第七話 邪神誕生!? ワシと女神は共犯者!
自分が一体何をしたのか、覚えていない。
自分が一体何をされたのか、それも覚えていない。
すでに記憶が飛んでいて、断片でしか覚えておらず、何がどうなったのか定かではないからだ。
呆けた頭を必死で動かそうとするが、まるで錆び付いた歯車のように動かず嚙み合わない。
今、リリンは簡素な寝台の上で裸体を晒し、喜びと悲しみの二枚の毛布に包まれている。
喜びは、恋しい人に抱かれたから。悲しいのは、恋しい人が自分を好いてはいないから。
そこはシガラ公爵の邸宅のはずれにある一軒の小屋。公爵家の次男ヒーサが営む診療所にある入院施設だ。
入院施設と言っても小さなもので、寝台が二つあるだけの簡素なものだ。
そのうちの一つに、リリンは身を投げていた。
つい先程まで、その寝台の上でヒーサに抱かれていた。弄ばれていた、といった方が適切かもしれない。そう、リリンは感じていた。
初めて出会ったとき、一瞬で恋に落ちた。素敵な笑顔を振り撒き、気さくに声をかけてくれ、優しくて思いやりのある貴公子、お話の中だけの存在だと思っていたのが目の前に現れたのだ。
公爵の邸宅で侍女として雇われた事、その幸運をこれほど感じた事はなかった。
生まれて初めて抱いた淡い恋心、そして、下心。勇気を振り絞って思いの丈を告げ、それを貴公子は受け取ってくれた。
先輩侍女であるテアより、自分を選んでくれた。などと密やかな優越感もあった。
だが、今はない。それらすべてが打ち砕かれたのだ。
部屋に入るなり、リリンは寝台の上に放り投げられた。少し硬いクッションの感触を全身で感じながら、その身をヒーサに差し出した。これから何をされるのかはある程度理解していたが、自分がどうするべきなのかはよく分かっていなかった。
まずは衣服を脱がねばと考え、エプロンを外し、服を脱いだ。改めてテアと比べて貧相な自分の体に対して嘆息したものだが、それでも目の前の貴公子はそれをよしとし、抱いてくれた。
だが、目の前のヒーサは、その中身である松永久秀は甘い男ではなかった。
争い、戦とは、似たようなレベルの相手でしか発生しない。圧倒的な力の差がある場合は、それは戦などではなく、懲罰、あるいは蹂躙と称されるものである。
この部屋で繰り広げられた“床合戦”は、まさにそれであった。
ヒーサの中身は、戦国の世を駆け抜けた七十の爺である。その間に培われた経験や知識を持ち、しかも『黄素妙論』という性技の奥義書まで習得していた。そのうえで、ヒーサという体を得た。
七十の経験と、十七の体、言ってしまえば、“強くてニューゲーム”状態なのだ。
一方のリリンはというと、ただの十五歳の娘に過ぎない。多少の知識があるだけで、この手の経験は一切なし。
百戦錬磨の猛者と初陣の若者、ぶつかり合えばどうなるか、火を見るより明らかであった。
貪られ、弄ばれ、何度も意識を飛ばされるも、その度に呼び戻された。いつまで続くのかと考えるが、抗う術を持たないリリンは、恐怖と悦楽の混じり合う渦の中をただただ待つしかなかった。
そして、理解した。目の前の貴公子は、自分に対する一片の好意もなく、それどころか興味もないということを。
言ってしまえば、籠の中から果実を無造作に掴んで口に運ぶ、それくらいにしか考えていない。たまたま目の前にあったから食べた、その程度なのだ。
そして、リリンは蹂躙され、征服され、支配された。心は喜びから恐れへと色を変え、逆らうことも逃げることもできなくされた。
そんなリリンの頭をヒーサは撫でてやり、そして、かけ布団を優しくかけた。
「その状態では仕事にならないな。リリン、今日はそのまま休んでおきなさい。侍女頭には私からそう伝えておこう」
優しい言葉と笑顔は普段通りだ。だが、それは奥底にある怪物を潜ませておくため、表面上を糊塗しているに過ぎないことをリリンは知ってしまった。
だが、知ったところでどうすることもできない。なぜなら、リリンはすでに恐怖によって支配されてしまっていたからだ。
リリンはヒーサが部屋を出ていく後ろ姿をぼんやりと眺めながら、眠りについた。やっと終わったという安堵と疲労感を道標にして、儚い夢の世界へと旅立った。
***
扉一枚を挟んだ向こう側。診察室にはテアが待っていた。なお、その顔は真っ赤である。
「おい、女神、顔が赤いぞ」
「誰のせいですか、誰の!?」
