11:狂狼は恐くない(5)
「ランドルフ! 寝る前に、一緒に本を読もうよ!」
「……クローディア、こんな夜更けに男の寝室に来るんじゃねえよ」
「あのね、今日お手伝いを頑張ったごほうびに、ジルさんが本をくれたの。だから、ランドルフと一緒に読もうと思って!」
「人の話聞く気ねえな!」
ランドルフの苦言は気にせず、クローディアは寝室の中に入った。相変わらず散らかっている部屋の中をぴょこぴょこ歩き、ベッドの上に堂々と座る。
クローディアの膝の上に下ろされたヴァルターが、もふもふの両手で本を自慢気に掲げ、ランドルフに見せた。
「この本なんだぞ! 絵がいっぱいで、キラキラで、すごいんだぞ!」
「絵本じゃねえか。本当に子どもっぽいな、お前ら」
そう言いつつも、ランドルフは絵本を見つめてふっと表情を和らげた。
「聖女の話か。クローディアは好きそうだな、こういうの」
「うん! 聖女様って怪我を治すことができる『癒しの力』を持った人のことだよね。歴史の勉強をしてた時に出てきたから、ちょっとだけ知ってる!」
目を輝かせるクローディアの隣に、ランドルフが腰掛けた。みんなで一緒に絵本を読むことができるように、クローディアはぴったりと彼にくっつく。
触れ合ったところからお互いの体温が伝わり合い、ぽかぽかと温かくなった。
「あのね、王都には聖女様のお話ってあんまりなかったの。難しい本に少し載ってるくらいだった」
「ああ、聖女は王都ではなく辺境に現れると言われているからな。王都ではあまり人気がねえんだろ。この絵本が売られているのも辺境だけっぽいし」
「ふふ、すごく楽しみ! 早く読もう!」
クローディアとヴァルターに期待の眼差しを向けられたランドルフは、「しかたねえな」と笑うと、絵本のページをぺらりとめくった。
*
――むかしむかし、辺境の地に、一人の女の子がいました。
ある日女の子は、湖のそばで、ケガをして動けなくなっている黒い蛇と黒い亀を見つけました。
「まあ、かわいそうに」
心優しい女の子は、蛇と亀の手当てをしてあげました。元気になった蛇と亀は感謝して、女の子に癒しの力を授けました。
そう、黒い蛇と黒い亀は神獣だったのです。
こうして、癒しの力を手に入れた女の子は、優しい聖女様になりました。
それから何年も時が経った頃。
今度は勇気ある女の子が、丘へ続く道で、お腹を空かせた白い虎を見つけました。
「まあ、かわいそうに」
勇気ある女の子は虎に食べ物を分けてあげました。お腹がくちくなった虎は感謝して、女の子に癒しの力を授けました。
そう、白い虎は神獣だったのです。
こうして、癒しの力を手に入れた女の子は、強い聖女様になりました。
またまた何年も時が経った頃。
真面目な女の子が、森の中で獣に追われている赤い鳥を見つけました。
「まあ、かわいそうに」
真面目な女の子は石を投げて獣の気をそらし、赤い鳥を助けました。
けれど、そこに意地悪な女の子が現れて、なんと赤い鳥を奪っていきました。
意地悪な女の子は、聖女様になりたかったのです。
「さあ、私に癒しの力を与えなさい」
赤い鳥は、意地悪な女の子に力を与えようとはしませんでした。意地悪な女の子は怒って、赤い鳥を捨ててしまいます。
そのことを知った真面目な女の子は、赤い鳥を探しました。
暗い森の中、赤い鳥はケガをしてお腹もすかせていました。そんな赤い鳥を見つけた真面目な女の子は、大切に大切に赤い鳥を抱きかかえて家に連れ帰りました。
そうして赤い鳥が元気になるまで、心を込めてお世話をしたのです。
赤い鳥は感謝して、女の子に癒しの力を授けました。
そう、神獣である赤い鳥は、聖女様が誰なのか、ちゃんとわかっていたのです。
こうして、癒しの力を手に入れた女の子は、賢い聖女様になりました。
神獣は、聖女様に会うため、辺境の地にやってきます。
もし、神獣に出会ったら、優しくしてあげてくださいね。
次の聖女様は、あなたかもしれないのですから。
*
「……うん、私も神獣さんに会ったら、絶対優しくする!」
絵本を読み終えたクローディアは、何度も何度もこくこくと頷いた。そんなクローディアを見て、ランドルフが苦笑する。
「そんな簡単に神獣と出会えるわけねえだろ。それに聖女だって伝説みたいなもので、実在したかどうかすら微妙なところだし」
「えええ、聖女様はいるよ、きっと! ね、ヴァルちゃん?」
クローディアが膝の上にいるヴァルターに話しかける。けれども、まだ十歳の小さな子ども竜は、既に眠ってしまっていた。
ぽっこりしたお腹をどんと出して、鼻ちょうちんまで膨らませている。
「ヴァルちゃん、寝てる!」
「ヴァルターは黒い蛇と黒い亀の話を読んでるあたりから寝てたぞ」
まさかの序盤から寝ていたパターンだった。
気持ちよさそうに眠る小さな青いもふもふ竜を撫でていると、クローディアもなんだか眠くなってきた。ふわあと大きなあくびをする。
「クローディア、寝るんだったら部屋へ戻れ」
「……ここで寝る」
「ダメだ。わがままばかり言ってると、狼に食べられるぞ?」
「狼? 狼ってどこにいるの?」
ランドルフが口の端に意地悪そうな笑みを浮かべると、きょとんとしているクローディアの頬に手を添えてきた。その指はゆっくりとクローディアの頬を滑り、顎を捕らえる。上を向かされた次の瞬間、ランドルフと至近距離で目が合った。
ランドルフは熱っぽく見つめてきたかと思うと、そのまま顔を近づけてくる。
いつもと違う雰囲気のランドルフに、クローディアの胸がとくんと小さく鳴る。
唇にランドルフの吐息を感じ――そこで、クローディアははっと目を見開いた。
「あっ! もしかして、狼ってランドルフのこと?」
「今頃気付いたのか」
「ジルさんから聞いたの。ランドルフは狂狼だって」
「……いや、それはそうだけど、なんか違う。いいか、狼っていうのは……って、そういえばお前、なんでジルには『さん』をつけてるんだよ! 俺にはつけないくせに!」
ランドルフが、クローディアの額に自分の額をごちんとぶつけてきた。
痛い。
「だって、ランドルフはランドルフだから」
「どういう理屈だよ。……まあ、今さら『さん』付けで呼ばれても気持ち悪いだけだけどな」
ランドルフは心底疲れ果てたように、ばたりとベッドの上に寝転んだ。片手で目を覆い、盛大に息を吐いている。
クローディアはそんなランドルフを目を瞬かせながら見つめた。
(あ、今がチャンスかも!)
ランドルフの隣に寄り添うようにして、ころんと寝転がってみる。すると、ふわりと優しい夜の森みたいなランドルフの香りがした。ランドルフの寝衣をきゅっと握り、そのままそっと目を閉じる。
ランドルフが「しかたねえな、本当」と言いつつ、布団をかけてくれる。どうやら今夜は諦めて一緒に寝てくれるらしい。よかった。
クローディアはほっと息を吐くと、安心して眠りについた。
 




