45:一番大切な人(7)
深い海のような藍色の髪に、切れ長の翠の瞳。戦う騎士たちの中でも格段に若いその青年は、魔法など使わず剣の力だけで戦っていた。
「……あのお兄さん、かっこいい!」
クローディアは頬を染め、胸の前で両手を組んでその若い騎士を応援する。魔法を使う騎士ばかりいる中で彼はひときわ輝いて見えた。クローディアの小さな胸は、彼が剣をふるうたびにドキドキと鳴る。
キラリと舞う剣。ひゅっと風を斬る音。
魔法に頼らず自分の力だけで戦うその姿に、胸がぎゅっとなる。
魔力だとか魔法だとかそういうものがなくたって、充分強くなれるし、ちゃんと戦えるんだ。すごい、すごい――。
クローディアはずっと「魔力なし」であることに劣等感を抱いてきたし、悩んできた。けれど、その重苦しい気持ちがぱっと晴れ、なんだか希望がわいてくる。
若い騎士の戦う姿に元気と勇気をもらった気がした。
残念ながら、その若い騎士は試合相手の使う卑怯な魔法によって翻弄され、負けてしまったけれど。それでもクローディアは、この武闘会で一番強い騎士は間違いなく彼だと思った。
王族専用の席から飛び出して、クローディアは彼を捜す。
どうしても彼と話をしてみたかった。
ちゃんと、あなたは強い騎士だと、そう伝えたかった。
闘技場の至る所を走り回り、ようやくクローディアは彼を見つけた。
ささやかな植え込みのある、小さな休憩所のような場所。彼はその奥の方にあるベンチに座り、ひとりうなだれていた。
「あ、あの!」
クローディアは思い切って声をかける。ドキドキと高鳴る胸を押さえ、その若い騎士のもとに駆け寄った。
「……なんだよ」
ベンチに座っている彼は、少しだけ顔を上げた。新緑のような翠の瞳はこちらを睨むように細められていて、クローディアは少しだけ心がくじけそうになる。けれど、ふるふると首を振ると、勇気を振り絞って口を開いた。
「あの、あの。さっきの試合、見てたよ! えっと、すごくかっこよかった!」
「は?」
若い騎士の目が丸くなり、口がぽかんと開けられる。
「何を言ってるんだ、お前。試合を見てたんなら分かるだろ。俺は負けたんだ」
「うん。でも、あれは相手の人が魔法を使っていたからでしょ? 反則ではないけど、平等じゃなかった。平等だったら……魔法なしで普通に戦ったら、絶対あなたが勝ってた」
「それは……そうだろうけど」
「これは騎士のための武闘会なのに、なんで魔法を使っていいんだろうね? それってずるいよね? 本当はそんなに強くないのに、魔法のせいで強そうに見えているだけの人が勝つ武闘会なんて、意味がないと思うの」
クローディアは一生懸命自分の考えを伝えた。
騎士としての本当の強さを持つあなたは素晴らしいのだと。それに気付かない他の人は見る目がないのだと。魔法を使えない騎士が弱いと勘違いしている観客もおかしいのだと。
「この武闘会で優勝する人よりも、本当はあなたの方が強いんだって私は知ってる。だから、その、これからも頑張って!」
目の前の若い騎士はクローディアの言葉を最後まで聞いた後、ほんの少し瞳を潤ませた。
「ありがとな。……でも、俺はもう騎士は辞めようと思ってて」
「ダメ!」
クローディアはぶんぶんと首を振ると、若い騎士の前にしゃがみこみ、彼の手をぎゅっと握る。そして、その翠の瞳をじっと見つめながら懇願した。
「あなたみたいに魔法に頼らず戦える騎士は、きっと魔力のない人たちみんなの希望になれると思うの。だから、絶対に辞めたらダメ!」
「いや、でも……」
「お願い。あなたは私の希望なの」
この騎士をどうにかして元気づけないといけない。焦ったクローディアは、ドレスのポケットに忍ばせておいたおやつの包みを取り出した。可愛らしい紙袋に包まれたそれは、ほんのりと甘い香りを漂わせる。
「えっと、これ! これをあげるから、元気を出して!」
いきなり出てきたおやつに若い騎士は目を丸くして、それから堪えきれずに噴き出した。
重かった空気が一気に軽やかになる。
「くくっ……分かった。そんなに言うなら、とりあえず騎士は辞めないことにする」
騎士の瞳に小さな輝きが宿った。
その様子を見てほっと胸を撫でおろしたクローディアの髪を、柔らかな風がなびかせていく。その時の髪の色は、今みたいな金と桃色ではなく――。
「クローディア? どうした?」
心配そうな表情を浮かべたランドルフが、クローディアの顔を覗き込んでくる。思ったよりも近いその距離にどきりと心臓が跳ねた。
「えっと、ちょっといろいろ思い出してたの。昔、ここに来たことがあったから」
「そうなのか」
「うん。今まで忘れてたんだけど、この場所を見たら思い出したの」
記憶の中にいる若い騎士の姿が、今目の前にいるランドルフに重なっていく。
ドキドキと鼓動が速くなり、じわじわと頬が火照ってきた。
「ねえ、ランドルフ。ここでランドルフは『救いの天使』と話をしたんだよね。その時、もしかして、天使からおやつをもらったりした?」
「ああ、もらったけど。……なんで知ってるんだ? そのことは誰にも話してないのに」
やっぱりあの時の若い騎士はランドルフだったんだと、クローディアは確信した。
ドキドキと胸が鳴る音がうるさい。
「そのおやつ、シフォンケーキだったでしょ」
クローディアがランドルフをまっすぐに見上げて言うと、ランドルフは怪訝そうに眉を寄せた。
「クローディアの言う通り、シフォンケーキだったよ。俺は天使にもらったその時から、シフォンケーキが大好物になったんだ。……って、え?」
言いながら、ランドルフはまるで「あの日」のように口をぽかんと開けた。そして、目を見開き、信じられないものを見ているかのような表情で「まさか」と呟く。
「『救いの天使』は……いや、でも髪の色が全然違うし」
「あのね、あの頃の私は自分の髪の色があまり好きじゃなかったの。だから、お母様の魔法で色を変えてもらってた……あの時は、空色に」
ランドルフがクローディアの髪をまじまじと見つめ、繋いだままの手にぎゅっと力を込めてきた。それから改めて、クローディアの顔をじっと見つめてくる。
柔らかな春の風がランドルフの藍色の髪をふわりと持ち上げた。彼の瞳は甘い熱を孕み、少し潤んでいる。そのままクローディアをしばらく見つめて、それから納得したように「ああ」と声を漏らした。
「そうか、クローディアが俺の『救いの天使』だったのか」
クローディアはこくりと頷いてみせる。
すると、ランドルフは繋いでいた手をぐっと引っ張って、クローディアを抱きすくめた。
「やっと……やっと会えた。俺の天使」




