24:救いの天使(5)
「シ、シンシア師匠……うう、ぐすっ」
昼の忙しい時間帯が過ぎた頃、クローディアは耐えきれなくなってシンシアに泣きついた。
シンシアは突然泣き出したクローディアに目を丸くしつつ、優しい声で尋ねてくる。
「どうしたの、急に。シフォンケーキなら完売したし、すごくおいしかったってみんな言ってたじゃない。何も泣くようなことはないでしょう?」
「ぜ、全部食べてもらえたのは嬉しいの。でも、でも、ランドルフは食べてくれなかったの……」
「ええっ?」
シンシアは驚きの声を上げた後、「しまった!」と自らの額をぺちんと叩いた。
「今日のシフォンケーキはクローディア姫のお手製、って伝えとくの忘れてたわ」
「……え?」
きょとんとしてシンシアを見上げると、シンシアは遠い目をしていた。
「いや、最近のランドルフは、食堂のシフォンケーキをめったに食べなくなってたのよ」
「そうなの? なんで?」
「クローディア姫が作るシフォンケーキの方が好きだからに決まってるじゃない。ああっ、今日のはクローディア姫のお手製だって知ってたら、あいつ絶対食べたわよ! そしたら自分の気持ちにも気付いたでしょうに!」
だんだん腹が立ってきたのか、シンシアの口調が激しくなっていく。
クローディアはそんなシンシアをおろおろしながら見ていたけれど、少しだけ気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
こんな風に自分のために怒ってくれる人がいるというのは、幸せなことだ。ごしごしと目元に残った涙を拭い、クローディアは笑った。
「シンシア師匠、ありがとう。ちょっとだけ、元気出た」
クローディアの言葉にシンシアも怒りを鎮めていく。
少し穏やかな雰囲気になりかけたところで、外の廊下からバタバタと騒がしい音が聞こえてきた。その足音はどんどん近付いてきて、クローディアとシンシアのいる調理室の前までやってくる。そして、勢いよく扉が開かれた。
「シンシア!」
そこに立っていたのは、ヴァルターを頭の上にくっつけたランドルフだった。
「今日の食堂のシフォンケーキ、クローディアが作ったって本当か!」
「あら、ランドルフ。……そうよ、今頃気付いたの?」
「気付いたというか、さっきヴァルターから聞いたというか……」
と言いながら、だんだんと小声になっていく。目を丸くしたクローディアがランドルフを見つめていたのに気付いたせいだろう。
ランドルフはクローディアから目を逸らし、こほんと咳払いをする。
「そのシフォンケーキ、まだ残ってるか?」
「残ってるわけないでしょ」
「なっ……」
言葉を失うランドルフに、シンシアが説教モードになった。
「ちょうどいい機会だから言わせてもらうわ。ランドルフ、あんた矛盾したことばかりしてる自覚あるの?」
クローディアに「好きになるな」と言っておきながら、「男として見てねえの?」と意識するように仕向けたり。夜、一緒に寝ることを許しておきながら、昼間はそっけない態度をとったり。
その言動に一貫性はなく、クローディアを混乱させるだけだとシンシアは指摘する。
「大体ね、あんたがクローディア姫とちゃんと向き合おうとしないから、シフォンケーキを食べそこなうんでしょうよ。自業自得、反省しなさい!」
びしっと指を突きつけるシンシアを前に、ランドルフが呆気にとられた顔になる。
シンシアはふんと鼻を鳴らしながら、続ける。
「あんたにとって『救いの天使』が大切な存在だってことは分かってる。でも、その天使を優先して、今目の前にいるクローディア姫を困らせるのは違うでしょ。どうしても天使を一番に考えたいのなら、『ひみつ婚』を今すぐ終わらせて、クローディア姫を自由にしてあげるべきよ」
シンシアはくるりとクローディアを振り返り、優しい声で言う。
「ねえ、クローディア姫。こんな失礼な男なんて放っておいて、別の男性と『ひみつ婚』し直した方がいいんじゃない? あ、ジルとか新人三人組とかどう?」
「え……」
ランドルフではない、他の誰かと「ひみつ婚」をする。
それを想像しようとすると、なぜか胸がぎゅうと締めつけられた。
(ランドルフ以外の人なんて、嫌)
クローディアの心の声に重なるようにして、ランドルフもぽつりと呟いた。
「俺以外の奴と『ひみつ婚』させたくねえんだけど」
クローディアの心臓がどきりと大きく飛び跳ねた。同じ気持ちであるということが信じられなくて、思わず目を見開いてランドルフを見つめてしまう。
自分の都合のいいように聞き間違いをしてしまったのだろうか。そんなクローディアの不安を払拭するかのように、ランドルフは思いきり不満をあらわにした声で、今度ははっきりと言った。
「俺以外の奴と、『ひみつ婚』なんてさせない」
そう言い放った後、ランドルフはじわじわと顔を赤らめた。視線をあちこち泳がせて、納得がいかないように小さく唸る。
しばらくそんな風に落ち着きのない動きをして、やがて限界とばかりにくるりと踵を返した。
彼はそれ以上何も言うことなく、調理室から出て行ってしまう。去り際に、彼の頭の上にくっついたヴァルターが、もふもふの手をクローディアたちに向けてぶんぶん振っていたのが、なんだか少し間抜けな感じがして面白かった。
「……さてと。あいつもやっと自覚したかな?」
シンシアが椅子に座り、頬杖をついて、クローディアに笑いかけてくる。
「あいつも少しは懲りただろうし、態度も改善されると思うわよ……って、クローディア姫、どうしたの? 顔が赤くなってるみたいだけど」
「えっ?」
クローディアは頬にぱっと両手を当てる。頬はなんだかとてもぽかぽかしていた。
「あ、あのね、ランドルフがさっき言ってくれた言葉、すごく嬉しかったの。私も、ランドルフ以外の人と『ひみつ婚』するのは嫌だって思ったから……」
「あら」
「なんかね、今、すごく胸の奥が温かいの。……でもね、ちょっとだけ、恥ずかしい」
「ふふふ」
シンシアがクローディアを見て、楽しそうに笑う。
「クローディア姫も、自分の気持ちにもうすぐ気付けそうね」
「え、そうかな」
熱くなった頬を両手で挟んだまま、クローディアは少し考え込む。
自分の気持ちはまだはっきりとは分からないけれど。
これから何をしたいかだけは、はっきりと分かる。
「とりあえず私、ランドルフにシフォンケーキを作ってあげたいな。それで、ちゃんと仲直りしたい」




