって叫ぶ。
だが、ユーリは言った。
「それは、ボクの役目じゃないよ」
真っすぐに。
その視線の先には――アイリの背後に立っていた俺の姿があった。
「つまんねー女だな、お前」
俺はそう言って、アイリの腕を掴む。
「……!」
アイリは目を見張る。その腕を振り払おうとするが、しかしその力は弱い。
戦いに全力を出し切ったからか、それとも。
「あの時の事を悔やんでいたのか……」
俺は言う。アイネの目を見て。
「……っ」
怯えた顔を浮かべるアイネ。そのアイネに対して、俺は。
「馬鹿じゃねえのか」
言ってやった。
「!?」
「俺の父上を、俺の母上を舐めるな。
確かに両親は罪なんか犯していない、ただ男女平等、男は女の子を守れって言っただけで国家反逆罪で殺された、ああ無念の死だ。
苦しかっただろう、恨めしかっただろう。許せないに違いない。
だけど、父上も母上も、命令されただけの小さな女の子に責と恨み、罪と罰を押し付けるような人間じゃない!」
俺の両親は、この時代の、世界の理から外れた異端者だった。
だからこそ――俺は両親を誇りに思っている。
あの人たちは決して、そこらにいる傲慢なクソ女や、クソ女に媚びたり怯えたりしている男たちとは違う。
「何故俺があの時笑ったか知っているか。
怒りと憎しみに狂ったから――じゃあない。
俺は見ていた、父上も母上も、俺に託して、俺の無事を知って。笑って逝ったんだよ」
俺はそれを、受け取ったから。
「だから俺は、無理矢理にでも笑った。俺は大丈夫だと。
だから――あの人たちの死を、命を、お前が背負う必要はない」
「……っ」
「それでもお前が、自分自身を許せないと罰を望むなら。
断罪を、願うなら――!」
掴んだ左腕の、その薬指にはまっている指輪を――蹴り上げる!
「お前の誇りも立場も力も全て――俺が奪い、踏み躙ってやる」
地面に落ちる魂約指輪。それを俺は――踏み砕く。
「お前はもう悪役令嬢じゃない、その銘も力も何もかも失った。これが、断罪だ」
澄んだ音がして、アイネのドレスが――光の粒子になって爆ぜて消滅する。
「王立魔法学園校則第一条。ドレスを破壊されたものは婚約破棄となる――」
魂約破棄。
俺とユーリの勝利が、確定した。




