40:一番大切な人(2)
姉から通信の魔導具をもらった後、クローディアは急いでそれを辺境に送った。
通信の魔導具はすぐに辺境騎士団へと届けられたので、これでいつでもランドルフの声を聴くことができるようになった。
とはいえ。
(今さら、何を言えばいいんだろう……)
クローディアは、通信の魔導具を使う勇気が持てないままでいた。
大体、ランドルフに伝えたいことは先日の手紙で書いてしまっている。手紙に書いていないことで伝えられることがあるとすれば、連日お見合いをしていることくらいだけど、それはさすがに言いたくない。
いまだに好きで諦めきれない相手から「お見合い頑張れよ」とか言われてしまったら、絶対に泣いてしまう。もう泣かないと決めたはずなのに、それでも堪えきれなくなる。
クローディアは通信の魔導具を自室の机にそっと置き、はあとため息をつく。
今日もまた、これからお見合いをする予定になっている。今日の相手は兄の学友だそうで、身分はあまり高くはないけれど、性格はとても良いらしい。
部屋の隅にある大きな鏡に映る自分の姿を、クローディアはぼんやりと見つめる。とても華やかな黄色のドレスは、スカートの部分がまるで薔薇の花のように広がっている。侍女が時間をかけて結い上げてくれた髪は、複雑な編み込みの中に宝石のついた髪飾りが差し込まれていた。
こんなに着飾っていても心は全く浮き立たない。やっぱりお見合いになんて行きたくない。
けれど、クローディアは両頬をむにむにと手で押さえた後、無理矢理笑顔を作った。
「大丈夫、私はまだまだ頑張れる」
いつまでもこんな風にお見合いばかりの日々を過ごすのは嫌だ。
早く結婚相手となる男性を見つけて、さっさと終わりにしたい。
(結婚相手がちゃんと見つかったら、その時はランドルフに魔導具で連絡することにしよう。きっとランドルフは「よく頑張ったな」って褒めてくれるはずだもん。だから、頑張る)
クローディアは机の上に置いた通信の魔導具をちらりと見た後、よし、とひとつ気合いを入れる。
前向きに頑張っていれば、きっとなんとかなるはずだから。
クローディアのことを一番大切に想ってくれる人とも出逢えるはずだから。
その人と結婚したら、胸を張ってランドルフと会うこともできるはずだから。
ランドルフが言ってくれた通り、幸せになったよ、と。
そう報告することができるはずだから。
そのためにも、まずは今日のお見合いに前向きに取り組まないといけない。クローディアは見合いの席へ向かうべく、ひらりとスカートの裾を翻して部屋をあとにした。
その日の夜。
クローディアは明かりを落とした自室で、しょんぼりとうなだれて落ち込んでいた。
(なんで上手くいかないんだろう……)
気合いを入れて臨んだはずの今日のお見合いも、結局のところ非常に微妙な感じで終わった。兄の学友だというその人は、確かに性格は良いのかもしれなかった。けれど、会話をするのが苦手なタイプらしくて、とにかく話が続かなかった。
クローディアが一生懸命話しかけても「はい」「いいえ」くらいしか答えてくれないし、表情も固くて何を考えているのか分からない。その人が雄弁に話し始めたと思ったら仕事関係の話題ばかりで、はっきりいって全く面白くなかった。
彼の仕事――魔法研究職についてのうんちくを語られても、正直困る。クローディアは「魔力なし」だから、魔法を使う基本理論とか語られてもピンと来ないし。
申し訳ないけれど、もう会いたくない。それでも我慢してあと一回くらいは会った方がいいのだろうかと頭を抱える。一回会っただけでは分からないことも多いと姉も言っていたし、次は相手の良いところが少しくらい見つかるかもしれない。
だけど会うとなったら、またあの面白くない会話に付き合わないといけなくなる。ものすごく憂鬱だ。会話が苦手なら苦手でいいから、せめてクローディアが理解できる話題を何か準備してから来てくれないだろうか。
「……はあ」
何もかも思う通りにいかない。
こんなことなら、城に戻ってこない方が幸せだったのではないか。
辺境ならば、大好きなランドルフの傍にいられた。
可愛らしいヴァルターを思う存分もふもふできた。
ジルフレードに褒めてもらえたし、シンシアと一緒にお茶を飲むこともできた。
辺境には、クローディアの幸せがいっぱい詰まっていた。
「帰りたい」
ぽつりと零れた言葉は薄暗い部屋の中に消えていく。クローディアはベッドにごろんと寝転がり、ぼんやりと天井を見つめた。
辺境に帰るなんて、そんなことは無理だと分かっている。それなのに、日に日にあの地が恋しくなる。
「ランドルフに、会いたい」
声が震えた。不意に鼻の奥がツンとして目が熱くなる。じわりと周囲の景色が滲んでいく。
だめ。泣くな、泣くな。
辺境を旅立ったあの日、もう泣かないと決めたのだから。
ぺちんと両頬を叩き、クローディアは涙を堪えた。
(大丈夫。私は泣かない。子どもじゃないもの)
ゆっくりと息を吐いて、またぼんやりと天井を見つめる。
泣かないなんて簡単だ。心を無にして何も考えないようにすればいいだけだから。感情なんてなくしてしまえばいいだけだから。
寝返りを打つと、鏡に映った自分の姿が見えた。華奢な体を包み込むレースたっぷりの白い寝衣が月明かりに照らされている。じっと鏡を見ていると、そこにあるのは確かに自分の姿のはずなのに、なんだか全くの別人のような気がしてきた。横たわっているその体には元気のひとかけらもなく、くたびれた人形みたいに見える。
急に、ぞわりと背筋が寒くなった。
ここにいるのは、誰なんだろう。
本当のクローディアは、どこに行ってしまったんだろう。
鏡に映っているのはクローディアではなく、この国の第二王女の姿をした人形なのではないだろうか。
恐い。恐い。恐い。
このままでは、自分が自分でなくなってしまう。
クローディアは鏡から目を逸らす。布団を頭からかぶり、何も見えないようにぎゅっと目をつむる。布団を握りしめたままがたがたと震え、身を縮こまらせる。
どうすればいいのか分からなくて、喉の奥がぐっと詰まったようになって苦しくなった。指の先は力を入れすぎたせいで、だんだんと感覚が鈍くなってくる。
(……助けて、ランドルフ)
限界だった。
クローディアは震えながら、心の中で必死に彼の名を呼ぶ。
(ランドルフ、ランドルフ……!)
その声が届いたのだろうか。
クローディアの呼びかけに応えるかのような絶妙なタイミングで、部屋の窓ガラスがコツンとひとつ叩かれた。




