第九話 手懐ける者! 今日からあなたはあたしのペット(意味深)です!
まさかの展開に、テアは茫然と状況を眺めるだけであった。
準備もなしに遭遇すれば、ほぼ確実な死が待っているといわれる超危険な怪物、悪霊黒犬。突如として襲撃してきたそれに、食い殺される寸前まで追い詰められた。
だが、今は立場が逆転している。ヒサコがその危険極まりない怪物を、手にした“鍋”でボコボコに滅多打ちにしているからだ。
「おりゃぁ! さっきまでの威勢はどうしたの、駄犬めぇ!」
「ぎゃぴぃぃぃ!」
鍋で殴り飛ばされるたびに黒犬が悲鳴を上げ、肉が弾け飛び、骨が砕かれ、全身が引き裂かれるような激痛に襲われていた。もうほとんど一方的な展開であった。
「あ~、こりゃ、最初の一発が相当効いてるわね~」
テアの見立てでは、不意討ち的に食らわせた最初の一発が致命の一撃だと考えた。
なにしろ、本来なら喰らうはずのない一撃を食らい、顎を砕かれ、脳震盪まで起こしたのだ。その後も立て直しが効かず、逃げる隙も立て直す時間も与えず、ヒサコはひたすら攻めている状態であった。
(しかし、作った私が言うのもなんだけど、あの鍋、どういうわけかとんでも強化されているわ)
ヒサコの振り回す鍋は、転生する前の待機所とも言うべき『時空の狭間』で生成したものだ。松永久秀が命よりも大切にしていた《古天明平蜘蛛茶釜》を間違って捨ててしまったため、女神テアニンとしてその代わりにと即席で生成した、何の変哲もないステンレスの鍋だ。
それがどういうことか、黒犬を殴り飛ばせるまでに強化されているのだ。
無論、その仕事は自分のではない。そうした神としての力は大半が封じられているため、魔力付与などはできないためだ。
ゆえに、謎なのだ。
(うわ、えっぐ。あの鍋に付与されているパッシブスキルがとんでもないわ。《焦げ付き防止》は鍋だから良いとしても、《聖属性付与》に《闇属性吸収》、おまけに《合成術の祭具》に《形状記憶》ってなんなのよ。鍋に付与していいものじゃないわよ!)
探知の術式でヒサコの鍋を調べて、テアは頭を抱えた。これほど強力な道具の持ち込みは、当然ながら禁則事項である。あくまで持ち込めるのは、二種類のスキル(久秀は特例で三つ)だけだ。
一応、スキルカードの中には《○○授与》などという、強力なアイテムを授かれるカードが含まれており、それを引いた場合にのみ、アイテムを持ち込むことができる。
それ以外の方法では、アイテムの持ち込みはできないことになっている。スキル枠を一つ消費することで、ようやく強力なアイテムを持ち込めるというわけだ。
そうなると、久秀は転生の際、この世界に三種のスキルに加え、神造法具まで持ち込んだことになる。明らかに違反行為だ。
(でも、上位存在から通告は何にもない。どういうこと?)
そこがテアにとっての最大の疑問点であった。
あくまで、この世界はテアを始めとする、見習いの神様の試験会場なのだ。既定のルール内で行動し、それによって評価点が与えられるのだ。
当然、違反行為、禁則事項には罰則が設けられ、ペナルティーを受ける。現に、テアは今回の降臨で一度だけペナルティーを食らったことがある。と言っても、警告に近く、ちょっと小突かれた程度の物であったが、そのときはちゃんと監視機能が生きていたことになる。
だが、今はどうか。テアの目線からでも、神造法具の違法持ち込みという完全な逸脱行為が目の前で展開されている。普通ならば、法具は没収、最悪の場合はそこで試験終了で落第となるはずだ。
(なんだろう……。本当にこの世界、天上から監視されているのだろうか?)