テアはヒーサにこれでもかと言うほどに猛抗議した。なにしろ、扉一枚の向こう側では、悲鳴とも嬌声とも判断のつかない声が飛び交っていたのだ。それをずっと聞かされていたのである。逃げたくもあったが、逃げるわけにもいかず、我慢に我慢を重ねて今に至っていた。
「声が大きい。あの娘が起きたらどうする気だ」
「だったら、もう少し自重しなさいよ。情景が見えない分、余計に卑猥だったわ!」
「何度も言うが、あくまで“動作確認”だ。なんなら、次は見学するか?」
「結構です!」
テアはどこまでも小馬鹿にしてニヤつくばかりの見た目好青年、中身スケベ爺の男に腹を立てた。神罰の一つや二つでもぶちかましてやりたいくらいであった。
「フフッ、久しぶりに女を抱いたからな。ついつい羽目を外してしまったわい」
「あ~、そう言えば、『時空の狭間』に呼び寄せる前は、籠城戦やってたもんね。それじゃ女遊びやってる余裕もないか」
ヒーサの中身である久秀は、謀反を企てて居城である信貴山城に籠っていたのだ。そこで炎に包まれてから、今この瞬間まではまだ一日と経っていなかった。
かなり濃い時間を過ごしていたため、もう少し経過しているかと思っていたが、意外と時間は経過していなかった。
「ま、小娘相手でいささか物足りない感はあったが、それはそれで楽しめた。曲直瀬殿より伝授されし百八の必殺技の一つ、《ろくろ回し》まで使ってしまったからな」
「なに、その必殺技って……」
「試してみるか?」
「だから、結構ですって言ってるでしょ!」
やはり、冗談なのか本気なのか、掴みどころのない男だと思い知らされた。
そして、ヒーサはポンとテアの肩に手を置き、顔を近づけてきた。その表情は下品な笑みは消えており、真顔になっていた。
「女神よ、おぬし、安堵したな? 自分の代わりに伽を引き受けてくれる者が現れて」
「そ、それは……」
「フンッ! 神だなんだと偉そうなことを言っておいて、“生贄”を喜ぶだけの俗物ではないか」
見透かしたように言い放つヒーサに、テアは視線を逸らしてしまった。
実際、そうした自覚はあるし、上位存在からの“御小言”も飛んできた。
いくら人形に乗って行動しているとはいえ、神としての自覚や矜持が薄れているとは、考えたくもなかった。
「……それで、あの子はどうするつもりなの?」
取りあえずの話題逸らし。なにより、目の前の下種が何を考えているのかも知らねばならなかった。
「“父上”に願い出て、あの娘はワシの専属侍女とする」
「私がいるのに?」
「おぬしが伽を引き受けてくれるのなら、引っ込めるぞ」
「……はい、先輩として後輩の指導に当たらせていただきます」
よもや、神が人に生贄を差し出してしまうとは、もう一発“御小言”が飛んできてもおかしくないほどの醜態であった。
それを見透かしているからこそ、目の前の男は笑っているのだ。
「まあ、“往診”で忙しくなるから、お前は医者の助手を務めてもらうというわけだ。で、屋敷内の内向きなことはあの娘にやらせる」
「ああ、そういうことですか」
「で、早速だが往診に出かけるぞ」
先程からそういう言葉が出てきたが、当然そんな往診の予定などはない。あくまで、出かけていても不審に思われないための前振りなのだろうと考えた。
「それで、お出かけの目的は?」
「基本的に情報収集だよ。カウラ伯爵とやらが、数日中にここへ来るのだろう? 義父となる男だ。歓迎してやらねば、失礼にあたるからな」
「待ち伏せして、襲撃でもするの?」
「それも案の一つには入れてある」
しれっと義父となる者を攻撃すると言う辺り、やはりこの男はどうかしているとテアは思った。
「どのみち、まずは情報収集だ。攻撃するにせよ、懐柔するにせよ、情報がなければ判断ができん」
「なるほど。往診って言ってれば、怪しまれずにあちこち行けるってことね」
「おぬし自身がそう言ってたではないか。医者はどこへでも顔が出せると」
ヒーサの指摘通り、狭間の世界でのやり取りにおいて、医者のそうした利点について話した記憶はあった。往診と銘打てば怪しまれずにどこにでも顔を出せ、しかも《大徳の威》のスキル効果により魅力値も増大しており、ますます動きやすくなる。山菜、薬草を探しているとでもいえば、森や山での活動すら自然に行うことができる。
