36:もう泣かない(5)
辺境から王都への旅は驚くほど順調に進み、十日後には城に着いた。
クローディアはそのまま王都の騎士たちに付き添われ、父である国王の元へと向かう。
捨てられたばかりの時は門番によって乱暴に追い返されてしまったけれど、今回はとても丁重に扱われ、すんなり城に入れた。なんだか予想と違いすぎて、少し動揺する。
(お城の中って、こんなに広かったっけ……?)
果てしなく続いているように見える廊下を進みながら、クローディアは懐かしさと違和感の両方を覚えた。壁の細かな彫刻はやけに多く感じられるし、窓枠のデザインも妙にキラキラしていて豪華さが増している気がする。もちろん実際には以前と何も変わってはいないのだろうけど。
ふと天井を見上げたら、思っていた以上に高くてくらくらと眩暈がしそうになった。慌てて視線を前に戻し、転ばないように気を付けながら、一歩一歩足を進めていく。
そうして、父の待つ謁見の間へと足を踏み入れた。金の縁取りが施された赤い絨毯の上を進み、クローディアはゆっくりと顔を上げる。
そこには父と母、それに兄が立っていた。
「よく戻ってきてくれた、クローディア」
懐かしい父の声。
父は穏やかな笑みを浮かべ、クローディアを見つめている。そんな父の隣に立っていた母が、泣く寸前のような顔をして、こちらに駆け寄ってきた。
「クローディア! 辛い目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい……!」
母はそう言って、クローディアをぎゅっと抱き締めた。ふわりと母の香水の匂いがして、クローディアの胸の中がまた懐かしさでいっぱいになる。
(お父様、お母様。私を捨てたこと、本当に後悔してたのね……)
クローディアがここに戻ってくることを本当に父や母が望んでいるのかが分からなくて、ずっと不安だった。けれど、こんな風に優しく迎えてもらえて、少しだけほっとする。
父も母も兄も、みんな元気そうだ。ちなみに、姉は既に結婚していてこの城にはもう住んでいないので、ここにはいないようだった。
クローディアと同じ、金と桃の不思議な髪色をした父。
母譲りの紅い髪と紅い瞳を持つ兄。
王族にふさわしいきらびやかな衣装を身にまとっている二人は、母に抱き締められているクローディアを温かな目で見守っている。
ここでふと、クローディアはすぐ傍の母を見た。父と兄は半年前とあまり変わりないように見えるけれど、母だけは何か少し印象が違うような気がする。
何が違うんだろう。クローディアはしばらく考えて、はっとする。
「お母様、髪の色がいつもとちょっと違う……!」
そう、母は兄とそっくりの紅い髪のはずだ。でも、今目の前にいる母の髪は、クローディアの毛先とよく似た桃色になっている。
母はくすりと笑って、桃色の髪の毛をつまんでみせた。
「よく気付いたわね、クローディア。これは魔法で色を変えているの。そうそう、あなたが小さい頃は、この髪の色を変える魔法をあなたによく使ってあげていたわよね。覚えているかしら?」
「髪の毛の色を、変える魔法……」
言われてはじめて、遠い記憶が甦ってきた。
そういえば、本当に幼い子どもだった頃のクローディアは、この不思議な髪色があまり好きではなかった。「魔力なし」のくせに国王と同じ髪色をしているなんて生意気だ、と陰口を叩かれたことがあったから。
髪の色が嫌だと泣くクローディアに、母は魔法をかけてくれた。
赤、青、緑、紫、とクローディアの髪の色を毎日のように変えてくれた。
父も兄もその当時のことを思い出したのか、口元に笑みを浮かべる。
「あの頃のクローディアは、本当に毎日髪の色を変えていたな」
「なのに、どの色も気に入らないと言って、わあわあ泣いてはみんなを困らせてたんだ」
クローディアは頬を熱くしながら俯いた。そんな小さな子どもの頃の話で笑わなくたっていいのに。
けれど、そんな何気ないやり取りが普通の家族みたいで、少し嬉しかった。
クローディアは、父たちからいろいろな話を聞いた。
クローディアが捨てられることになってしまった経緯や、捨てられた後の城の様子など、本当にいろいろな話を。
そもそも「魔力なし」として生まれたクローディアは、成人するまでに魔力の発現がなければ王族から追放されると決まっていた。父たちもそれは知っていたのだけど、そのうち魔力が発現するに違いないと思っていたので、特に気にしていなかったという。
成人を目前にして魔力が発現する人間はまれにいる。そういう人間の魔力はとびぬけて高いことが多い。クローディアもそういうタイプに違いないと、そう信じ込んでいたのだ。
だから、クローディアが十八歳の誕生日を迎え、魔力の片鱗すら見せられなかったその時、これは大変なことになったとはじめて焦ったらしい。
貴族の中には「魔力なし」など王家の恥、と考えている者がいる。そういう考えを持つ者たちが、あの日、クローディアを追い出せと声を上げたからだ。
「その貴族たちは、そのままだとクローディアに何をするか分からなかった。だから一度、クローディアを城から追い出すふりをすることにしたんだが……」
もちろん追い出すふりをした後、すぐに迎えをやるつもりだった。
けれど、クローディアを追い出したいと考える貴族たちの方が一枚上手だった。国王の甘い考えなど見抜かれ、その計画を阻止された。クローディアはそんな貴族たちの手によって、本当に追放されることになってしまったのだ。
国王は必死になって大事な娘を探させたけれど、なかなか見つからなかった。どんなに小さな情報でもクローディアに関わりがありそうなら全て調べさせる。そのせいで偽の情報に何度も引っかかった。
クローディアを追い出した貴族たちは国王が「魔力なし」の娘を探すことに反対しており、だんだんと国王自身も貴族たちから追い詰められていく。
「けれど、クローディアが聖女としての力に目覚めたという情報が、すべてをひっくり返した」
魔力を持たない代わりに、クローディアは魔力よりも貴重な「神力」を持っていた。それが分かった途端、貴族たちは手のひらを返したという。
「クローディアはもう貴族たちから『魔力なし』と見下されることはない。王女として、聖女として、堂々とこの城にいていいんだよ」
「……うん」
クローディアは頷きつつも、複雑な気持ちになった。もし聖女としての力に目覚めていなかったら、どうなっていたのだろう。父たちは何も持たないクローディアを、どうやって守っていくつもりだったのだろう。
(私はもう、前みたいに無条件でお父様たちを信じることができない……)
たとえ、ふりだったとしても。
クローディアを捨てようと考えたことには変わりがない。
捨てられたという心の傷は、きっと、完全に癒えることなんてない。これからもずっと心のどこかで、小さな傷痕として残り続ける。
父はクローディアの気持ちに気付かないまま、穏やかに言う。
「おかえり、クローディア」
(あ……)
クローディアはスカートを握り締めて、瞳を揺らす。
それは、ずっと聞きたかった言葉のはずだった。なのに、なぜか素直に喜べない。
けれど、ここは喜んでおかないとダメな気がした。
瞳を閉じて、ぐるぐると渦巻くいろんな感情を押し込める。それからゆっくりと目を開け、クローディアはにこりと笑ってみせた。
「ただいま戻りました、お父様」




