7:狂狼は恐くない(1)
ランドルフとクローディアが「ひみつ婚」をして、二週間ほどの時が過ぎた。
今、クローディアは、辺境騎士団に隣接する騎士寮で彼と一緒に暮らしている。「ひみつ婚」の条件を満たすために、同居をしないといけなかったからだ。
もちろん、もふもふ竜のヴァルターも一緒。二人と一匹で、意外と快適な日々を送っている。
さて、十月になり、辺境での暮らしにも少しずつ慣れてきたクローディアは、ようやく騎士団の内部を詳しく見学することになった。
「この辺境騎士団は、魔物を討伐するために、五年ほど前に作られた組織なんだ」
窓から朝の光が差し込む中、ランドルフはクローディアの手を引いて騎士団の建物内を歩く。
「魔物というのは、真っ黒な獣みたいな姿をしていて、人間を見たら襲いかかってくる。この辺境の地は昔から魔物が多くて、騎士団ができるまでは本当にひどい状態だったんだ」
「……王都には、魔物なんていなかったよ?」
「そりゃそうだろ。王都には魔法でできた強力な結界がはってあるんだから」
魔法、という単語に、クローディアはびくりと体を震わせた。
「……クローディア? どうした?」
「ううん、なんでもない」
ふるふると首を振り、話題を変える。
「ランドルフは魔物、恐くないの?」
「俺は子どもの頃からこの地にいて、魔物と戦ってきたからな。もう慣れてる」
「そうなんだ。なんかすごいね」
「……俺に惚れるなよ?」
ランドルフが妙に得意げな顔でクローディアを見つめてきたので、クローディアは当然とばかりにすぐさま頷いてみせた。
「うん、惚れない。大丈夫」
クローディアの力強い返事に、ランドルフが微妙な顔になる。
「あのさ、クローディア。お前、少しくらい俺のこと意識したりしねえの?」
「意識した方がいいの?」
「……いや、意識されても困るけど」
なんなんだ。
クローディアはむむむと口を尖らせる。
ランドルフとの間に微妙な空気が流れだしたその時、廊下の向こうから騎士団の副団長ジルフレードが駆けてきた。
「ランドルフ、西の森で魔物が出たようです。今すぐ現場に行ってください」
さっとその場の空気が変わり、ランドルフの顔が引き締まった。
「分かった、行ってくる。ジル、クローディアを頼む」
「了解」
短く言葉を交わすと、ランドルフは黒い騎士服を翻し、クローディアに背を向け走り出した。
あまりに急なことに声をかけることもできず、クローディアはぽかんとその場に立ち尽くす。
「クローディア姫」
「ひゃい!」
いきなりジルフレードに名を呼ばれて驚いたクローディアは、文字通り飛び上がった。
この金髪眼鏡の青年は、どうも苦手だ。びくびくしながら見上げると、ジルフレードは少し困ったようにため息をついた。
「そんなに怯えないでください。別に取って食うわけじゃないんですから」
「ひゃい……」
「今日の服、お可愛らしいですね。ピンクのエプロンドレス、よくお似合いですよ」
「ひゃい」
何を言われても「ひゃい」という返事しか返せないクローディアに、ジルフレードが苦笑する。
「今日は辺境騎士団の仕事を見学していたんですよね?」
「ひゃい」
「何か見たい場所とかありますか? ランドルフの代わりに案内しますよ?」
「……ランドルフの、ところに、行きたい」
小さな声で答えると、ジルフレードは困ったような顔をした。
「今ランドルフのところに行くと、魔物討伐をするところを見ることになりますよ」
「……うん。魔物討伐するところ、見てみたい」
「お姫様が見るようなものではないと思いますが……」
ジルフレードは少し考えこんだ後、ふっと息を吐いて「まあ、少しくらいならいいでしょう」と頷いた。
「それなら急ぎましょうか。たぶんあっという間に戦いは終わると思います。ランドルフは強いですからね」
辺境騎士団を出発して、魔物が出たという森まで馬車で二十分。
気が急いていたからか、今日のクローディアは馬車酔いをすることもなく魔物討伐の現場へと辿り着くことができた。
「あ、ランドルフ!」
深い海のような藍色の髪をした青年を見つけ、クローディアは声を弾ませた。
彼は大剣を手に、黒い獣と対峙している。人の二倍はあろうかという巨大な魔物は牙をむき、グルルと低く唸り声を漏らした直後、耳を塞ぎたくなるような大音量で一度吼えた。
クローディアは魔物からかなり離れた場所にとめた馬車の中にいたのだけれど、その咆哮にびくりと体が跳ねてしまう。想像していたより何倍も恐い。
そんな魔物と戦うランドルフが、急に心配になってくる。
「ねえ、ジルさん」
「なんですか」
「ランドルフ、大丈夫かな? 怪我とかしない?」
へにょりと眉を下げつつ問うと、馬車の向かい側の席に座っているジルフレードが「大丈夫ですよ」と笑う。
「ランドルフは一人で戦うわけではありません。ほら、近くに三人の騎士がいるでしょう?」
「うん」
「あの三人は新人ではありますが、既にランドルフと連携して何回も魔物を倒した実績があります。今回も楽勝でしょう。それに、ランドルフは“狂狼”ですから」
「きょうろう?」
「魔物と戦うときは、狂った狼のような動きをするんですよ。ほら、あんな風に」
ジルフレードが指す方向を見ると、ランドルフがまさに魔物に斬りかかっているところだった。太陽の光を反射し、ランドルフの振り上げた剣がきらりと光る。
その光が素早く斜めに移動したと思った次の瞬間、黒い獣の苦悶の叫びが響き渡った。
あまりに痛々しいその叫びに、クローディアはぎゅっと身を縮こまらせる。
目を逸らしたい。けれど、逸らせない。
どさりという大きな音とともに獣が倒れこむ。大きな体が苦しみから暴れまわる。
救いを求めるように暴れ続ける魔物は、最後の力を振り絞って攻撃を仕掛けようとした。近くに控えていた新人の騎士たちが、その魔物の動きを封じるように剣を振るう。
ふっと魔物の気が逸れた。
ランドルフはすかさずその首に狙いを定め、垂直に剣を突き刺す。
魔物は急所を剣に貫かれて、一度大きく体を跳ねさせた。けれど、徐々に動きは鈍くなり、やがてぴくりともしなくなった。
――本当にあっという間の出来事だった。
ランドルフが戦う姿は「狂った狼」というのに思わず納得してしまうほど素早くて、何かにとりつかれているかのように見えた。
彼は戦いが終わると、まるで何事もなかったかのように平然と魔物から剣を抜き、軽くその血を振り払った後で鞘におさめている。
(……こんな世界があったなんて)
クローディアはその光景を呆然と眺めつつ、小さく拳を握った。
急にランドルフが遠い存在になってしまったような気がして不安になる。握りこんだ手は小刻みに震えていた。
「ねえ、ジルさん。ランドルフって、実はすごい人なの?」
「……そうですね。二十五歳という若さで、この辺境騎士団の団長を任されているくらいですから」
「やっぱり、すごいんだね……」
クローディアはしょんぼりと俯いた。
ずっと役立たずと陰で言われてきたクローディアとは、全然違う。
(役立たずのままだと、ランドルフにも捨てられちゃうのかな。半年も経つ前に捨てられちゃったらどうしよう……)




