21:救いの天使(2)
次の日も、そのまた次の日も。
クローディアは、ジルフレードの事務仕事を力の限り手伝った。意外とこういうこともやってみれば面白く、充実した時間を過ごせている。
「もうすぐ年末なので、たまっていた事務仕事を片付けておきたいと思っていたところだったんです。本当にクローディア姫がいてくださって、よかったです」
ジルフレードは頑張るクローディアをたくさん褒めてくれた。褒めてもらえるのが嬉しくて、クローディアはますますはりきって作業に励む。
「役に立てて、私も嬉しい! まだまだ頑張る!」
「クローディア姫は本当に良い子ですね」
ジルフレードがぽんとクローディアの頭を撫でてくれる。
と、その時、事務室の扉が開き、不機嫌そうな低い声が飛んできた。
「お前ら、何やってんだよ」
その声はランドルフのものだった。彼は黒い騎士服のポケットに片手を突っ込み、据わった目でこちらを睨むようにして立っている。かと思うと、つかつかと部屋に入ってきて、クローディアの頭に触れていたジルフレードの手をぱしんと叩いた。
ジルフレードは叩かれた手を軽く振りながら、呆れ顔になる。
「ランドルフ。君は心が狭いですね」
「狭くねえし」
不機嫌そうな顔のまま、ランドルフは手に持っていた書類をジルフレードに突き出した。ジルフレードはやれやれと肩をすくめつつ、その書類を受け取る。
そのやり取りを見上げながら、クローディアは口を開いた。
「ランドルフ、あのね、私……」
「悪い。俺、忙しいから」
ランドルフはクローディアの方を見ることもなく、くるりと背を向けてしまう。
その冷たい態度に、クローディアはなんだか泣きたくなってくる。行かないで、とランドルフの腕を掴むけれど、それも乱暴に振り払われた。
「きゃあ!」
「……っ、悪い! 痛かったか?」
ランドルフが慌てて、振り払ったばかりのクローディアの手を握ってきた。大切な宝物に触れるかのように、優しく。
久しぶりの優しさに、クローディアの顔がふにゃりと緩んだ。
けれども。
ランドルフははっと目を見開き、すぐにその手を離す。気まずそうな顔でもう一度「悪い」と呟くと、そのまま部屋を出て行ってしまった。
去っていくランドルフの背中を見送り、ジルフレードがため息をつく。
「最近のランドルフは機嫌が悪くて面倒くさいですね。もう『救いの天使』にこだわるのなんて止めればいいのに……」
救いの天使。
ジルフレードが口にした単語に、クローディアはぴょこんと跳ねて反応した。そういえば、ジルフレードに「救いの天使」について聞こうと思っていたのだった。
「ジルさん、『救いの天使』って何なの?」
「ランドルフから聞いてないのですか?」
「うん。ランドルフはこの頃全然話をしてくれないから」
しょんぼりと俯きながら言うと、ジルフレードは慰めるようにクローディアの肩にぽんと手を置いた。
「『救いの天使』について、詳しく知りたいですか?」
「うん!」
クローディアは勢いよく頷いた。「救いの天使」が何なのかが分かれば、ランドルフのことをもっと理解できるようになるかもしれない。
期待の眼差しでジルフレードを見ると、彼は少しだけ笑みを浮かべて語り始めた。
――今から十年ほど前の話。
ランドルフとジルフレードが十五歳、二人とも騎士になったばかりの頃。
王都で武闘会が開催されることになった。それは騎士が剣の腕を競うためのもので、優勝すれば多額の賞金が出るという。その話を聞いたランドルフとジルフレードは、賞金を狙って武闘会に参加することにした。
二人が住む辺境には魔物が多い。けれど、この時にはまだ辺境騎士団も存在せず、辺境の地に住む人々はいつも魔物の被害に怯えていた。
賞金が手に入れば、辺境の町や村を守る壁や柵を作れる。人々の命を守れる。そう思ったからこそ、遠い辺境からわざわざ王都までやってきた。
けれど。
「こんなの、単なる魔法のお披露目会じゃねえか」
貴族の使う魔法に翻弄され、ランドルフたちはあっさり負けた。
「剣の腕を競う武闘会のはずなのに、まともに剣を使うやつがいねえ。しかも、審判も魔法を使えるやつにばかり有利な判定をしてる」
あまりにも不公平な試合。
この武闘会は、ただ魔法が使える貴族を喜ばせるためだけに行われていた。魔法を使えない平民は、踏み台にされるだけ。
ランドルフはよほど悔しかったのか、武闘会の会場である闘技場の外へと出て行こうとする。まだ武闘会は終わっていないとジルフレードは引き止めたけれど、「残りの試合を見学したところで得るものは何もない」と返された。
ランドルフはそのまま背を向けると、その場を立ち去ってしまった。
けれど、その三十分後。
ランドルフが先ほどとは打って変わって、全く違う表情をして帰ってきた。
「ジル……俺、天使に会った」
「……は?」
「天使だよ、天使! 空色の髪をした、小さな女の子! 高価そうなドレスを着てたから、たぶんどこかのお嬢様だと思うんだけど」
ランドルフは頬を紅潮させ、翠の瞳を輝かせていた。
どうやらその天使は、純粋に剣の力だけで戦ったランドルフのことを絶賛したらしい。ランドルフ自身の強さを素直に認め、励ましてくれたのだとか。
「俺、あの天使に恥じない騎士になる!」
この武闘会での敗北は、ランドルフにとって、今までの人生を否定されたと感じるくらいの大きな挫折だった。どんなに頑張っても踏み台にしかなれない。そんな絶望を思い知った。
けれど、小さな天使はその心を救ってくれた。そんな彼女のことを、ランドルフはいつしか「救いの天使」と呼ぶようになる。
彼はその小さな天使に全てを捧げることにしたようだった。
そう、自分の人生の全てを――。
「というわけで、その空色の髪の少女が『救いの天使』なんですよ」
ジルフレードは「救いの天使」の話を終えると、ひとつ息を吐いた。
「『救いの天使』に恥じない騎士になるために、ランドルフは本当に努力をしてきました。ずっと、ずっと、彼は『救いの天使』を心の支えにして生きてきたんです」
「……その天使は、一体誰なの?」
「それがいまだによく分からないんですよね。ランドルフも、暇があればいろいろ調べたりしているみたいなんですが」
「そう、なの……」
クローディアは少し俯き、自分の髪の毛をつまんだ。根元が金で毛先にかけて桃色になるこの髪の色は、空色とは全然違う。
ランドルフの心の中に住む「救いの天使」。
その少女を想像しようとすると、なんだか胸の奥がすごくもやもやしてくる。
クローディアはふるふると頭を振った後、しょんぼりとうなだれた。




