37:もう泣かない(6)
家族との再会の後、クローディアは自分の部屋に戻って少し休むことにした。
白い花の模様がついた桃色のカーテン。繊細な彫刻が施された豪華なベッド。ふかふかした薄紅色の絨毯に、凝った装飾が美しい小さな本棚。お気に入りのソファには、大切にしていた小さな犬のぬいぐるみが置かれている。
約半年ぶりに見る自分の部屋は、城を追い出されたその日のまま、何も変わっていないように見えた。
ふと、辺境騎士団で過ごしていた日々が夢か幻だったかのような錯覚に陥る。
(ううん、夢でも幻でもないよね)
クローディアは自分の部屋に運び込まれた鞄を開けて、絵本を取り出した。大切な、大切な、思い出がいっぱい詰まった絵本。これはランドルフと過ごした日々が確かに現実のものだったという証拠品。
絵本を一冊一冊、本棚に並べていく。そうしていると、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。
「あ、そうだ。無事にお城に着いたことをランドルフに知らせなきゃ」
クローディアは控えていた侍女に便箋やペンなどを準備してもらうと、さっそく手紙を書き始めた。
特に大きな問題もなく城に戻れたこと。家族が温かく迎え入れてくれたこと。聖女の力があるおかげで貴族たちからの反応も変わり、もう捨てられたりする心配もなさそうだということ。
ランドルフとヴァルターと、そして辺境騎士団のみんなと出逢えて、本当によかったと思っていること。
たくさんの気持ちを込めて、クローディアは手紙を書いた。
――本当にありがとう。さようなら。
最後にそう書こうとして、ペンをぴたりと止めた。
(さようなら、なんて書きたくない)
クローディアはじっと便箋を見つめた後、「本当にありがとう」とだけ書いて、ペンをそっと机の上に置いた。「さようなら」は書かなかった。
だって、ランドルフは全く会えなくなるわけではないと言っていた。王都に来る機会があれば、その時はきっとクローディアに会いに来てくれる。城での暮らしが落ち着いてきたら、辺境へ遊びに行くことだってできるようになるかもしれない。
また、きっと会えるはずだから。だから、「さようなら」は書かない。
クローディアは便箋を綺麗に折りたたんで封筒に入れると、それを侍女に渡して辺境騎士団へ届けるように頼んだ。
一息ついて窓の外を見ると、いつの間にか日が暮れかけていた。西側の空は橙色がかすかに残り、雲は紫がかった色に染まっている。反対側の東の空は既に藍色が広がってきていて、静かな夜の訪れを知らせていた。
(夜の色は、ランドルフの髪の色にやっぱり似てる……)
クローディアはそう思いながら、藍色の空を、ただじっと見つめ続けた。
城に戻った翌日、クローディアは改めて話をするために父に呼ばれた。何やら大事な話らしいけれど、何を言われるのか全く予想がつかない。なんとなく緊張しながら、父のところへ行くこととなった。
今日のクローディアは、王女にふさわしい豪華なドレスを身につけている。クリノリンというアンダースカートを使って、スカートの後方部分に膨らみを持たせるタイプのドレスだ。これはペチコートを重ねてはくよりも軽くて歩きやすい。
細い腰を強調するように、スカートにはギャザーがたくさん施されている。ふわふわ、ひらひらと揺れるそのギャザーの線に沿って小さな宝石がたくさんちりばめられているので、歩くたびに足元がきらめいていた。
上半身は割とシンプルなシルエットになっていて、華奢な体を柔らかく包み込んでいる。ほどよく丸く開いた襟元。愛らしいラインの長袖。全体的に優しげな雰囲気が漂う。
特徴的な色の髪は丁寧に編み込み、赤い薔薇の髪飾りをつけてもらった。顔の横に少し垂らした髪が、一歩踏み出すごとにふわりと揺れる。
こんな風に着飾るのは久しぶりで、ほんの少し息苦しい。けれど、王女として生きていくことを考えれば身なりに気を遣うのも当たり前だった。我慢するしかない。
王女らしく装ったクローディアは、しゃんと背筋を伸ばして歩き続ける。
ほどなくして、国王の私室に辿り着いた。近くに控えていた父の護衛騎士がクローディアに軽く一礼し、扉を開けてくれる。
「ああ、クローディア。待っていたよ」
部屋に入ると父が声をかけてきた。父はゆったりとした椅子に腰掛けて、クローディアを手招きしている。
クローディアはゆっくりと父の傍へ行き、勧められたソファに座った。
父はクローディアの顔をにこにこと見つめながら、単刀直入に言う。
「突然だが、クローディア。お見合いをしないか?」
「……え?」
「次から次へと良い縁談が舞い込んでいるんだ。お前ももう十八歳だし、そろそろ結婚相手を見つけておいた方がいいだろう」
「結婚相手……」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
クローディアは無意識に首を振る。
「わ、私はまだ結婚なんてしたくない」
「何を言っているんだ。のんびりしていると良縁を逃すぞ。早く結婚して幸せになりなさい」
父はクローディアの心の中を知ろうともせず、結婚を勧めてきた。その顔にはずっと笑みが浮かんでいる。今までクローディアには良い縁談なんて来たことがなかったので、次々と舞い込む縁談が嬉しくてしかたないのかもしれない。
クローディアはぎゅっと目をつむり、俯いた。
(ランドルフ、助けて。このままじゃ私、無理矢理結婚させられる。そんなの嫌だよ。助けて、助けて……)
がたがたと震えながら祈るけれど、ふとランドルフが言っていた言葉が脳裏に甦ってきた。
――お前の気持ちには応えられない。
――お前は、お前を一番大切に想ってくれるやつと一緒になった方がいい。
震えがぴたりと止まる。
そうだった。
ランドルフは、クローディアを一番大切に想ってくれる人と結婚した方がいいと言っていたのだった。
(私は、私を一番大切に想ってくれる人と結婚しなくちゃいけない)
そう、ランドルフではない、誰かと。
覚悟していたはずなのに。納得だってしていたはずなのに。
嫌だ、と心が叫ぶ。
クローディアは今でもランドルフのことが好きだった。
振られても、離れても、ずっとずっと好きなままで、忘れられそうにない。
でも。
どんなに心が引き裂かれそうになったとしても、彼のことは諦めるしかないのだ。クローディアは彼に選んでもらえなかったのだから。
ぐっとお腹の底に力を入れ、涙が零れないように堪える。
泣かない。絶対に泣くもんか。
ランドルフが言った通りの結婚相手を必ず見つける。大丈夫、頑張れる。
すっと姿勢を正し、クローディアは父に向かってにこりと微笑んで見せた。
「分かりました、お父様。私、お見合いをすることにします」
 