監督官たる上位存在が不在のまま進行しているのだとすれば、それはそれで大問題だ。仮にこの世界が崩壊などと言う場合であろうと、引っ張り上げてくれなくなるからだ。
そして、この世界はテアの見立てでは、ほぼ確実に“バグって”いると推察された。
何もかもが異例尽くしで、まともに司会進行しているのかと疑いたくなるのだ。
(そうなると、現状、私が死ぬのはマズい。不死性を持っていたとしても、世界崩壊に巻き込まれたら無事じゃあ済まないもの。緊急避難すらできないとなると、とにかく、今まで以上に慎重に動かないと)
状況の見極めか、あるいは上位存在からの連絡があるまでは、多少世界に干渉してでも生き残らねばならない。それがテアの下した結論だ。
思考が終わったところでテアは視線をヒサコに戻すと、まだ一方的に殴り飛ばしている状況であった。
(だよねぇ。黒犬の《物理無効(幽体時)》を無効にしてるんだもの。《聖属性付与》でダメージ増加量がとんでもないことになってるわ)
はっきり言えば、神造法具《不捨礼子》は黒犬の天敵のような付与スキルが備わっている。これではさしもの黒犬もたまったものではないのだ。
悪霊黒犬の強みは、何と言ってもその堅牢さにある。物理攻撃は幽体時にはすり抜けるし、うまく実体化しているときに攻撃できても、硬い獣毛に覆われているためダメージを通しにくい。
だが、今はその強みを殺されてしまっている。聖属性が常時展開している“鍋”による打撃が有効打となり、幽体時でありながら殴り飛ばされるのだ。
しかも、最初の一撃で顎を砕かれており、攻撃に転じるのも難しい状況だ。
それならばと、黒犬は牙を砕かれた代わりとして、魔術戦に切り替えたのだ。鍋によるノックバックを利用してわざと吹き飛ばされて距離を空け、痛みに堪えつつ着地と同時に収束させた魔力の砲弾を撃ち出した。
「あれは《黒の衝撃》! ヒサコ、飛んでくる黒い砲弾を鍋で掬って!」
黒犬の鼻先から黒い砲弾が飛び出し、ヒサコ目がけて飛んだ。轟音と共に、人間の頭部くらいある黒い砲弾が襲い掛かってきたが、ヒサコはテアの指示を受け、冷静に対処した。
飛んでくる砲弾に対し、鍋を突き出し、鍋底でそれを受け止めた。
直撃すれば消し飛んでいたかもしれないが、あいにく鍋には《闇属性吸収》が付与されている。一度鍋に入ってしまえば、それはすんなりと消化吸収されるのだ。
「次! 受け止めた敵の魔力を、お返ししなさい!」
テアの指示に対して、ヒサコは言われるままに中身をぶちまけるかのように、鍋を振りかざした。
鍋で掬ったどす黒い魔力はすっかり浄化され、透明で輝くお湯のような状態になっていた。それをぶちまけられたのだ。闇属性の黒犬には、まさに熱湯を浴びせられるに等しい一撃であった。
だが、苦痛に怯みながらも、気力と魔力を振り絞り、黒犬はズタボロの口を大きく上げ、大地を揺るがすほどの大絶叫を繰り出してきた。
「ヒサコ! 鍋を頭にかぶって!」
そう言うと、テアも耳を塞ぎ、ヒサコも慌てて鍋を頭に被った。
そして、黒犬を中心に強烈な衝撃波が、周囲を暴れ回り、吹き飛ばしていった。
近くにいたヒサコもその影響を受け、強烈な突風に襲われたかのように弾き飛ばされた。必死で鍋を被り、取手を離すまいと必死に握り締めた。
何度か地面を転がされたが、そこまでダメージはなく、テアの近くで止まった。
「よし、なんとか耐えたわね」
「的確な助言、ありがと。てか、初めて役に立ったんじゃない?」
「言わないで。てか、これが本来のスタイルなのよ」
テアの言う通り、これが正しい神様と転生者の連携なのだ。神様が情報を正確に分析し、転生者の所持するスキルやステータスに合わせて指示を飛ばすのが通常のやり方なのだ。
しかし、この組み合わせが転生してからと言うもの、やって来たことは“暗殺”ばかりなのだ。
