第十六話 帰還! そして、やってくる白無垢の鬼子!
結局、社交場での交流は夜中まで続けられた。なにしろ、ヒサコに対して、ひっきりなしに客人が押し寄せてきたからだ。
ケイカ村にやって来た名士はもちろんのこと、芸術家達もこぞってヒサコとの会話を楽しんだ。
なにしろ、芸術、文学に精通した女性など、まず存在しないと言ってもいいほどの希少であったからだ。上流階級であっても読み書きのできる女性と言うものは少なく、更にプロの芸術家相手に知的な会話ができるとなると、それこそ探すのが苦労するほどの数しかいないのだ。
しかし、ヒサコはまさにそんな中にあって、例外中の例外と言えた。
短歌という新しい形態の文学を持ち込んだかと思えば、漆器というこれまた新しい工芸品の紹介まで行って、並み居る客人たちの度肝を抜いたのだ。
それでいて、公爵家のお嬢様という高い地位に加え、かなりの美貌の持ち主とくれば、まず群がらない方がおかしいのだ。
そんなこんなで夜中にまでやり取りが続き、さすがに体の弱いアイクがそろそろ限界だとばかりにふらつき始めたので、そこで打ち切りとなったのだ。
主催者のアイクにしても、他の来客や芸術家達にしても、今までにない新鮮な雰囲気を楽しめたため、その日はまず大成功な交流会と言えた。
ヒサコとしても、さらに知己の輪が広がったため、満足する結果となった。
そして、その日はさっさと寝込み、次の朝を迎えた。
寝台から起き上がり、朝靄が漂う中、窓の外を眺めていると、ヨナがやって来て、昨夜の言いつけ通り、玄関の門を外側から鎖でグルグル巻きにした後、しっかりと鍵をかけた。
予定通り、これでこの屋敷の中において断食行をやっている、と思わせることができるのだ。
「よし、んじゃま、懐かしの我が家に帰還するとしますか」
「そうね。それより、つくもんはどうする?」
現在、悪霊黒犬は黒い馬の姿のまま、備え付けの厩舎の中で待機させていた。さすがに馬のまま連れて行くわけにもいかなかった。
「う~ん、これも確認しておこうかしら。つくもん、こっちへ」
ヒサコが指示を飛ばすと、つくもんは自分の陰に溶け込み、そのまま屋敷の中へと滑り込んできた。
そして、ヒサコの前で影が止まり、再び実体化した。ただし、今度は担ぎ上げれる仔犬の姿になっていた。
「じゃ、これ」
ヒサコは摘まみ上げた仔犬をテアに手渡した。
「この状態で《入替》を使用すると、こっちは中身だけ入れ替わる。つまり、つくもんを影に入れていても、移動はできない。でも、テアは追っかけ瞬間移動が発動する。もしかすると、そのまま付いて来れるかもしれない」
「そういえば、私も《入替》の移動は初めてだわ。結果は分からないけど、おそらくは行けると思うわ」
「そう。では、準備を……」
ヒサコは遥か彼方にいる分身体に意識を集中させた。
分身体の動作は、普段であれば難なく自分の体を動かしながら、分身体も動かすことができる。高度な技術を要する精密動作だと厳しいが、執務を取ったり、談笑する程度なら問題なくできるのだ。
しかし、今は人目を避けるため、屋敷の外れにある診療所へと移動していた。
入れ替わった瞬間にテアまで現れては、当然ながら何もかもが台無しになってしまう。それを避けるための人気のない場所への移動なのだ。
診療所は現在、開店休業状態である。一応医者としての身分も兼務しているのだが、執務に追われているため、まったく医者としての活動ができていなかった。せいぜい、何かしらの理由で薬を調合する程度であった。
「よし、扉は閉めたし、周囲には人の気配もなかった。では、スキル《入替》発動!」
ヒサコの掛け声に合わせて、まずは何かに頭を引っ張られるような感覚に襲われた。
魂が吸い出され、意識が遠のいていく。急激な眠気とも、あるいは息苦しさとも感じる、不思議な状態が少しの間続いた。
そして、気が付くと、周囲の景色がケイカ村の宿泊施設から、見慣れた診療所へと変わっていた。
***
診療所は屋敷を出た時から、何も変わってはいなかった。さすがにまだ半月程度留守にしただけであったので、変わりようがないとも言えるが。
開店休業状態とはいえ、手入れはされており、埃一つない状態に整えられていた。
そして、意識がはっきりすると、まずは鏡で自分の姿を確認した。入れ替わったのであるから、当然ヒサコからヒーサへと変わっており、体の具合も問題なく動かせた。
また、本体がヒサコからヒーサに変わったということは、ケイカ村にいるヒサコの方が分身体であり、そちらとも意識はしっかりと繋がっていた。
そうしていくつかの確認作業をしていると、すぐ横に気配が現れた。当然、追っかけてきたテアだ。
そして、そのテアに抱えられている格好で、黒い仔犬の姿も確認できた。
「お、動作確認の結果は良好のようだな」
つくもんが付いて来れるかのテストであったが、どうやら無事にテアと共に飛んでこれたようだ。
「ということは、私が抱えれる程度であれば、荷物の運搬も可能、ということでしょうね」
「そのようだな。連射ができないのは欠点であるが、これなら《入替》も使い様はあると言うことだ」
ひとまずは満足する結果に二人は喜んだ。
だが、それもすぐに終わりを告げた。誰かがこの診療所に向かって駆け込んでくる気配を感じたからだ。それもかなり殺気立っていると感じた。
(まずい!)
