22:救いの天使(3)
ジルフレードに「救いの天使」について教えてもらった翌日。
クローディアは悶々とした気持ちを抱えたまま、寮の台所でシフォンケーキを作っていた。
今日も、白いフリルエプロンをつけたヴァルターがはりきって手伝ってくれている。全身を使って卵白を泡立てているヴァルター。その小さな背中を眺めながら、クローディアは眉をへにょりと下げる。ヴァルターのもふもふの毛は、青色。「救いの天使」と同じ、晴れた日の空の色。
「クローディア、手が止まってるんだぞ? メレンゲ、完成しちゃうんだぞ?」
「あ、うん。ごめんね」
クローディアは慌てて生地のベース作りを始める。かしゃかしゃとボウルに泡立て器が当たる音が響いた。
けれど、油断するとすぐに手が止まってしまい、そのたびヴァルターに声をかけられる。
そんな風にぼんやりしながら作ったシフォンケーキは、残念ながらあまり良い出来にはならなかった。膨らみが悪く、ところどころに穴が空いてしまっている。
(うう、これはランドルフにはあげられないなあ……)
はあ、と深いため息をついた後、クローディアは自分の髪の毛をつまんで、じっと見つめた。
空色の髪の少女。
ランドルフの「救いの天使」。
彼女とランドルフが会ったのは一度きりだと聞いている。どこの誰かも分からない。でも、もしその少女が再び目の前に現れたとしたら、ランドルフは――。
大喜びして、きっと、クローディアのことなんて忘れてしまう気がする。
「はあ……ダメだなあ、私」
「クローディア、失敗なんて気にしなくてもいいんだぞ! このシフォンケーキは、おれさまがちゃんとおいしく食べてあげるんだぞ!」
クローディアの悩みなど少しも気にとめることなく、小さな青いもふもふ竜は元気に言う。小さな羽をぱたぱたと動かし、シフォンケーキに添えるディップが入った小瓶をいくつも抱えて持ってきた。
生姜ディップやココアディップは体を温める効果があるので、寒い日にぴったり。アーモンドディップは記憶力や集中力アップに効果があるので、頭を活性化させたい時におすすめだ。
ぐっすり眠りたい時には、ラムレーズンディップや柚子ディップがいい。
ヴァルターはいろいろなディップを、楽しそうに机の上に並べていく。
「失敗したシフォンケーキも、ディップがあれば、おれさまはおいしくいただけるんだぞ! というわけで、いただきまーす!」
ヴァルターはしっぽをぶんぶん振りながら、自分のシフォンケーキが乗ったお皿にディップを添えている。どうやらディップを全種類制覇するつもりらしい。
持ってきた全てのディップをお皿に添え終わると、今度は恐ろしいスピードでシフォンケーキを次々と口に放り込み始めた。
「あ、ヴァルちゃんだけずるい! 私も食べる!」
放っておいたら全部食べられそうだったので、クローディアは慌てて自分の分を確保した。それから、アーモンドディップを添えて食べ始める。
アーモンドプードルとアーモンドスライス、そして蜂蜜を混ぜ合わせただけのお手軽ディップは、食感が面白くてすごくおいしい。
(次は、ちゃんと集中して作ろう。私が作ったシフォンケーキ、またランドルフに食べてもらいたいもん)
クローディアは失敗したシフォンケーキをもぐもぐと食べながら、気合いを入れ直した。
けれども。
上手くいかない時は、何をやっても上手くいかないらしい。
次に作ったシフォンケーキは、オーブンに入れる時にもたもたしてしまったせいか、底の部分にへこみができてしまった。これは「底上げ」という失敗だった。
おまけに、ジルフレードの事務仕事を手伝っている時にも計算ミスを繰り返してしまい、クローディアの気分はどんどん下がっていった。
このままでは、また役立たずに逆戻りだ。
がっくりと肩を落とし、訓練場の隅で膝を抱えていると、新人三人組が声をかけてきた。
「あれ、クローディア姫?」
「なんすか、また落ち込んでるんすか?」
「オレたちでよかったら、話聞くっすよ?」
もうすぐ日も暮れるという時間。冬の空気は冷たく、じっとしていると体の芯から凍えてしまいそうになる。
新人三人組は訓練場の傍にある物置から毛布を取ってきて、クローディアにかけてくれた。
ほわんとした優しい温もりに包まれて、クローディアは少し元気を取り戻す。
「ありがとう、新人さん」
「どういたしまして」
クローディアと三人組の影が夕日に照らされて、訓練場の地面に長く伸びている。クローディアはじっとその影を見つめたまま、三人組に質問を投げかけた。
「ねえ、新人さんたちは気持ちがもやもやしている時って、どうしてるの?」
「そうっすね、とりあえず走るっすね」
思いきり体育会系の返事が返ってきた。
「なんすか、クローディア姫は今もやもやしてるんすか」
「うん、いろいろ上手くいかなくて、もやもやしてるの」
クローディアは毛布に半分顔をうずめ、身を縮こまらせる。
「ランドルフの『救いの天使』について教えてもらった時から、ずっともやもやするのが続いてるの……」
ため息混じりのクローディアの言葉に、新人三人組がきょとんとした顔になった。三人組は「その話もっと詳しく」と促してくる。
クローディアは毛布に顔をうずめたまま、続けた。
「ランドルフが一番大切なのは、『救いの天使』なんだって。でも私はその『救いの天使』のことを考えると、なんか寂しくて悲しくなっちゃうの。変だよね。私は『救いの天使』になんて会ったこともないのに」
「うーん、別に変じゃないっすけどね」
「……変じゃないの?」
「だって、クローディア姫はやきもちを妬いてるだけっすよね?」
クローディアが目を瞬かせ「やきもち?」と聞くと、三人組はうんうんと揃って首肯した。
「やきもちは当然っすよ。クローディア姫は団長のことが好きなんすから」
「……え? 違うよ、私はランドルフのこと好きなんかじゃないもん」
「何言ってんすか。見てたら分かるっすよ」
三人組は悟りを開いたかのような穏やかな顔で、口々に言う。
「好きだから、一緒に寝てるんすよね?」
「好きだから、団長のためにお菓子を作るんすよね?」
「好きだから、やきもちを妬くんすよね?」
「ち、違うもん! だって、ランドルフに『好きになるなよ』って言われてるもん! だから、私も気を付けて、好きにならないようにしてるもん……」
一生懸命反論するクローディアに、三人組は微笑みを向けてきた。
「クローディア姫。よーく自分の気持ちを考えてみるといいっす。もし、団長が『好きになってもいい』と言ったら、どう思うっすか?」




