5:捨てられ王女のひみつ婚(5)
辺境に着いたのは、王都を出発してから二週間も後のこと。
旅慣れていないクローディアのせいで、予定よりも大幅に時間がかかった結果だった。
旅の疲れからまともに動くことができなくなったクローディアは、顰めっ面のランドルフに抱っこされて、ようやく辺境の地に降り立つことができた。
「本当にお前は手がかかるよな」
「ごめんね、ありがとう」
文句を言うランドルフに、クローディアはぎゅうとしがみつく。
この二週間、クローディアもいろいろなことを経験し、学習した。たとえば、一人で着替えをしてみたり、簡単な買い物をしてみたり――これから生きていく上で役に立つと思われることを、少しずつ身につけてきた。
あと、彼の名前も「らんどるふ」という拙い言い方ではなく、ちゃんと「ランドルフ」と言えるようになった。それが嬉しくて、ついつい彼の名前を意味もなく呼んでしまう。
「ランドルフ、ランドルフ」
「なんだよ」
「呼んでみただけ!」
「……そんなに元気なら、もう抱いて歩かねえでいいよな? 下ろすぞ」
「だ、だめ! 足、まだ、がくがくしてるもん!」
クローディアは慌ててランドルフにしがみついている手に力を込めた。すると彼は「しかたねえな」と零しながらも、ちゃんと抱き直して運んでくれる。
なんだかんだで、彼は頼られるのが嫌いではないらしい。
ランドルフに抱っこされたまま、クローディアは辺境騎士団の建物を見上げる。
レンガ造りの高い塀。濃い灰色の石壁の建物。規則正しく並ぶ四角い大きな窓。全体的に装飾などは控えめで、とにかく機能性や実用性を重視したような造りをしている。
建物の中に入ると、少しだけひやりとした空気が頬を撫でてきた。
濃い灰色の壁がどこまでも伸びているように感じる、長い長い廊下。ランドルフはその廊下をまっすぐ進んでいく。
その足元を、青いもふもふ竜のヴァルターが並走する。
「辺境騎士団、とっても大きい! おれさま、気に入ったんだぞ!」
ヴァルターはぴょんぴょん跳ねながら、大きな黒い瞳でじっくりと周りを観察していた。
しばらくそのまま歩いた後、立派な装飾のなされた扉の前でランドルフがようやく足を止めた。クローディアを抱き上げていて両手が塞がっているランドルフの代わりに、ヴァルターがその扉を開く。
「ここは応接室だ。ちょっとここで一休みでもしててくれ」
ランドルフは部屋の中をゆっくりと進み、ソファの上にクローディアを下ろす。
「俺は副団長を呼んでくる。これからのことを決めるのに、あいつもいた方がいいから」
ぽんぽんとクローディアの頭を撫で、ランドルフは休む暇もなく部屋を出て行った。残されたクローディアとヴァルターは、そっと身を寄せ合う。
大きな窓からは眩しい日の光が差し込み、室内を明るく照らしていた。部屋の真ん中にどっしりと佇む長い机は、つやつやとした木製のもの。ソファの向かいに置かれた椅子の上には、小さな丸いクッションが二つ並んでいる。
壁にかけられているのは、どこか懐かしい感じのする田舎の風景が描かれた絵画。そのすぐ下には小さめの棚があり、分厚い背表紙の本が整列していた。
すっきりと落ち着いた、それでいてどこか温かさも感じる空間だ。
クローディアはほうっと息を吐く。
(ここが、辺境騎士団……ランドルフが働いてる場所)
城ほど華美ではないし、広くもないけれど、なんだかここは安心する。辺境の地に馴染めるだろうかと不安に思っていたけれど、これならクローディアも落ち着いて過ごせそうだ。
ほどなくして扉が開き、ランドルフが金髪の青年を連れて部屋に戻ってきた。
その金髪の青年が、どうやら副団長らしい。前髪を真ん中で分け、黒いフレームの眼鏡をかけている。その眼鏡から覗く瞳は碧。意志の強そうな、頑固そうな印象の青年だ。
ちょっと恐い。
青年はしかつめらしい態度を崩さず、じろりとクローディアに視線を向けてきた。
「副団長のジルフレードです。貴女は?」
「わ、私は……クローディア」
恐る恐るクローディアが名乗ると、ジルフレードは目を見開いた。ひくりと顔を引きつらせ、「まさか」と呟く。
「金と桃の髪に、紅い瞳。『クローディア』という名前。もしかして、貴女は、この国の第二王女……クローディア姫なのでは」
「うん」
こくりと頷くと、全く別方向から驚愕の声が飛んできた。
「は? 王女様? 誰が?」
声の主はランドルフだ。
クローディアはきょとんとしながらも、自分を指さしてみせる。
ランドルフが「嘘だろ」と天を仰ぐ。
微妙な空気が漂いだしたところで、ジルフレードがひとつ咳払いした。
「さてと、ランドルフ。状況を整理するためにも、一体何がどうしてこうなったのか、しっかり説明してもらいましょうか」
ギラリと眼鏡が光った。恐い。
ランドルフはジルフレードの刺すような視線に居心地が悪そうな顔をしつつも、一通りの説明をする。そうして説明が終わると、ジルフレードが深いため息をついた。
「ランドルフ、君は昔から犬だの猫だのをよく拾ってくるタイプでしたけど。まさか人間を……しかも姫君を拾ってくるなんて。おまけに、珍しいもふもふ竜まで一緒とは」
「いや、俺、クローディアが姫とか知らなかったし。ヴァルターは犬だと思って拾ったし」
言い訳をするように話すランドルフに、ジルフレードは冷ややかな視線を向ける。くいっと眼鏡を直し、低い声で呟いた。
「しかも、姫君の服を脱がせたり、姫君と一緒の布団で寝たり……とんでもないことをしてしまってますね」
「いや、でも子どもだし! 大丈夫だろ?」
「何を言ってるんですか? クローディア姫は十八歳、もう成人なさっているはずですよ」
「は? 成人? 誰が?」
勢いよく振り向いたランドルフに、クローディアは自分を指さしてみせた。
その途端、ランドルフの顔が一気に赤く染まる。
「嘘だろ! それじゃあ俺、お年頃の姫と同衾したって勘違いされるじゃねえか!」
「大問題ですね。訴えられたら非常にまずいです」
ジルフレードの淡々とした声が続く。
「クローディア姫は『捨てられた』とおっしゃってますが、それでも王女である事実が消えたわけではないでしょう。ランドルフは王女を誘拐し手込めにしたと言われてしまうかもしれません。そうなったら終わりです」
ジルフレードはきゅっと眉を寄せ、真剣な顔になった。
「しかたがありません。ランドルフの身を守るため、二人とも、これからすぐに『ひみつ婚』をしていただけますか?」