それを感じた瞬間、ヒーサは即座に動いた。テアから仔犬を取り上げると、窓を開けてそれを放り投げた。
(つくもん! 少し離れて、気配を消して待機しろ!)
ヒーサは思念を飛ばすと、仔犬から了解したと思しき反応が返って来て、そのままどこかへ消えてしまった。
また、テアもそうした動きに察して、素早く変身した。
長い緑髪は短めの赤髪となり、胸部も豊満なものが断崖絶壁へと変じた。御前聴取以来久方ぶりの別の姿であるトウになったのだ。
それから僅かに遅れて、慎重かつ素早く診療所の扉が蹴破られた。豪快に扉が破壊され、そこに立っている人物を視認した時、ヒーサは冷や汗をかいた。
他でもない。妻たるティースの侍女にして、カウラ伯爵家の密偵頭のナルであった。
両手に投擲用と思しき短剣を装備し、蹴破ったものの中には入ってこずに警戒していた。
「うおぉい、ナル、何事だ!?」
ヒーサはいきなり蹴破られたことに驚きつつ、平静を装った。
(危ないな~。こっちを見張ってたのか。やはり、分身体では、本体と比べて感知能力に差が出るか)
近くに潜んでいたナルの存在に気付かずに入れ替わったのは失策であった。だが、タネは見られなかったし、つくもんは逃がした。テアも姿を変えて、トウになったし、ごまかしようはあった。
「今、とんでもない“圧”が診療所内から感じられましたが!?」
「え、どこどこ?」
鬼気迫るナルに対し、ヒーサはすっとぼけた対応を取った。キョロキョロとわざとらしく辺りを見回し、焦りや困惑を見せ付け、しらを切った。
(つくもんの気配を察したのか。こりゃ、こいつの前では迂闊につくもんは出せんか)
ナル自身には術を使う能力はないが、探知能力に関しては密偵頭という職業柄、極めて優れた物を持っていた。つくもんは姿も気配も消してもらわなくては、すぐに察知されるとヒーサは判断した。
そんなとぼけたヒーサをよそに、ナルがようやく診療所内に入ってきた。つくもんの気配が消えたため、安心半分、不安半分といった警戒度高めの状態であった。
奥の薬品庫や入院施設にも目を通したが、何もないためナルは素直にヒーサに謝した。
「申し訳ございませんでした、公爵閣下。何かを感じ取ったつもりでしたが、こちらの気のせいであったようです」
公爵の私的な空間に侍女が許しもなく武器を装備したまま入ってきたうえに、扉まで破壊してしまったのだ。本来なら厳重な処罰も当然なのだが、気の良い君主を演じるために、ヒーサは笑って流すことにした。
「いや、構わんよ。大方、こいつの気配を察したのだろうよ。何せ、お前が私を監視していたのにもかかわらず、それを出し抜いてしまったわけだからな」
ヒーサはトウの肩をポンポン叩いて笑い始めた。
その点は、ナルにとっての失策であった。
現在、ナルとその義弟であるマークは、仕事の合間合間に情報収集に当たっていた。公爵領内の情報は今や行政秘書官となったティース経由でもたらされており、そこから怪しい数字や気になる事象を引っ張り出してきては、その調査を行っていた。
少しでも毒殺事件の真相を探るための努力であり、一切の手掛かりもないため、ほとんどしらみつぶしに近い状態だ。
そして、もう一つはヒーサの監視だ。ティースはすっかり骨抜きにされ、ヒーサに関しては事件に巻き込まれただけで、関わっていないのではと思うようになっていたが、ナルはヒーサこそ事件の首謀者、少なくとも共犯者であると見ていた。
そのため、ヒーサの監視、特に誰も伴わない単独行動中は要注意だと考えていた。
そして現在、そうした事情もあって、いきなり現れた診療所内の気配に驚いて踏み込んできたのだ。
「お久しぶりですね。ええっと、御前聴取のとき以来でしょうか?」
トウはにっこりと微笑み、ナルに話しかけたが、ナルとしては警戒を解くわけにはいかなかった。気配も感じさせずに屋敷内に侵入してくるなど、尋常な存在ではないからだ。
「ああ、そう言えば、まだ紹介していなかったな。こいつはトウ、立場はお前と同じく、侍女だよ。“ヒサコ”の侍女だ。今は連絡要員として、方々に走り回ってもらっている」
ナルとしてはヒーサの説明を全面的に信じるつもりはなかったが、現段階ではもっとも筋の通った説明であり、信じるよりなかった。
(でも、そうなると、こちらの監視の目を潜り抜けたうえで、わざと気配を出して知らせたことになる。訳が分からないわ。おちょくってるの!?)
