26:目覚める力(1)
以前のようにランドルフと仲良く過ごせるようになって、クローディアはご機嫌だった。
なんというか、毎日が楽しい。
「ランドルフ、これ、新しく挑戦してみたレモンシフォンケーキなの。蜂蜜ディップと一緒に食べてみて。爽やかな香りがして、リラックス効果があるんだよ!」
「ああ、いつもと違う香りがするなと思ったら、これか。……うん、おいしい」
「えへへ、やったー!」
一月になり、新年のバタバタした日々が少し落ち着いた頃。クローディアはシフォンケーキのアレンジに凝るようになっていた。
紅茶の葉を混ぜてみたり、ヨーグルトを混ぜてみたり、はたまたハーブを混ぜてみたり。
今は色々試すのが楽しくてしかたない。
「あのね、次はチョコレートを入れてみようかなって思ってるの。ランドルフは、チョコレート好き?」
「ああ……好きだよ」
ランドルフがじっとクローディアを見つめながら言った。クローディアはランドルフの口から「好き」という言葉が出てきたのに反応し、思わずどきりと心臓を跳ねさせてしまう。
(う、うう、なんだか恥ずかしいよ……)
じわじわと頬を熱くしながら、クローディアは俯いた。
最近、なぜかよくこうなる。ランドルフのことが好きだと自覚してしまったからだろうか。気持ちを伝える気はないのだから、こんな風にドキドキしても意味はないのだけど。
クローディアがもじもじしていると、後ろからぬっと金髪眼鏡が現れた。
「真っ昼間の団長室でいちゃいちゃするの止めてもらえますか。見てるこっちがむずむずしてくるんですよ」
「ひゃあ!」
低く地を這うような声に、クローディアは驚いてぴょこんと跳び上がってしまった。
金髪眼鏡のジルフレードは無表情でこちらを眺めている。眼鏡の向こうの碧い瞳が、心なしか冷たい。
どうしよう、恐い。
ジルフレードは無表情のまま、クローディアの肩をぽんと叩いてくる。
「ところでクローディア姫」
「ひゃい!」
「また事務仕事をお手伝いしてもらえると助かるのですが」
「ひゃい……?」
クローディアが涙目になりつつ見上げると、ジルフレードは眼鏡をキラリと光らせた。問答無用とばかりにクローディアの肩を掴み、さっさと事務室へと連行しようとする。
ランドルフがその様子を見て慌てた。
「いや、待て! というか、事務仕事なんてクローディアがやる必要ねえだろ。俺に回せよ」
クローディアの肩を掴んでいるジルフレードの手を急いで叩き落としながら、ランドルフが不機嫌な声で言う。
けれど、ジルフレードは全く怯むことなく平然とした顔で答える。
「いえ、ここはクローディア姫にお願いします。はっきり言って、ランドルフよりクローディア姫の方が事務に関しては優秀なんですよ。丁寧で、速い。ああ、クローディア姫。いっそのこと、この辺境騎士団に就職しませんか?」
「え?」
思いもよらない誘いに目を丸くしていると、ランドルフにぐいっと抱き寄せられた。クローディアの身体はあっさりと彼の腕の中に閉じ込められる。穏やかな夜の森のような優しい香りに包まれて、クローディアの胸の奥がじわりと熱くなった。
ランドルフはクローディアの耳元に口を寄せ、そっと囁いてくる。
「ジルの言うことなんて、まともに聞く必要ねえからな。お前は俺の傍にいるだけでいい」
「……でも私、事務仕事は嫌いじゃないよ? ランドルフの役にも立てるし」
クローディアはランドルフの胸に顔をうずめながら、小さな声で言う。それを聞いたランドルフは少し考え込んだ後、ふわりとクローディアの頭を撫でた。
「クローディアがやりたいなら、やればいい。でも、無理はするなよ」
「うん。じゃあ、さっそくお手伝いしてくるね」
ランドルフから離れると、クローディアはジルフレードと一緒に団長室を出ようとした。
けれど、その手がランドルフにぱっと掴まれる。
「事務仕事ならこの団長室でやれよ。俺の机の隣にお前の場所作ってやるから」
「……うん!」
クローディアはふにゃりと笑って頷いた。
最近のランドルフは本当に優しい。どういう心境の変化があったのかは分からないけれど、こんな風に優しくしてもらえるのはすごく嬉しかった。
じっと彼の瞳を見つめると、彼もふわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「……だから、いちゃいちゃするのは止めてもらえませんかね」
ジルフレードが遠い目をして呟いた。
――その時。
すぐ傍の廊下から、ばたばたと大きな足音が聞こえ、団長室の扉が勢いよく開かれた。
「団長! 東の森に魔物が出たらしいっす!」
飛び込んできたのは新人三人組のうちの一人だった。彼はいつもののんびりとした表情を忘れてしまったかのように、青ざめた顔をしている。
ランドルフはさっと表情を引き締め、すぐさま新人騎士に尋ねた。
「魔物が出るのはいつものことだろう。何をそんなに慌てているんだ?」
「か、数が」
「数が?」
「十体以上もいる、と」
ランドルフもジルフレードも表情が凍りついた。団長室が一気に緊迫した空気に包まれる。廊下を全力で走ってきた新人騎士は、荒い呼吸をなんとか抑えようとしていた。
ピンと張りつめたような空気の中、クローディアはひとり話についていけず、眉をへにょりと下げる。
「ねえ、ランドルフ。十体以上って多いの?」
「多い。いつもの倍以上だ」
ランドルフは端的に答え、団長室の隅に置いてある剣を手に取った。クローディアをジルフレードの方へ軽く押しやり、ジルフレードの目を見て言う。
「ジル、クローディアを頼む」
「了解」
そのまま新人騎士を連れて団長室を出て行こうとするランドルフの背中に、クローディアは慌てて声をかけた。
なんとなく、ここで声をかけなかったら後悔するような気がして――。
「ランドルフ、気をつけてね! 私、ランドルフが好きなシフォンケーキを焼いて待ってるから、早く帰ってきてね! 怪我とかしないでね!」
ランドルフがこちらを振り返って、ふっと小さく笑った。
「ああ」
それは、クローディアの胸をぎゅっと掴むような、とても優しい笑顔だった。
クローディアはランドルフの無事を願いながら、ひたすら彼の帰還を待った。
けれど、一日経っても、二日経っても、彼は帰ってこなかった。彼と一緒に魔物討伐に行った騎士たちも帰ってこない。
こんなことは初めてだった。
そうして、三日目の夜。
クローディアのもとに、耳を疑うような知らせが舞い込んできた。




