30:目覚める力(5)
「私、手当てできるかもしれない」
クローディアはそう言って、ジルフレードの傍へと移動する。怪訝な表情をするランドルフを見上げてその瞳を見つめつつ、同じ言葉を繰り返す。
「私、ジルさんの手当て、できるかもしれないの」
「どういうことだ?」
ランドルフが首を傾げたその時、空からヴァルターが帰ってきた。小さなもふもふ竜はふらふらと蛇行するように浮遊しながら近付いてきて、よろよろとしながらなんとか地面に降り立つ。たくさんブレスを吐いたので、さすがに疲れたらしい。
クローディアは帰ってきたばかりのヴァルターをひょいと抱っこして、キリッと表情を引き締めた。
「あのね、ヴァルちゃんは神獣だったの。それで、私に癒しの力を与えてくれて……えっと、私もまだよく分かってないんだけど」
「神獣? 癒しの力?」
「あの、とにかくジルさんに手当てをしてみるね」
ヴァルターを地面に下ろし、クローディアはジルフレードの腕へと手を伸ばした。
さっきランドルフの傷を癒したのと同じように、傷があるだろう場所にそっと手をかざす。目を閉じて集中すると、みぞおちのあたりがまたぽかぽかしてきた。
クローディアは祈りを込めて、言葉を紡ぐ。
「痛いの、痛いの、飛んでいけ!」
ふわりと優しい光が手のひらから生まれる。光がジルフレードの傷を包み込んでいく。傷を癒すその光はジルフレードの腕に吸い込まれて、ゆっくりと消えていった。
これで大丈夫なはず。クローディアはランドルフを見上げる。
「これで、治ったと思うんだけど」
「本当か……?」
戸惑うように瞳を揺らしながらも、ランドルフは慎重にジルフレードの傷を確認する。そして、クローディアの言った通りに傷がすっかり治っているのを見て、目を見開いた。信じられないものを見たような顔をして、「まじか」と小声で呟く。
「……こんなの、まるでクローディアが『聖女』みたいじゃねえか」
「そうなんだぞ!」
疲れた体をのんびりと休めていたヴァルターが、ぴょこんと起き上がる。
「クローディアは聖女だったんだぞ!」
「何言ってんだよ。クローディアは魔力を持ってねえんだろ? そのせいで城から追い出されたって言ってたじゃねえか」
「むむー? クローディアの力は眠っていただけなんだぞ? それに、クローディアに魔力がないのは当たり前なんだぞ。だって、聖女が持っているのは魔力じゃなくて『神力』だもの」
「ええっ?」
ランドルフとクローディアは揃って驚きの声を上げた。
その声がうるさかったのか、気を失っていたはずのジルフレードがぱちりと目を開ける。
「……なんですか、騒々しいですね」
「あ、ジル。聞いてくれよ、ヴァルターが聖女で、神獣が魔力で、クローディアが神力で」
「ランドルフ、落ち着いてください。さっぱり意味が分かりません」
ジルフレードは眼鏡の位置を直しつつ、きょろきょろと周囲を見回した。
ヴァルターのブレスの影響で氷まみれになった建物。その建物の向こうから、恐る恐るこちらを窺っている村人たち。
周りの様子を確認し終えたジルフレードは、眼鏡をキラリと光らせつつ、半眼になって問う。
「どういう状況か、きちんと説明してもらえますか?」
あまりにいつも通りのジルフレードの態度に、クローディアとランドルフは目を合わせ、思わず笑みを浮かべた。
ヴァルターが神獣だったこと。
クローディアが聖女だったこと。
突然明らかになった真実も、三日ほど経つ頃には自然とみんなに受け入れられていた。
ランドルフたちが残りの魔物を殲滅している間、クローディアは聖女の力を使って傷ついた人々を癒し続け、立派な聖女様として認識してもらえるようになった。
さらに数日後、魔物がいなくなったのを確認して、クローディアたちは辺境騎士団へと戻った。
夕日の差し込む団長室に入った時、みんなの顔がほっと緩むのが分かる。
そんな中、ジルフレードがしみじみと口を開いた。
「ランドルフ。君は昔から犬だの猫だのよく拾ってくるタイプでしたけど、まさか聖女様と神獣様をセットで拾ってきていただなんて。すごいを通り越して……なんか呆れました」
「いや、俺、クローディアが聖女とか知らなかったし。ヴァルターは犬だと思って拾ったし」
団長室のソファに座り、言い訳をするようにランドルフが口を尖らせる。
クローディアはそんなランドルフの隣にぴったりとくっついて座った。膝の上には、当然のようにヴァルターがちょこんとおすわりしている。
仲良く寄り添って座るクローディアたちを眺めながら、ジルフレードは深いため息をつく。
「とりあえず、クローディア姫が聖女の力に目覚めたことは、王家に報告した方がいいでしょうね。隠したとしても、いつかばれてしまうでしょうから」
ジルフレードの考えに、ランドルフも頷く。
「そうだな。クローディアが聖女だと分かれば、王家や貴族も態度を変えるはずだ。クローディアが『城に帰りたい』と言えば、たぶん受け入れてもらえるようになる」
「え、私、お城に帰るの?」
クローディアはぱちぱちと目を瞬かせて、そう言ってしまった。そんな話の流れになるなんて予想外だ。
思わずぎゅっとランドルフの服を握ると、ランドルフは不思議そうな顔をしてクローディアを見つめてきた。
「なんだよ、『城に帰りたい』ってずっと言ってたのは、お前だろ?」
「そ、そうだけど……」
「王家に連絡して、迎えが来たらお前の望み通り城に帰れる。ああ、その時は『ひみつ婚』もちゃんと終わらせておかないとな」
クローディアは大きく目を見開いた。
(『ひみつ婚』を終わらせる……?)
ズキンと胸が痛くなる。目がじわじわと熱くなってきて、ぽろりと涙の雫が零れ落ちた。
クローディアは涙声で、ランドルフに訴える。
「なんで急にそんなこと言うの? ランドルフは『ひみつ婚』を終わらせたいの? ……私のこと、嫌いなの?」
「そういうわけじゃねえよ。でも」
「ランドルフは、私がお城に帰ればいいと思ってるの? お城に帰ったら、もう会えなくなっちゃうかもしれないのに?」
胸がズキズキと痛む。クローディアはランドルフの服をきつく握りしめたまま、じっとランドルフを見つめた。
ランドルフはクローディアの瞳を見つめ返し、静かに言う。
「城に帰るのが、お前の望みだろ。俺はその望みを叶えるだけだ」
ランドルフの服を握っていた手から、力が抜けた。
嫌。
そんな言葉、聞きたくない。
クローディアは零れ落ちる涙もそのままに、団長室から逃げだした。