ナルは警戒しつつも、武器を納め、改めて謝罪しつつ、トウにも軽く会釈して挨拶した。
「お久しぶり、と言うべきかしら、トウさん。私はティース様の身の回りの世話をしておりますナルです。よろしく」
「はい、こちらこそよろしくですわ、密偵頭のナルさん」
早速牽制か、とナルは判断した。裏の事情を知っていると言うことは、やはり目の前の侍女も自分と同じく“裏”の顔を持っている。厄介な相手がまだ潜んでいたと、ナルは心の中で舌打ちした。
トウとしても、自分に警戒心を向けさせる事で、つくもんの存在を秘匿する狙いがあった。先程の禍々しい気配は自分が発したものだ、それを誇示するためにあえて分かりやすい牽制を入れた。
そんな二人の言葉の裏を読み解きつつ、ヒーサはあくまでとぼけるつもりでいた。
「やれやれ、それほど使っていなかったとはいえ、ぼろくなっていたのかな。女の足蹴で吹っ飛ばされるような、脆い造りになっていようとは。次は今少し頑丈な扉を用意するとしよう」
倒れた扉を壁に立てかけ、苦笑いをするヒーサ。どこまでも“お優しい領主”で通すことにしているのだ。そう“人前”では。
そこへ今度はティースが駆け込んできたのだ。扉を蹴破る轟音を聞きつけて慌ててやって来たのか、その息は荒かった。
「何事ですか、これは!?」
なにしろ、ティースの目に飛び込んできた光景には、情報が多すぎたのだ。蹴破られた扉、にもかかわらず平然としている夫、明らかに警戒している自分の侍女、そして、見覚えのある女性、一度に頭の中で処理するには、状況が複雑すぎた。
「なぁに、ナルが豪快に扉を蹴り開けただけだよ。トウがこっそり入ってきたことに気付いてな」
「そ、それはなんとも……。ご迷惑おかけしました」
ティースも説明を聞いて全部を納得したわけではなかったが、それでも状況の説明にはなっていたので、部下の不始末を詫びねばならず、ヒーサに頭を下げた。
「いや、構わんよ。私も薬を取りに診療所へ来てみれば、いきなり登場だからな。毎度毎度心臓に悪い、こいつの登場は」
「申し訳ございません、公爵閣下。なにぶん、私の特技と言えば《瞬間移動》程度でございますので」
トウの演技もわざとらしかったが、今はつくもんの存在を忘れてもらわねばならないため、演技過剰と思われても構わないと判断したのだ。
それについてはヒーサも同じようで、牽制の意味も込めてナルにニヤリと笑みを見せた。
そして、そのナルは自身の背筋が凍り付くのを感じ取った。
「《瞬間移動》ですって!? 伝説の時代に存在したとされる失伝魔術をどうして使えるの!?」
ナルの驚愕ぶりも当然であったが、神様だからです、とはさすがに答えられなかった。
とんでもない手札が晒され、ナルは愕然となった。本当に《瞬間移動》が使えるとなると、一気に不利になる点が多すぎるのだ。
例えば、現在大きく離れて行動を取っているヒーサとヒサコが、時間差なしで情報の交換ができてしまうと言う点だ。情報こそすべての根幹であると考える密偵頭としては、圧倒的速度で情報のやり取りができることが、あまりにも大きすぎる差が出ると判断したのだ。
離れていようと、リアルタイムでの情報交換ができる。それが相手にはできて自分にはできない。あまりに不利な状況に、ナルは戦々恐々であった。
「神の加護、と言うか、あるいは呪い、とでも言うか。色々とあってな。様々な制約をかけられている。その代償として使える、というわけだ」
ヒーサはそう説明したが、加護どころか神様そのものです、とはさすがに言えるわけがなかった。
なお、降臨中の女神は制約が課せられているため、全てが全て嘘と言うわけでもなかった。
「へぇ~、便利な上に凄いですね。私も使えたら、自領との往復に使えるのにな~」
のんきな感想を述べたのはティースであった。基本的には聡明なのだが、妙な所で抜けてしまうのが玉に瑕であり、その点はどうにかならないものかと、いつもナルが気を揉んでいた。
「あ、ところで、ヒーサ。薬の方がよかったのですか?」