しかも、公爵の子息という権威権力までまとっているのであるから、ヒーサの動きを制限するものはないと言ってもよい。少なくとも公爵領内であれば、フリーパスと言ってもいい。
「さて、もう一つ“動作確認”だ。テア、今から侍女頭の所へ行って、リリンの体調が悪いので今日は寝かせておいてやってくれと伝えてこい」
「なに、その気遣い、キモイ」
「“動作確認”と言っただろうが。お前がどの程度、ワシから離れて行動できるのか、それを今のうちに計っておきたい」
「ああ、そういうことね」
テアはヒーサという転生者の管理者であり指揮者でもあるのだ。そのため、基本的には側近くにいなければならない。
と言っても、常時すぐ近くでべったりしていなければならないようなことはなく、多少は離れていてもいいはずであった。現に、転生した直後、ヒーサがいた寝室内にテアはいなかった。
「そのあたりは、毎回違ってくるのよね。五十メートルくらいが限界の時もあれば、二百メートル離れても大丈夫な時もあるし。どういう条件付けなのかは知らない」
「なるほどな。まあ、今回はどの程度まで行けるのか、今のうちに確かめておこう。離れた位置から観察してもらう場合もあるかもしれんからな」
「監視くらいなら大丈夫だけど、基本的に神である私は、手を出さないからね」
あくまで神は監視者であり、行動を起こすのは転生者なのだ。多少の指示を出しても、直接的な攻撃などは絶対にやらないし、やってはならない。そこまでやると、“御小言”では済まないペナルティが飛んできかねない。
「それと、だ。女物の服を一着用意しておいてくれ」
「……てことは、“久子”を使うってこと?」
ヒーサこと松永久秀は狭間の世界で手に入れたスキルにより、性転換が可能になっていた。双子の妹という設定であるが、この世界でそれを通すのには無理があった。
なにしろ、父親がいる。妹がいれば、父親が知らないわけがなく、あくまで脳内設定的なものとして、テアは認識していた。
「出かけるときは、男で出かけるが、途中で女性体に入れ替わる。カウラ伯爵をどうするかは情報次第であるが、その際にヒーサの姿で詮索していると、後々面倒になるかもしれないからな。どこの誰とも知らない奴が嗅ぎ回っていた、くらいに落としておきたい」
「慎重ね、そういうところは」
「そのために、性転換できるようにしたのだからな」
「いよいよ、女梟雄登場か」
「あくまで、裏方よ。表に出れるとしたらば、ワシが公爵家を掌握してからだ」
もし、公爵家さえ手にしてしまえば、妹一人“作って”しまうことも造作もない。実は生き別れの妹が、などと適当な話をでっち上げてしまえばいいだけだ。
「しかし、私もどんどん闇落ちしていくというか、あなたの流儀に染まってきてるのかしら。お家乗っ取りだの、婚家への襲撃だの、普通に聞き流してしまっている自分が怖い」
「まあ、正式な神になったら、悪神や邪神の類に分類されるやもしれんぞ」
「えぇ~、ロキ先輩やアンリマユ先輩みたいになるの? やだなぁ~」
神話にも悪役はつきものであるが、それを自分がやるのは勘弁してほしかった。
「邪なる神もまた、神の一つの形だぞ。悪名が名声の一形態であるようにな」
「うん、それは思った。あなたみたいにあれだけ悪名轟かしているのに、妙に惹かれる何かを醸し出しているのよね」
実際、目の前の男は外道である。欲望に忠実と言った方がいいかもしれないが、とにかく周囲の迷惑などどこ吹く風。やりたいようにやってしまう。それを自由と言うか、わがままと言うか、それは受け手次第である。
無茶苦茶やりながら、なぜか慕う者いたという事実。やはり、掴みどころのない奴だと、テアは改めて思った。
「では、さっさと出かけるとするか。こっちは往診に出かけるための準備をしておく。見せかけだが、一応医療器具やいくつかの薬は持っていく。そっちは侍女頭への伝言と、女服の用意を」
「了解。……はあ、やっぱ染まってるわ、私」
「まあ、気張らず楽しく行こうぞ、“共犯者”」
「“共犯者”ねぇ。ある意味、一番しっくりくるあなたと私の関係を表す言葉ね、それ」
ヒーサの頭の中には無数の策謀が、テアの頭の中にはそれに巻き込まれる悩ましさが詰まっていた。
そして、二人は準備ののち、屋敷から出立した。
~ 第八話に続く ~
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