25:救いの天使(6)
クローディアは急いで寮に戻ると、さっそくシフォンケーキ作りを始めた。
今回はヴァルターの力は借りないで、全部一人でやってみる。
(心を込めて作ろう。ランドルフの笑顔が見たいから)
卵白は真っ白でつややかなメレンゲに。
卵黄は優しい黄色の滑らかな生地のベースに。
メレンゲと生地のベースをふんわり混ぜたら、シフォン型へ。
型をオーブンに入れ、温度と時間を設定し、ボタンを押す。
クローディアは胸をドキドキさせながら、オーブンの中を見守った。
(喜んでくれるかな。おいしいって言ってくれるかな……)
食堂で出したシフォンケーキは、ランドルフに食べてもらえなかった。だから、もう二度とクローディアが作ったシフォンケーキは食べてもらえないのかと心配になったけれど。
シンシアが言ってくれた通り、ランドルフはクローディアのシフォンケーキを食べたいと思ってくれているみたいだった。「まだ残ってるか」と聞きにきたランドルフの顔を思い出し、クローディアはふにゃりと頬を緩める。
それに。
シンシアが「ひみつ婚」を終わらせてクローディアを自由にしろ、と言った時、すぐにランドルフが反応してくれたことも嬉しかった。
――俺以外の奴と「ひみつ婚」させたくねえんだけど。
今もその声はしっかりと耳に残っている。
オーブンの中のシフォンケーキがふわふわと膨らみ始めた。空気をたっぷり含んだ生地は、どんどん背が高くなっていく。それをじっくり眺めていると、オーブンの熱がクローディアの頬にも移ってくる。
ぽかぽかする頬に手を当てて、クローディアはほうっと息を吐く。
けれど、ここでふと思い出してしまった。
ランドルフの一番大切な、「救いの天使」のことを。
ひやりと急に寒さを感じ、クローディアは小さく震えた。また、もやもやとした気持ちが甦ってくる。
空色の髪をした女の子。できれば、ランドルフの前にもう現れないでほしい。ランドルフの心の中でこれ以上大きくならないでほしい。
――やきもちを妬いてるだけっすよね?
新人三人組の言葉が頭の中に響いたその時、シフォンケーキが焼きあがる音がした。クローディアは急いでオーブンからシフォン型を取り出す。
――団長が「好きになってもいい」と言ったら、どう思うっすか?
(好きになってもいいなら……)
好きになってもいいのなら、もう二度と「好きじゃない」なんて言わない。言いたくない。
クローディアはもう一度、ランドルフの言葉を思い出す。
――俺以外の奴と、「ひみつ婚」なんてさせない。
その言葉が心の中の扉の鍵をカチャリと開けた。「好きになるな」と言われて、ずっとずっと鍵をかけていた扉。そう、自分の気持ちを閉じ込めていたその扉が、今ようやく開いていく。
くるり、とシフォン型をひっくり返す。
瓶の上にシフォン型をのせている時、新人三人組の声が聞こえた気がした。
――クローディア姫は団長のことが好きなんすから。
「私は、ランドルフのことが、好き……」
そう呟いてみたら、不思議なことに今は全く違和感を覚えなかった。
「え、え、え、私、ランドルフのこと好きなの?」
その瞬間、目の前のシフォンケーキみたいに世界がひっくり返った気がした。
ランドルフのことが好き、と再度呟いてみたら、すとんと妙に納得がいく。あんなに「好きじゃない」と言い張っていたのは何だったのかと言いたくなるくらいに。
たまらず、ぶわっと顔が熱くなる。
(う、う、嘘! 私、本当にランドルフのこと好きになっちゃってたの?)
いや、そんな、まさか。
これは新人三人組の誘導に引っかかっているだけなのではないだろうか。
まずは落ち着こう。ゆっくりと深呼吸して。
けれどこのタイミングで、なぜかランドルフにベッドで押し倒された時のことを思い出してしまった。優しい手つきで頬を撫でられた、あの夜のことを。
「きゃあああ!」
恥ずかしい。今さらだけど、猛烈に恥ずかしい。
あの時は動悸や頬の熱を感じて、風邪かもしれないと思っていた。
けれど、自分の気持ちがはっきりした今、その時の自分に思いきり突っ込みたい。
それ、風邪じゃないよ、と。
あの夜のランドルフの顔を思い出すだけで、心臓がばくばくしてしまう。クローディアは熱くなった頬に手を添えながら、その場にしゃがみこんだ。
なんてこと。ランドルフから「好きになるな」とあれだけ言われていたのに、結局彼のことを好きになってしまった。
(どうしよう、これからどんな顔をしてランドルフと会えばいいの……?)
悩んで、悩んで、悩み抜いて、夜を迎えた。
悩み抜いた結果、クローディアは自分の気持ちを隠すことに決めた。どうせ「好き」と言っても、この想いは成就しない。
――好きだと言われたら普通に嬉しいんだけど……でも、俺は、その気持ちにたぶん応えてやれないから。
ランドルフがそう言ったことを、クローディアはちゃんと覚えている。
だから、決めた。ランドルフのことが好きというこの気持ちは、彼には絶対に伝えない。
シンシアは「ランドルフはクローディアのことが好き」と考えているようだけど、クローディアには信じられなかった。ランドルフがそういう目でクローディアを見ているとは思えない。勢いで告白して、彼に振られてしまうのはやっぱり恐かった。
クローディアは手作りのシフォンケーキを持って、ヴァルターと共にランドルフの寝室へと向かう。今まで通り、何も気付かなかったふりをして。
寝室の扉を開けて、少しびっくりした。最近はずっと明かりが落とされているのが普通だったのに、今夜は部屋の中が明るかったから。
ベッドの方を見ると、ランドルフと目が合ったので、さらに驚いた。
「ランドルフ、起きてたの?」
「ああ」
「あ、えっと、私シフォンケーキ持ってきたの。……食べる?」
「……食べる」
そう答えたランドルフの頬は、ほんのりと赤く染まっている。クローディアがシフォンケーキを恐る恐る差し出すと、ランドルフは赤い顔のままもぐもぐとそれを頬張った。
そうして、ぽつりと小声で言う。
「なんか、いろいろ悪かった。その……もうお前のこと、避けたりしねえから……だから、許してほしい」
クローディアは目を瞬かせた。けれど、次の瞬間にはふにゃりと笑みを零す。
「うん」
その日の夜、クローディアは久しぶりにランドルフと一緒に絵本を読んだ。ヴァルターはやっぱり絵本を読んでいる途中で眠ってしまったけれど、その姿を見て二人で笑うことができた。
おやすみ、と言ってくれるランドルフの声が優しい。
クローディアは泣きたくなるくらい幸せな気持ちで、そっと目を閉じた。