「ん? あ、ああ、飲んだらなんとなくすっきりしたよ」
ヒーサは診療所へ来る理由として、薬を取りにいくと理由付けして、朝食の後に足を運んだのだ。
「大丈夫ですか? 昨日の朝も、急に厠にこもられていましたし、いささか働き過ぎではと、皆も心配しておりますよ」
ちなみに、この件は昨日つくもんと死闘を演じていたときのことだ。
普段なら遠隔操作で分身体を動かしていられるのだが、さすがに全力の戦闘中には思考をそちらに回す余裕がないため、適当な理由を付けて一人にならねばならなかったのだ。
なにしろ、分身体を動かす余裕がない以上、分身体は固まった状態になってしまうため、それを人前に晒すわけにはいかないからだ。
「そうだな。まあ、どうにか休みたいとは思いつつも、どうにも休んでいるのが性に合わなくてな」
「だからと言って、薬に頼るというのもどうかと思いますよ」
「まあ、今は公爵に就任したばかりなうえに、そちらの伯爵領に対しても“多少”の差配をせねばならないからな。じきに落ち着くと思うし、そのときにはのんびりさせてもらうよ」
これは嘘偽りない本音であった。
なにしろ、昨夜はヒサコの姿であったが、芸術に彩られた素晴らしい空間で楽しい時間を過ごしたのだ。芸術品を愛で、文芸に精を出し、酒と料理に舌鼓を打つ。まさに、欲して手に入れられなかった理想の生活が、しっかりとした形となって現れたのだ。
ああした生活を楽しみたい。あとは茶を手に入れれば完璧なのだ。
もう魔王なんてどうでもいいかな、と思いつつも、後ろから女神が複雑な視線を送ってくるので、そういうわけにもいかなかった。
長く楽しみつつ、魔王もきっちり対処する。それが現在の理想であった。
「あ、そうそう。先触れの使者が来て、もうすぐ火の大神官アスプリク様が到着するそうよ」
「おお、来たか!」
待ちに待った人物の到着に、ヒーサは目を輝かせた。
なにしろ、世界を揺るがす“魔王候補”であり、茶の温室栽培に必要な“凄腕の炎系術士”であり、王権簒奪を目論む“共犯者”であるのだ。歓迎するのは当然と言えた。
なお、その来訪を告げてきたティースは複雑であった。
「ヒーサ、そんなに彼女に会えるのが嬉しいですか?」
「嬉しいよ、何しろ、“トモダチ”だからな」
「友達、ですか」
口では友達といいつつも、実際二人の関係はかなり深いところまで及んでいるとティースは察していた。なにしろ、神官職を捨てて還俗し、結婚したいとまで言っていたのだ。嘘か冗談かは定かではないが、完全な嘘とも言い切る自信もなかった。
(そうよね~。実質破産した女伯爵と、天才の王女殿下、天秤にかけたら見劣りするわ)
実際、アスプリクにはティースにない強大な力があり、そこは認めざるをえなかったが、女としては嫉妬で狂いそうであった。
複雑な事情があるとはいえ、ティースはヒーサに間違いなく惹かれているのだ。普段はのほほんとしていても、その決断の速さや、時折見せる苛烈さは、公爵家当主として相応しいと考えていた。なにより、妻として大切にしてもらっているという実感も得ていた。
そこに、異物が入り込んでほしくないのだ。
だが、その異物は容赦なく入り込んできた。
「ウェ~イ、公爵、お久しぶり~」
いきなり診療所の入口から声がしたので全員がそちらを振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。頭髪から肌の色まで新雪のような汚れない白で統一され、紅玉をはめ込んだような澄んだ赤い瞳で見つめてきた。
「おお、アスプリク、久しいな!」
「約束通り、お邪魔するね。しばらく公爵領で世話になるよ」
かくして、役者はまた一人公爵領に揃った。
罪を背負ってくれる“妹”、色々と楽しませてくれる“妻”、可愛らしい(?)愛玩動物、志を同じくする“愛人”。実に重厚な布陣だ。
ヒーサにとって、あと足りていないのは“茶の木”のみとなった。
~ 第十八話に続く ~
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