6:捨てられ王女のひみつ婚(6)
「『ひみつ婚』?」
ランドルフとクローディアが揃って首を傾げると、ジルフレードはため息まじりに説明を始めた。
「『ひみつ婚』というのは、この国の隠れた慣習みたいなものです。『お試し婚』『駆け落ち婚』と言われることもありますね」
この国の貴族は、家柄などを考慮した上で親が子どもの結婚相手を決めるのが普通だ。けれど、親の決めた相手がどうしても受け入れられなかったり、他に好きな人がいたりすると、トラブルが起きてしまうことが多い。
最悪の場合、自ら命を絶つ令息や令嬢まで現れてしまう。
そういう悲劇を生まないようにできた慣習が「ひみつ婚」だ。
本来、神殿に提出する婚姻届には親の署名が必須なのだけれど、「ひみつ婚」ではそれが必要ない。親の署名欄が空白のままの婚姻届を神殿に提出すればいい。
「親の署名がない婚姻届は不完全なので、正式な婚姻にはならないんですが。ただ、そんな不完全な婚姻届でも、それを神殿に預けている間は『ひみつ婚』をしているとみなされ、仮の夫婦として扱われるようになるんです。『ひみつ婚』をした二人は、婚約者以上夫婦未満になるという感じでしょうか」
つまり、ランドルフがクローディアの服を脱がせたり一緒に寝たりしたことも、「ひみつ婚」さえしておけば結婚を前提にしている関係だったとみなされ、情状酌量の余地が生まれる、と。
「『ひみつ婚』は仮の婚姻なので、離縁をするのも簡単です。神殿に提出した婚姻届を処分するだけでいいですからね。ただ、処分せずに半年経つと、その婚姻は正式なものとして認められてしまうんですけど」
これだけ聞くと、「ひみつ婚」はとても便利なものに思えるけれど、残念ながらいろいろと制限もあるらしい。
まず、親に「ひみつ婚」をしていると知られてはいけない。
それから、「ひみつ婚」をしている期間の半分――つまり三ヶ月以上は、仮の夫婦として同居していなくてはならない。
親に知られないように三ヶ月も、というのは正直厳しい条件だろう。そのため、「ひみつ婚」が上手くいくのは、親が見て見ぬふりをしている場合が多いと言われている。
さらに――。
「『ひみつ婚』をしている間は、絶対に子どもを作ってはいけません。子どもができたら、そこで『ひみつ婚』は終了です」
「ぶふっ!」
ランドルフが盛大に咳き込んだ。顔を真っ赤にしてげほげほ言うその背中に、ジルフレードは呆れたような視線を送る。
「何を想像したんですか、ランドルフ?」
「げほ、げほっ! べ、別に何も」
「まあ子どもさえできなければ、何をしてもいいですけど」
「ジル、お前本当、とんでもないことをさらっと言うなよ」
ぎゃあぎゃあ騒ぎ始めたランドルフとジルフレードを、クローディアは目を瞬かせながら見ていた。
なんだかよく分からないところもあるけれど、とりあえず「ひみつ婚」というものをしないと、ランドルフが危ないということだけは一応理解した。
クローディアはとことこと歩いてランドルフの傍に行き、彼の騎士服の袖をくいくいと引っ張る。
「私、ランドルフと『ひみつ婚』する」
「お前……仮とはいえ、結婚だぞ? そんなに簡単に決めていいのか?」
「ランドルフを守るためだもん。いいよ」
まっすぐにランドルフの翠の瞳を見つめながら言うと、ランドルフは弱ったような顔をして、頭をがしがしと掻いた。
「……それなら、『ひみつ婚』するか。というか、今のところ、それ以外の選択肢はなさそうだしな」
善は急げ。
ランドルフとクローディアは「ひみつ婚」の覚悟を決めると、すぐに神殿へ向かうことにした。ジルフレードとヴァルターも神妙な表情を浮かべつつ、ついてきてくれる。
神殿は、騎士団の建物からそう遠くない場所にあった。
夕日色に染まる空の下、小さな神殿が見えてくる。王都にあるような大きくて豪華できらびやかなものとは全然違う神殿だ。けれど、小さくても、素朴でも、きちんと神殿らしく見える荘厳な建物だった。
細やかな彫刻が施された白い柱。丁寧に磨かれた大きなガラス窓。窓枠の部分には金の装飾がなされていて、神聖さを強調している。
扉を開き中に入ると、聖衣を身にまとった神官が立っているのが見えた。ランドルフやジルフレードよりも少し年上、三十代くらいの青年だった。
「あ、ランドルフ団長。今日はどうされましたか?」
「『ひみつ婚』しにきた」
ランドルフは端的に答え、神官に婚姻届の紙がほしいと告げる。神官は目を丸くしながらも、急いで婚姻届の紙やらペンやらを準備してくれた。
みんなが見守る中、ランドルフは婚姻届にさらさらとペンを走らせる。それが終わると、その紙をクローディアに差し出した。
「お前も書け」
「うん」
クローディアはドキドキしながら、ランドルフの名前の隣に自分の名前を書き込んだ。
仲良く並んだ名前。なんだかちょっとだけ恥ずかしい。
頬が熱くなるのを感じつつ、ランドルフに婚姻届の紙を返す。ランドルフは記入漏れがないかをジルフレードとともに念入りに確認した後、それを神官に渡した。
神官はランドルフとクローディアの婚姻届を受け取ると、穏やかな笑顔を浮かべ、祝福の言葉をかけてくれる。
「『ひみつ婚』おめでとうございます。本日――九月十九日。確かにお二人の婚姻届をお預かりしました」
今、この瞬間から、ランドルフとクローディアは仮の夫婦になった。
これから半年間――つまり来年の三月十九日の二十四時まで、『ひみつ婚』のおかげでランドルフの身の安全が確保される。
ほっとするランドルフとクローディアに、ジルフレードとヴァルターが次々にお祝いの言葉をかけてくる。
「ランドルフ、クローディア姫。ひみつ婚おめでとうございます」
「くふふ、くふふ! ひみつ婚おめでとうなんだぞ!」
腕の中にぽんと飛び込んできたヴァルターを、クローディアはぎゅっと抱き締める。
「ありがとう、ヴァルちゃん」
その時、ランドルフとクローディア、そしてヴァルターを包み込むように、きらめく光が降り注いだ。ちょうど正面にあったステンドグラスに夕日が差し込む時間だったらしい。
きらきらとした虹色の光の中、クローディアはふにゃりと微笑む。
信じていた家族に捨てられて、本当にこれからどうしようかと思っていたけれど。
大丈夫、きっとなんとかなる――そんな予感がした。
微笑むクローディアを見たランドルフが一瞬目を瞠り、それから頭を軽く振った。こほんとひとつ咳払いをした後、クローディアに低い声で警告する。
「いいか、この婚姻は半年間だけだ。正式なものになる前に必ず白紙に戻す。それまでにちゃんと身の振り方を考えておけよ。……それと」
ランドルフは表情を改めると、クローディアをじっと真剣な目で見つめ、告げた。
「俺には既に心に決めた存在がいる。だからクローディア。お前、絶対に俺のことを好きになるなよ?」




