38:裏話・辺境騎士団にて
クローディアが次々とお見合いの場へと赴くようになった頃、辺境騎士団で何が起こっていたかというと――。
「……ランドルフ、何をぼんやりしているのですか」
「ん? ああ、悪い」
昼下がりの団長室。
金髪眼鏡のジルフレードが呆れたようにランドルフを見遣る。ランドルフはジルフレードの言葉に反応はしたものの、やはりぼんやりとしたまま窓の外を眺めていた。
クローディアがいなくなったのは、本当に突然のことだった。
王都の騎士たちがクローディアを迎えに来たあの日、ランドルフは魔物を討伐するため外に出ていた。もふもふ竜のヴァルターを一緒に連れて行ったこともあり、魔物はすぐに倒すことができたのだけど、そこから帰ってきた時には既にクローディアの姿はなかった。
まあ、当然といえば当然のことだった。
クローディアが「お城に帰りたくない」と涙ながらに訴えた時、ランドルフ自身がそれを否定し、帰るように勧めたのだから。
でも、さすがに何の予告もなく帰ってしまうなんて思っていなかった。
こんな風に別れの時が来るなんて、そんなこと考えてもみなかった。
「ランドルフ。今日はもう仕事はいいですから、休んでください」
「いや、でも……」
「そんなにぼんやりしたまま仕事なんてしていたら、ミスばかりしてしまいますよ。大人しく休憩して、早く復活してください」
半眼になったジルフレードが無理矢理団長室からランドルフを追い出した。
これではどちらが団長なのか分からない。けれど、自分でもぼんやりしている自覚はあったので、大人しく休憩をとることにした。
ひとまずゆっくりお茶でも飲むかと考えて、食堂へと向かう。食堂に入ると、シンシアが声をかけてきた。
「あら、こんな時間に食堂に来るなんて珍しいわね。何かあったの?」
「別に、何もねえけど」
答えながら食堂の椅子に腰掛けて頬杖をつく。昼食の時間を過ぎたこの時間帯は、他の人の姿もなく静かだった。こうして見ると、ここはやけに寂しい場所に感じる。
クローディアがいた時は、静かだとか寂しいとか感じることなんてなかったのに。あの子はいつもどこからかひょこっと顔を出して、「ランドルフ!」とにこにこしながら駆け寄ってくる女の子だったから。
今も、すぐ傍の扉からクローディアが顔を覗かせてくるような気がして、ぼんやりとそちらの方を見てしまう。あの金と桃の髪をした少女は、もうここにはいないというのに。
ぼんやりと頬杖をついたままのランドルフの前に、シンシアがお茶を置いた。
「クローディア姫がいないと、なんだか寂しいわよね」
「……そうだな」
「でも、クローディア姫は本来いるべき場所へちゃんと帰ることができたんだから、喜んであげないといけないわよね」
そう言いつつ、シンシアは少し涙ぐむ。シンシアもクローディアにきちんと別れを告げられなかったことを寂しく思っているようだった。
彼女は目の端に滲む涙を指で軽く拭いながら、思い出したように言う。
「そういえばランドルフ。あんた、クローディア姫との『ひみつ婚』の書類は神殿に取りに行ったの? 処分しないといけないんでしょ?」
「……ああ、忘れてた……」
「何やってんのよ。それに、クローディア姫から来たっていう手紙の返事は?」
「……まだ」
ランドルフの情けない答えに、シンシアが眉を顰める。ぺしんとランドルフの背中を叩き、「あんた、本当に何やってんの」と叱責する。
「とにかく早く『ひみつ婚』の書類を処分しておきなさいよ。さっさとしないと、クローディア姫の結婚に差し支えるでしょうが」
「……は?」
「『は?』じゃないわよ。『ひみつ婚』している状態だと、クローディア姫が本当の結婚相手を見つけた時に困るでしょうよ」
「……そう、だな」
ランドルフは頷きながらも、なぜか不愉快になった。
なんだ、本当の結婚相手って。
これ以上食堂でシンシアに小言を言われるのも嫌だったので、ランドルフはさっさとお茶を飲み干して自分の寮に戻ることにした。
ひんやりとした廊下を進み、寮の扉を開ける。
寮の部屋はしんと静まり返っていた。窓から日の光が入ってきていてかなり明るいはずなのに、どこか寒々しい。ランドルフは小さく息を吐き、自分の寝室へと向かった。
寝室の床には相変わらずいろんなものが散らかっていて、足の踏み場がない。いつものようにひょいひょいと床のものを避けながら進み、木製のナイトテーブルの上にある手紙を手に取った。
クローディアからの手紙。何度も読み返したので、内容はほとんど暗記してしまっている。
クローディアは無事に城へ帰れたようだった。家族にも温かく迎え入れてもらえたらしい。これからは捨てられる心配もなく、穏やかに、幸せに生きていけることだろう。
もう、クローディアにランドルフは必要ないのだ。
だから、返事には「よかったな」「幸せになれよ」と書くだけでいい。ランドルフのことは忘れて、早く結婚でもして幸せになれと、そう書いてやればいい。
ランドルフは手紙を持ったまま、書き物机のある部屋へと移動する。
そして、真っ白な便箋とペンを準備して、さっそく返事を書こうとしたのだけれど。
「……なんでだよ」
なぜか、手が震えて字が上手く書けなかった。はあとため息をついて、気持ちを落ち着けようとする。
そうだ、こういう時は「救いの天使」のことを思い出せばいい。
あの天使のことを想えば、いつだって気持ちが落ち着くのだから。
――それなのに。
あれほど大切に想っていたはずの天使の顔が、思い出せなくなっていた。
「……なんでだよ」
もう一度、同じセリフを呟いてしまう。
今までずっと心の支えにしてきた空色の髪の小さな天使の顔は、どこか遠くぼんやりとしか思い出せない。
どんなに辛い時も、苦しい時も、天使のことだけを想って乗り越えてきたはずなのに。天使のことが大切だから、クローディアを突き放したのに。
ランドルフはペンを投げ捨て、真っ白な便箋をくしゃくしゃに丸めた。それを壁に向かって、力任せに投げつける。
天使を思い出そうとすればするほど、なぜかクローディアを思い出してしまう。
クローディアの笑った顔。怒った顔。泣いた顔。
クローディアの顔なら、どんな顔でも鮮明に思い出せる。
「俺が……俺が、一番大切に想っているのは……」
ぐしゃぐしゃと頭を掻きまわした後、ランドルフは窓の外へと目を遣った。
窓の向こうに見える空は、遠く遠くどこまでも続いていた。
そう、クローディアがいるはずの王都に向かって、どこまでも――。




