12:狂狼は恐くない(6)
翌朝、目が覚めて一番最初に見えたのは、隣で眠っているランドルフの顔だった。
きらきらと降り注ぐ朝の光が、ランドルフの深い海のような藍色の髪をきらめかせている。長い睫毛、すっと通った鼻、形の良い唇。初めて会ったときにも思ったけれど、やっぱり彼は凛々しくてかっこいい。
(狂狼、かあ……)
クローディアは眠っているランドルフを見つめながら、ぼんやりと考える。
魔物と戦うランドルフは確かに「狂狼」という感じがしたけれど、こうして傍にいる時はそんな感じはしない。彼に対して恐怖を感じたこともない。
(狂狼は……ランドルフは、恐くない。だけど)
昨夜言われた「狼に食べられる」という言葉が妙に気になる。
狼というのはランドルフのことだと言っていた。その直前には、すごく顔を近付けてきていたような気がする。
もしかして、あの時彼は、クローディアを頭からぱくりと食べるつもりだったのだろうか。
(食べられるのは……恐い)
少し不安になって自分の腕などを確認する。大丈夫、どこも食べられていない。
さすがに食べられたら痛いだろうし、痛いのは嫌だ。ランドルフがクローディアを食べるなんてそんなことありえないと思うし、あの言葉は冗談だったと思うけれど。
でも、もし本気だったら?
食べられるのは困る。痛いのも困る。そもそも人間の肉っておいしいのか。
どうせ食べるなら、もっとおいしいものを食べた方がいいのではないか。
寝起きのぼんやりした頭で考えていたその時、はっと名案を思いついた。
(そっか! ランドルフの好きな食べ物を準備しておけばいいんだ! お腹いっぱいなら、私を食べたりしないはず!)
ランドルフに好きな食べ物を聞くために、クローディアははりきって彼を揺り起こす。
「ランドルフ、起きて! 聞きたいことがあるの!」
「……ん、なんだよ……」
ランドルフが不機嫌そうな声を出しつつ、目をこすった。
彼はぼうっとしたままクローディアをしばらく見つめていたけれど、急に覚醒したのか、がばっと起き上がって絶叫した。
「うわあああっ?」
「ランドルフ? ど、どうしたの?」
「どうしたの、じゃねえよ! なんだよ、なんでお前が俺のベッドにいるんだよ! ……って、ああ、そうか。思い出した」
ランドルフは昨夜のことをやっと思い出したらしい。
「いや、でもこれ心臓に悪すぎるな……ああ、もう、クローディア!」
「なあに?」
「お前、部屋に戻れ。着替えろ。そんな無防備な姿をこれ以上俺の前でさらすな」
「え?」
ぽかんとしていると、ランドルフに抱き上げられて、廊下にぽいっと放り出された。あまりの早業に目を瞬かせてしまう。けれど、部屋から追い出されたことに気付くと、クローディアは頬を膨らませた。
扉は閉められてしまった。声をかけても反応がない。
しかたない。クローディアは、彼に好きな食べ物を聞くのは後回しにして、ひとまず言われた通りに着替えることにした。
そうして着替えた後、朝食をランドルフと一緒に食べた。
けれど、彼はなぜか顔を赤く染めたまま不機嫌そうにしていたので、好きな食べ物を聞くことは残念ながらできなかった。
その日のお昼。
辺境騎士団の建物の一階にある食堂で、クローディアはジルフレードを探していた。
ランドルフに直接聞けないのなら、ジルフレードに聞けばいい。あの金髪眼鏡の副団長ならきっとランドルフの好物くらい知っているはずだ。
ちょうど昼食の時間ということで、食堂の中はおいしそうな香りと若い騎士たちの騒ぎ声でいっぱいになっていた。カウンターの向こうは調理室のようで、そこからは次々といろんな料理が出てきている。
そのカウンターの傍に、ジルフレードが立っていた。
「ジルさん!」
クローディアはジルフレードに駆け寄り、真剣な顔で尋ねた。
「ランドルフの好きな食べ物って、なあに?」
「これはまた、唐突な質問ですね……」
「教えて、ジルさん! 私、ランドルフの好きなものを準備しないと、そのうちぺろりと食べられちゃうかもしれないの!」
「どういうことですか」
ジルフレードの眼鏡がキラリと光る。恐い。
クローディアはびくびくしながらも、昨夜あったことを話した。
「なるほど、狼に食べられる、と」
「そうなの。だから、ランドルフをお腹いっぱいにしておかないといけないの!」
「……夜、一緒に寝なければ、食べられることはないと思いますよ?」
ジルフレードの言葉に、クローディアはぶんぶんと首を振る。
「ランドルフと一緒に寝ると、すごく気持ちいいの。優しい匂いもするし、あったかいし。私、これからも絶対、ランドルフのベッドで一緒に寝る!」
力いっぱい主張すると、ジルフレードはふいっと目を逸らして、ぷるぷると震えながら「ランドルフも大変ですね」と呟いた。
そこに、今日も今日とて騒がしい新人三人組が近付いてくる。
「え、なになに? クローディア姫、団長と寝てるんすか?」
「もしかして、もふもふも一緒?」
「うおお、うらやましい!」
クローディアは新人三人組を振り返り、目をきらきらと輝かせた。
「わあ、新人さんたちもランドルフと一緒に寝る素晴らしさが分かるんだね! そうだよね、みんなランドルフと一緒に寝たいよね。うんうん、その気持ちすごくよく分かる。ランドルフの隣は本当に安心するもんね!」
「いや、そっちじゃない」
すん、と真顔になった三人組の声が揃う。一拍置いて、「ぶふっ」とジルフレードが噴き出した。
ジルフレードは肩を震わせてひとしきり笑った後、ようやくクローディアの質問に対する答えを教えてくれた。
「ランドルフの好きな食べ物は何か、でしたよね。意外かもしれませんが、彼はシフォンケーキが大好物なんですよ」
「シフォンケーキ? 甘くてふわふわの、あのお菓子?」
「そうです。あまりにも好きすぎて、この騎士団の食堂のメニューにも入っているくらいなんですよ……ほら」
ジルフレードがカウンターの横に貼ってあるメニュー表を指す。そこには確かに「シフォンケーキ」と書いてある。
「そうそう、意外っすよね。団長がシフォンケーキ推しとか」
「他の甘いお菓子はあまり食べないみたいっすけどね」
「シフォンケーキには良い思い出があるらしいっすよ」
新人三人組もシフォンケーキで間違いないと太鼓判を押してくれる。クローディアは力強く頷いて、拳を握った。
「それなら、毎日シフォンケーキを準備しておけば安心だよね。いっぱい、いっぱい、持って帰ろうっと!」
「それは無理だと思いますよ」
ジルフレードがメニュー表をよく見るようにと促してくる。するとそこには、月曜日と金曜日のみと小さく注意書きがあった。どうやらシフォンケーキは毎日出てくるわけではないらしい。
ピンチだ。
クローディアはへにょりと眉を下げる。そんなクローディアに、ジルフレードが苦笑しながら提案してきた。
「ないのなら、自分で作ればいいんですよ。クローディア姫、この機会にシフォンケーキ作りに挑戦してみてはいかがですか?」