(毒殺、爆殺、騙し討ち、あとは舌戦か。それと……、“床合戦”は考えないようにしよう、うん)
思い返してみれば、ろくでもない事しかやって来てないなと、テアは苦笑いした。
だが、ようやく正道に立ち戻った。そう感じることができたのだ。
もっとも、この二人の仕事はあくまで“斥候”、つまり情報収集が役目なのだ。戦闘とは無縁であるべきで、情報収集に専念できる方がよかった。
こうして難敵を単独で戦うことは、役目を忘れた逸脱行為とも言えた。
「とはいえ、ちゃんと防げてよかったわ。さっきのが王侯級悪霊黒犬の切り札《嘆きの奔流》よ。広範囲“即死”効果の闇属性の術式。鍋で防御してなかったら、ヒサコ、あなた死んでるか、よくて言葉が交わせないレベルの恐慌状態に陥っているかよ」
「なんてとんでもない術よ。まだ頭がガンガンするわ」
「頭痛で済むだけマシよ。……《敵情探知》!」
テアは必殺の一撃を防がれ、露骨に怯んでいる黒犬に探知系の術式を使った。
実のところ、これは禁則事項に該当する。降臨した神は、術の使用を禁止されている。使っていいのは、異世界に滞在するための偽の身元情報を操作するときや、転生者への探知系術式によるステータス確認など、使える場面が非常に限定される。
そして、“敵”への直接探知は《魔王カウンター》を除けば、原則禁止であった。襲撃された場合は、あくまで転生者の力を使って切り抜けねばならず、神としては助言と言う名のお告げを出すことになっていた。
つまり、テアは自ら進んで違反行為を行ったのである。
何度連絡を付けようとも通じない上位存在に業を煮やし、世界そのものへ積極的に干渉することを決めたためだ。
利用できるものは利用する、やれることには手段を選ばない。良くも悪くも、“共犯者”の流儀に染まってきたということだ。
「よし、今のでMPは枯渇した。HPももうほとんど残ってない」
「……なら、行けるわね!?」
「ええ。ヒサコ、やっちゃって!」
もう何をするかは二人の間では決まった。
ヒサコはとどめを刺すべく、黒犬に向かって突っ込んでいった。
すでに満身創痍の黒犬であったが、最後の力を振り絞り、迫ってくるヒサコに対して前足を繰り出した。ちょっとした丸太のような太さがあり、人間の頭くらいならへし折りそうな勢いであった。
「なんのぉ!」
ヒサコは勢いそのままに鍋を前に繰り出し、盾突撃をお見舞いした。
鍋は黒犬の前足を弾き、衰えぬ勢いのまま盾突撃が命中した。黒犬は後ろに弾き飛ばされ、とうとう大地に伏して起き上がれなくなった。
その黒い巨体はピクピクと痙攣し、もはや完全に虫の息であった。
「ヒサコ、今よ!」
「そりゃぁ!」
ヒサコはとどめの一撃を倒れた黒犬の脳天に叩き込んだ。ゴチンと言ういい音を響かせながら、鍋が黒犬の頭を砕いた。
「スキル発動、《手懐ける者》!」
倒した相手を支配下に置く、ヒサコの持つスキルだ。元々は《大徳の威》からの派生スキルであり、倒した相手ならば二体まで支配することができた。
黒犬はドロドロに溶け始め、その黒い液体がヒサコの影へと流れ込んでいき、あの大きな体が跡形もなく消え去ってしまった。
だが、消えても手足には感触が残り、先程まで繰り広げられていた激闘が夢などではないことを伝えていた。
そして、影の中に蠢く何かとも繋がっている感覚があり、それを支配下に置いていることも認識できた。
一度は死をも感じた戦いであったが、どうにかこうにか勝利を得ることができた。
歩み寄ってきたテアとハイタッチしながら、二人は叫んだ。
「「勝利!」」
死地から帰還したことに感じ入る原始的な喜びに、二人は満たされた。
損害もそれなりに受けたが、得たものはそれ以上に大きい。女神と悪役令嬢の織りなす初の怪物退治は、見事なまでの勝利で幕を下ろした。
~ 第十話に続く ~
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