第六話 温泉! 旅の疲れは垢とともに流せ!
温泉。それは心身ともに癒してくれる憩いの空間である。湯船に並々と注がれた大地の活力を得たる湯を湛え、そこに身を委ねし者を桃源郷へと導く。
今、目の前では、まさにその光景が繰り広げられていた。
ここは高台の上にある露天風呂。眺望もよく、人気のある場所だ。
ちなみに、温泉は全て混浴であるが、今は誰も使用しておらず、湯船の中にいるのはヒサコとテアの二人だけだ。
なお、ヨナは湯女の役目があるので、着衣のまま近くに侍っていた。
「はぁ~、たまらん。やっぱ温泉はいいわ~。なんと言うか、こう、命が洗われるって感じ?」
湯気の沸き立つ温泉に身を委ね、ヒサコのだらしない声が辺りに響いた。
ここはカンバー王国一の温泉村として名高いケイカ村。王侯貴族しか入ることの許されない高級リゾート地であり、公爵家のお嬢様として、その伝統と格式ある温泉を満喫していた。
「貸し切り状態だから、いいようなものですけど、ここは私語禁止ですからね。黙浴が規則ですよ」
気分を出しているところに水を差したのは、テアであった。伝統ある温泉地とあって、作法に色々とうるさいこともあり、その点を注意しているだ。
名目上、ヒサコは公爵家当主ヒーサの代理人として、ネヴァ評議国に赴くことになっていた。いわば外交官に等しく、公爵家の顔としての立場もあるのだ。
どこに人目があるか分からない以上は、礼に則った行動を取る必要があった。
もっとも、今この場で自分達と湯女以外の視線があればそれは“のぞき”であり、ただの制裁では済まないレベルの罰を与えられるであろうが。
「ねえねえ、ヨナ~。酒持ってきて、酒!」
「飲食厳禁です」
湯船の側に控えていたヨナが首を横に振って、酒の注文を断った。伝統ある温泉地として、風紀の乱れや品位のない行動を認めてはいないのだ。
湯船の中は神聖なる領域であり、己の肉体以外を持ち込むことは許されていなかった。静かに、ゆっくりと温まり、神への感謝を抱き、心身ともに身を委ねる。
それがここでの作法であった。
ヒサコが求める飲酒などはご法度なのである。
「あぁ〜、いい湯なのは間違いないけど、少々堅苦しいのが玉に瑕ねぇ〜」
「弾けたいのでしたら、先程の殿下のお誘いを受ければよろしかったのに」
ヨナとしては勿体無いとしか思わなかった。
第一王子のアイクは芸術にしか興味はなく、日頃は素っ気ない態度が多かった。逆に話が噛み合うタイプには、気さくに接するという、実に分かりやい性格をしていた。
そして、ヒサコに対して極めてまれなことに、アイクから誘いがあったのだ。
だが、断った。
夜にでもなれば、村の中心にある社交場にて、芸術に彩られた知的な会話が繰り広げられることだろう。温泉村に訪れている貴族や名士、あるいは芸術家ばかりの席で、顔を売っておくだけでも価値のある場所だ。
「今日のはあれでいいのよ。殿下がこちらに気があるのは分かったしね。女としてではなく、あくまで芸術を愛でる者としてだけどね。色香の通じない相手との距離を詰めるのには、共通の話題は不可欠よ」
アイクは本当に芸術以外には興味を示さない。美しい女性がいたとしても、絵画や彫刻の題材くらいの認識なのだ。
そんな相手に色仕掛けは無意味というものだ。まずは共通の話題で距離をつめるのが先決なのだ。
「強固な城塞を、いきなり攻めるのは無理。まずは堀や壁を壊し、それから城攻めに取り掛かるもんよ」
「そういうものですか」
ヨナとしては、誘われたらグイグイ行くのだが、目の前のお嬢様は違う視点で物事を見ていると判断した。
なお、ヒサコが想いを寄せているのは、アイクではなく、窯場の方であった。茶器を制作するのに不自由しなくなる。
王権簒奪も楽しいが、それ以上に茶の文化を花開かせて、のんびりライフを満喫したいのだ。
たまたま、そのための下準備として、もののついでに国盗りをしてしまおうかと考えてしまうのだ。
「それにしても御二方、本当に仲がよろしいのですね。主人と従者が同じ湯船に浸かるなんて、湯女としての経験上、初めてですよ」
通常、主人と従者が同じ湯船に浸かることなど、まず有り得ないのだ。
同じ湯に浸かる者と言えば、友人、家族、同輩など、身分、立場が近しい者が多い。
一方、目の前の二人は、公爵家のお嬢様と、その従者という明確な主従関係を持つ間柄だ。いくら主人が良しと言っても、部下がまず遠慮するほどの開きがある身分差だ。
それでも遠慮なしに肩を並べているということは、主従のそれを超えた揺るぎない信頼関係が存在することを意味していた。
「まあ、切っても切れない間柄って言うのかな。そういう感じのやつね」
さすがに女神と、その力によって異世界から飛ばされてきた転生者だとは言えないため、適当言ってごまかすしかなかった。
「それで、明日はどうされますか? 滞在は三日間となっておりますので、明日は丸一日空いておりますが」
聞く迄もない事ではあったが、一応の確認としてヨナは二人に尋ねた。
「もちろん、殿下のところに行くわよ。というか、窯場に行くわよ」
「やっぱりそれか。茶碗が欲しいものね」
ヒサコの頭の中にはまだ見ぬ“茶碗”のことで埋め尽くされており、テアはそれを敏感に感じ取った。茶を飲むには茶碗が必須であるし、その量産化のためには窯場の技術をどうにか入手しておかなくてはならないのだ。
最低でも、交易ルートだけでも確立しておかなくては、茶碗の普及に支障が出てしまう。
そのため、窯場の出資者であるアイクとの親密化は、早めに進めておく必要があった。
「今日は徒歩で出向いたけど、道幅は十分だったから、明日は馬車で行きましょう」
「お土産は今日渡しちゃったけど、何か急ぎで用意する?」
「やめときましょう。下手な貢物は、却って機嫌を損ねると思うわ。誠意と物珍しさという点で、今日渡した漆器以上の物はないし、あれで十分存在感をアピールできたわよ」
確かな手ごたえを感じたからこその、自身満々な答えであった。あの芸術王子との距離の詰め方は、物品よりも芸術の方がいいのだ。
「あぁ~、でも一番手っ取り早いのは、王子がどこぞからの刺客に襲われて、あたしがそれを助ける! みたいなのがいいんだけどね」
「それって、普通、逆じゃありませんか?」
ヨナのツッコミももっともであった。だいたい、おとぎ話においては、どこぞのお嬢様が魔物に襲われ、それを通りすがりの貴公子が助ける、というのが王道である。
一方、ヒサコの発言だと、立場があべこべである。いくら相手が病弱な王子様とはいえ、貴族令嬢が暴れ回るのはどうなんだろうと首を傾げた。
なお、ヒサコの横にいるテアは、こいつならやりかねない、戦々恐々であった。
「はぁ~、どっかから、物の怪か刺客でも湧いてこないかしら」
特に意味のない呟きが、湯気と共に天に向かって飛んでいった。
なお、このぼやきが現実のものとなり、とんでもない大事件が発生するのであるが、その危機的状況がせまっていることを、ここの三人は元より、村の住人や滞在者を含め、誰も気付いていなかった。
~ 第七話に続く ~
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